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第25回 フリーランスへの支援 -労働者概念の転換への試論-

1.労働者保護の論拠
 先日、フリーランス等に対して労災保険に加入する道が開かれたとの報道を見た。某厚労省幹部から、そうしたことも考えているとの連絡を受けていたが、まさか本年中に実現するとは思っておらず、「やればできる」ものであると少し感心した。もっとも、あくまで特別加入として加入申請できる道を開いたというものであり、労働者概念を拡大すべきという私の本来の提案からは遠いものである。以前にも書いたとおり、労務の供給関係が雇用であるか否かは客観的に定まるものであり、当事者の意思は必ずしも意味を持たない。したがって、締結された契約が業務請負や委任とされていても、雇用とみなされることもあるし、理論上はその逆もあり得る。
 当事者間の自由な意思において業務請負や委任の契約であることを了解しているにも関わらず、雇用であったと判断することが容認される理由は、実態において従属的な立場にある労務受託者は、労働法という特別な立法の下で保護されるべきであるという政策に由来するものである。そして、労働者であるか否かは、指揮命令を受ける立場にあるなど人的に従属しているか、組織に組み込まれて労務に従事しているか、当該労務による収入に依存して生活しているかなど、従属的な立場にあるか否かによって判断されるものと説明されてきた。以前言及した昭和60年の労働基準法研究会の報告書は、これら従属性を測る具体的な指標を提示したものである。

2.容易に可能な「労働者」と位置付けない働かせ方
 では、こうした従属性の論理は、将来においても労働者であるか否かの判断基準として妥当するといえるであろうか。在宅勤務を例にとるまでもなく、すでに組織に囚われることなく働いている人は多く、また、副業・兼業を推進するという国策が進められる中で、経済的に従属するがごとき働き方も推奨されない。さらに、人的従属性についていえば、請負や委任による多くの労務が、少なくともそのやり方や結果については指揮命令を受けていることが多く、フリーランスやギグワーカーの多くは、時間・場所、達成すべき内容やその水準など、実質的には一般の労働者以上に指揮命令下に置かれているといえる場合がある。工場労働や対面販売など、労働集約型の働き方を基本として形成されてきた従来の「労働者概念」が、遠隔勤務やネット販売に代わってきた現在においても不変であると考えて良いかは大いに疑問である。労働者性が問題となる例として、自己所有のトラック等により特定の会社の荷物を運ぶ仕事をする例を取り上げることがあるが、ウーバーイーツ等の配達員といかほどの違いがあるのかを論理的に説明できるかは怪しい。労働者性の判断基準が明確になってきたことで、契約の形態や労働のさせ方について、逆手にとって上手に細工すれば、委託を受けた個人事業者であると位置づけることは容易である。

3.労働者が特権的な地位になる時代が来る
  年々厳しくなる労働時間規制、育児休業取得の推進、同一労働同一賃金、さらには父親への産後育児休暇の導入など、働き方改革が労働者に手厚い保護を与えれば与えるほど、雇用という方法に拠らないで事業を行おうとする事業主が増えてくるのは当然の摂理である。近い将来、正規雇用労働者は特権階級となり、社会保険が適用される非正規雇用労働者でさえも生活が安定している身分であるとみなされることになるかもしれない。コロナ禍の影響が長引く中で、多くの企業は、労働者を雇用しておくことのリスクを再認識した可能性が高い。労働者が減少する社会への移行が加速されないためには何が求められるのか、以前類似した話をしたことを認識したうえで、あえてその続編を書く。

4.労働者にならない生き方は「勝ち組」
 労働者にならずに収入を得ることは、若年者の憧れでもあり、その限りにおいては事業主との利害は一致する。ゲーマーやユーチューバーとなって一攫千金を狙うことは、現実には容易でないものと思われるが、少なくとも身近においてお金を稼ぐ道があるとの意識にはつながっている。テレビやネット上では、サラリーマンの受難や苦悩が報道される一方で、若くして豊かな生活をしている人は、そのほとんどがIT関連事業の創業者など、日々目にするゲームやパソコンに関わって仕事をしている人ばかりである。さらに、仮想通貨によって莫大な利益を上げた人、若年者に先物取引等の指導をするソフトや証券会社の存在、動画サイトから有名になった芸能人など、メディアには若年者に不労所得や一攫千金を指南する情報が溢れている。
 労働者になって指揮命令を受けることなく生きていくことができる人は、若者から見ると「勝ち組」なのであり、その夢を掴むために仕方なくアルバイトに従事し、結果、婚期を逃し、また人生の転機を見失う。「引きこもり」の多くは、働くことができないのではなく、働きたくない、人に命令されて行動したくない人なのである。「引きこもり」について、仮想世界に生きているといった批評を聴いたことがあるが、実は逆であり、現実を知りすぎ、また悲観しすぎているとみるべきであろう。そして、こうした悲観論は、コロナ騒ぎの中で見えてきた働くことの厳しさの前で、「引きこもり」予備軍だけではなく、多くの若者を労働者という生き方から引き離すことになるかもしれない。

5.「労働者」だけが保護される社会保険
 日本の場合、多くの社会システムが雇用関係を基盤として成り立っている。健康保険や年金保険は、労使が保険料を折半して支払っているから、労働者に魅力ある保険給付が提供できるのであり、労災保険に至っては使用者だけが拠出しているから、加入しておくことに意味がある。労使折半の拠出でなければ、保険会社等が売り出す個人年金保険の給付水準と変わらなくなるであろうし、労災保険についても個人が生命保険に加入することとさほど変わらない結果となるであろう。これら社会保険等の適用については、数年ごとに見直され、短時間雇用者にも適用されるよう改革されてきたが、あくまで労働者を対象とするものであることに変わりはない。さらに、労働者の権利の拡張や労働条件の改善は、主として労働組合が担ってきたものであるが、組織拡大という目標がある以上、これも保護の対象は労働者に限定される。つまり、戦後の国民の生活改善への施策のほとんどは、国民が労働者であることを前提としたものであり、それ以外の選択は自助努力によるものとされ、生活保護とわずかな福祉施策を除けば、保護の対象として念頭におかれていないのである。

6.契約自由の制限か労働者概念の拡張か
 労働者にならない選択をした者は、社会の秩序や枠組みから放置されてよいのであろうか。こうした選択をした者のなかには、ごく一部において事業主となるような成功者が出るであろうが、多くは、不安定な生活を生涯にわたって続ける可能性が高い。早い段階で夢を諦め、アルバイトであっても労働者となって各種保険の適用対象になれば、老後の生活に困ることはないかもしれず、さらに、結婚をすれば、ダブルインカムとなって一定の生活は保てるかもしれない。しかし、労働者を雇わなくなるトレンドにおいて、多くの場合正規雇用の道は断たれ、したがって、結婚や出産も無理となる可能性が高い。
 では、どうすればよいのか。方法は2つしかない。労務の供給を内容とする契約については、現在の労働者概念に該当しない場合には、別の保護立法に作って保護する方策を採るか、もしくは、労働者の概念を従来の従属性の指標から抜け出させ、あらゆる労務供給契約を包摂するものに改変するかのいずれかである。この点、いかに労働者概念を拡張しても、事業主は抜け道を見出そうとするであろうから、請負や有償の委任(委託)については、法人間の取引でない限り認めないといった極めてドラスティックな変革が必要となろう。

7.チャレンジ精神を支える社会のあり方
 諾否の自由もあり、対等に見える契約であるにもかかわらず、一方のみを保護するという政策は、市民法の原則を揺るがす暴挙であるという批判をする人がいるかもしれない。しかし、労務供給契約においては、労務を提供する市民はほとんどの場合生活のために身を挺しているものであり、仮に労働者になる道を拒否してその立場を選んだものであるとしても、社会が救済すべき者でないとはいえないであろう。近年、テレビのコマーシャルを見ると、職業紹介業や労働者派遣業など、就労に係る仲介業が活況を呈しており、適法とされたとはいえ、中間搾取を業とする事業があふれている。フリーランスの需要と供給についても、直接的な取引ではなく、仲介業者を介するものが多くなっていると聞く。情報化時代の必然であるとしても、仲介業だけが活性化し、直接に労務を提供する者は疲弊していくという構図がまともであるとは思えない。若者にチャレンジ精神を失わせることなく、生活も支えていく仕組みを真剣に考えるべきではなかろうか。

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職場の実態を知り尽くした筆者による労務問題に携わる専門家向けのマガジンである。新法の解釈やトラブルの解決策など、実務に役立つ情報を提供するとともに、人材育成や危機管理についても斬新な提案を行っていく。

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