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第35回 労災認定における医学的因果関係をめぐる諸問題(2) -判断困難事例ー

1.業務上疾病の種類
 業務に関連して発症したとされる疾病については、真に業務が引き起こしたのか、あるいは本人の既往症等が誘因となって、たまたま業務中に発病に至ったものなのかの判断が難しい場合が少なくない。日本の場合、業務上の疾病であるか否かは、①業務上の負傷に起因する疾病、②例示疾病、③大臣指定疾病、④包括規定疾病のいずれかに該当することを求められるが、基本的にはそれぞれについて医学判断のもとに決定される。一般的に言えば、②例示疾病や③大臣指定疾病については、従事した業務と疾病との関係についての因果関係が推定されることとなっているため、病態さえ明らかであれば医学判断はさほど難しいものとはならない。当該疾患を引き起こす可能性のある職業従事歴と例示されている疾病であるとの確定診断があれば、もはや因果関係は医学的な問題ではなくなるからである。①業務上の負傷に起因する疾病についても、当該負傷から派生することが医学的に認められるものであれば判断は難しくないが、そこに例えば糖尿病や高血圧といった当人の持病も寄与していると考えられる場合は、判断が難しくなることがある。

2.包括指定疾病の労災認定判断方法
 医学判断が最も難しくなるのは、言うまでもなく、④包括指定疾病の場合である。脳・心臓疾患や精神障害も、この分類になることから分かるように、当該職業に密接な関連性を持つものではないため、職業歴からアプローチすることは難しく、また、いかに詳しく病理診断等を行っても、当該病気が業務から生じたものであることを確認することはほぼ困難である。結局、包括指定疾病が業務由来であると認められるか否かは、発病の時期や経緯、当人の病歴や治療歴、職業的な負荷の程度とそれが原因となる確率といったものを総合的に判断することにならざるを得ない。もっとも、脳・心臓疾患や精神障害については、詳細な判断基準が示されていることから、医学判断に委ねられる部分は相対的に小さくなる。ところが、その他の疾病については具体的な認定基準は設けられておらず、病態とそれが生じた環境等との関係について、個別に医学的な因果関係を証する必要が生じる。
 いかなる疾病について、どのような困難が生じるのか。今回は、いくつかの例を取り上げて、包括指定疾病を中心に医学判断の困難さについて話をする。

3.病名確定が難しい症状の申立て
 包括指定疾病の医学判断において、まず問題となるのは、当該被災労働者が発症した疾病がいかなる病気であったのかの確定することである。例えば熱中症を取り上げてみると、被災労働者ないしはその遺族は、灼熱の環境下にある職場であるために同疾病が発症したと主張することが多いが、当人の持病ないしは既往症が、たまたま業務遂行中に発病したという場合もある。熱中症であったか否かは、発現した症状により相当程度分かるものであるらしいが、例えば、新型コロナウイルスの初期症状は立ち眩みや息苦しさという点で熱中症に似ているところがあると言われるように、類似した症状を呈する疾病は少なくない。当初に診断した医師の見解は参考にはなるものの、当人の既往歴や労働環境が確認されていないなど、確定した診断とは判断できない場合もある。すると、当該労働者が発病した当時の気温や労働環境などと共に、適宜水分を取っていたか、基礎疾病はなかったかなど、周辺事情を精査し、熱中症と推認できるかを判断することとなる。
 熱中症の場合、症状が発現した当時の職場の気象状況や本人の行動などを確認することはさほど困難ではなく、また熱中症に至る可能性のある職場環境については知見が積み重ねられているため、発病の推認は比較的容易な方である。より病態や病名の確認が難しい疾病として、化学物質過敏症や整形外科分野の疾病がある。前者については病理検査等、後者についてはX線検査等で確認できれば、病名の確定は可能となるが、それでも原因が業務であるかの判断は難しい。経験的には、化学物質過敏症の場合は、当人の気質や精神状態と密接に関わっていると感じられるケースが多く、また頚肩腕症候群などの不確実な症状を呈する疾病も既往症状が認められるケースが多いように感じられるものであり、医学的に業務起因性を確認することは極めて難しいものとなる。

4.過労による免疫力の低下は労災か?
 医学判断が悩ましい事件として、過重労働による免疫力の低下という問題がある。例えば、心筋炎という病気についてみると、一般的には細菌ないしは中毒による疾病であるとされており、医療関係者等、当該細菌に接する機会のある労働者が罹患した場合でなければ私病であるとしか判断し得ないものであるが、原因不明の場合もあるとされていることから、過重な労働のため免疫力が低下し、発病に至ったものであるとの主張がなされる場合がある。心筋炎に限らず、体内の常在菌が体力低下による免疫力の後退のため活性化し、病気を引き起こすということはあり得ることらしく、異常な過重労働が行われていた実態があるような場合には、医学的に見て因果関係を完全には否定し得ない事態となるのである。しかし、労働災害であるか否かに係る因果関係の証明は、抽象的な可能性では足らず、AがなければBは生じなかったという相当性を要するものであり、当該病気を引き起こす具体的なファクターが存在しない以上、労災と認められることにはならない。過重労働による免疫力の低下を認めてしまえば、風邪をひいて会社を休むといった事態においても労災と認めるようなことも起こってくるかもしれず、法制度として妥当であるかには疑問も生じてこよう。もっとも、詳細な認定基準があるとはいえ、脳心臓疾患や精神疾患が認められているにも関わらず、ストレス性の胃炎や潰瘍が認められない理由を説明することは難しい。過重な労働による免疫力の低下やストレス性疾患を労災保険制度においてどのように扱うかは、未だ課題として残されたままの状態にある。

5.因果関係の中断という難題
 医学判断と法判断には断層があることを感じさせられた事件として、業務による石綿肺を罹患した患者が腹部動脈瘤を発症させ、呼吸機能の障害のため開腹手術が不可とされた結果、同破裂により死亡したというものがあった。腹部動脈瘤の発症に石綿肺が関与したとは考えられないため、同動脈瘤の発症自体は私病であり、それによって死亡した以上労災とは認められないものであるが、石綿肺による呼吸機能の低下がなければ手術が可能となり、生命予後を良好にする可能性はあったとして、労災であるとの判断がなされたのである。医学判断としては、A(石綿肺による呼吸機能の低下)がなければ、B(私病の手術不可)はなかったとして、AとBとの間には相当因果関係があるとの判断に至ったものであるが、法判断としては疑問が残る。一連の流れは、法的には因果関係(業務起因性)の中断と言われるものであり、石綿肺の罹患と腹部動脈瘤の発症との間に因果関係が存しない以上、同動脈瘤の悪化(破裂)による死亡は、もはや労災とは関わりのないものとなる。例えば、業務災害による療養中に院内感染が起きたとすれば、同感染による疾病も業務上の事由と言えようが、療養とは関係なく私病が悪化したというのであれば、もはや因果関係は中断していると考えるのである。実務上も、死亡診断書には労災認定された疾病とは異なる病名が書かれること、死亡以前の療養補償給付はいつから支払われるべきこととなるのかなどの不都合も生じてくる。患者のために死力を尽くそうとする医師の熱意が伝わる判断ではあり、法的な論理などは後退しても良いと考えたが、先例となることにはやや不安が残る。

6.医学知見の限界と可能性
 医学は、診断と治療を本旨とするものであり、そのために必要であれば当該病気の原因を追究することもあろうが、それは目的ではなく手段である。疾病が業務に起因するものであるか否かを医学的に証明することは、少なくとも包括指定疾病においては容易なことではないようである。とはいえ、被災当事者ないしはその遺家族にとっては、医学的な証明があれば納得しやすいことも事実であり、労災保険制度が成り立つ基盤は医学判断にあることは間違いない。前々会長が、「患者は噓をつかないが、請求人は嘘をつくことがある」とおっしゃっていたが、本人しか分かり得ない症状について嘘をつかれると、医学判断は混乱する。もっとも、前会長であった整形外科の権威である先生は、業務において肩を負傷したと主張する患者について、怪我であれば時間経過とともに良くなるはずであり、次第に悪化していると言っている以上、本人の持病であるとしか考えられないとおっしゃっていたが、高度な専門医の前ではほとんどの嘘は見抜かれる。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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