見出し画像

世の中に男はいらない。

過激的なタイトルからこんにちは、椎名ゆずです。

この度、こじれにこじれまくった結果、世の中男いらんくね?と思ってしまったnoteを書きます。

このnoteは正直読んだらムカつくことは多々あるかもしれません。忠告しておきます。私はたった今忠告いたしましたので自己責任で読んでくださいね。



私は先日、教習所の教官に頭を撫でられました。すごく不快でした。

このnoteを書いた後、さらに2回ほど撫でられ、嫌すぎて親に愚痴をいいました。親は「教官を変える?」と聞いてくれたりしました。卒検間近なので変えないことを伝えると親は「そう……」と返事をしたあとこう言いました。

「ゆず、もうスカートを履いていくのはやめなさいね。それが原因じゃないにしても対策としてズボンを履いていくのよ」

私は正直、スカートと頭を撫でられる行為の関係性が分かりませんでした。足を触られたならまだしも、私は頭を撫でられたんです。スカートとなんの関係があるのでしょうか。それに私のスカートは教習所にいる高校生の制服よりも長く、タイツを履いて生足は一切出していません。どこに欲情される要素があるのでしょうか。

──そう思いつつも、私はその日から教習所でスカートを履くのをやめました。


私はスカートを履くのが好きでした。それは決して男のためではありません。ヒラヒラで可愛らしいお気に入りのスカート履いている自分も好きでした。スカートから伸びる細くて綺麗な足をしている自分が好きでした。お気に入りのスカートが何着もありました。でも私は、クソみたいなおじさん教官のせいで着れないのです。私は別におじさん教官のために着てるわけでは決してないのです。でも頭を撫でられたくないしなんなら女って見られたくないし、性的な目で一切見られたくありません。そうされないための対策としてスボンを履くのです。これがどれほど屈辱的かわかりますか?正直、セクハラしてる人や、Twitterなどネットでセカンドレイプしてるような人らには一生わからないでしょうね。


まだ、これが教習所だけならまだいいんです。1日1~3時間我慢すればいいんですから。技能教習の日だけ我慢すればいいんですから。でも例えばこれが全生活そうしろ!と言われたら私はどうなるのでしょうか。教習所以外でも「学校でスカートを履くな」「電車でスカートを履くな」「道端でスカートを履くな」と言われたらどうでしょうか。

正直、クソだと思います。だったらスカート売るなよって思います。世の中のスカートは全て18禁コーナーにでも置いておけよ。アダルトグッズ扱いでもしとけよ。コスプレ扱いにしろよ。かわいいスカートを普通に売るなよ。普通に売ってるってことは普通に着てもいいってことだよな?買ってそれを着て何が悪い。お前らを欲情させる為に着てねえし売ってねえし死ねよ。好きな服くらい着させてくれよ。なんなんだよお前ら。そんなのなら世の中からスカートという概念なんか無くしてしまえよ。ブルマみたいに表の世界から廃止して、コスプレ服やだれかの性癖のための服にでもしておけよ。


──正直この文章みて「なんだこいつ、大袈裟な」「なんか女が狂ってるw」とか言う人いそうですね。でも正直私は教習所だけ我慢すればいいですが、世の中には外出時仕方なく我慢してる人もたくさんたくさんいると思うんです。それは性犯罪に対策であったり、ナンパ対策であったり、セクハラ対策であったり色々と。世の中には男のために好きな服を我慢してる人は沢山沢山いると思うんです。私は正直、教習所だけじゃなく──例えば街中全てでスカートを履くななんて言われたら上記のように文句を言いたくなると思います。そして次第にはこう思うと思います。

男がいるからこんなに我慢しなくちゃいけないんだ。男さえいなければスカートが履けるんだ。男なんか、いなくなってしまえばいいのに。世の中に男はいらない──。


正直、自分でも大袈裟だと思います。イライラしすぎだと思います。でも私の気持ちはうっすらとでもわかって貰えたでしょうか。

多分世の中の男の人って自分が性的な目で見られることに慣れてないと思うんですよね。だって世の中の(一部を除く)ほとんどの女性は、男性のことを直接的な性的な目で見ませんし、いやらしそうに男の人を触ったり、セクハラ発言はしませんもん。

だから男性はピンと来ないと思います。というかこんな風に思ってる人を軽蔑してそうですよね。よくネットでフェミニストをバカにしてる人はこういう文章を書く私のことを軽蔑するんだろうなとか思います。女がどれほどそういう目に合わないように対策してるかもわかりませんし、なんなら対策するのも当たり前だと思っていそうですよね。本当は当たり前じゃないのに。女だって好きな服来て、夜中でも昼間でもどこでも好きな時に歩いて、好きなように生きたいのに。

正直、私は男性にいい思い出はありません。小学生の時には、クラスの男子にのみいじめられ、汚いものバイ菌扱いされました。好きな人がバレた時は全力でバカにされました。中学生の頃には私にわざと聞こえるように「あいつがいるからこの委員会がやだ」「頭デカすぎ」など何人もの男子に悪口を言われました。

その影響があってか、高校、大学では男の人と関われなくなって、半分男性恐怖症になりました。それじゃダメだ!と思い、なんとか世間話が出来る程度になりました。治そうと、治そうと努力してきましたがそれでも今、ネットやTwitterや教習所やなんだかんだ色んな経験を積み重ね、無事ここまでひねくれました。

「男の人だからよかった」「男だからこそ安心した」なんて出来事はひとつもありませんでした。もちろん、優しい男の人は居ましたよ。でも別にだからといってどうも思いません。それ以上にクソな男が多すぎたんです。

よく世間はここ言います。「女はこわい」「女社会はくそ」「女ほど怖いものは無い」と。──でも私は正直男の人の方が怖いです。だって私、女の人にはいじめられたことないんですもん。女の人の方が考えていることがわかりますもん。

女の人は私にセクハラなんてしません。いやらしく頭など撫でません。私のことを影で点数を付けたりもしませんし、ヤレるかヤレないかなど議論したりしません。ブスなど平気で言いませんし、バカにしたりしません。キモイ、同じ委員会になりたくないなども言いませんし、汚いものバイ菌扱いもしません。

もちろん全ての女性がこうしない、とは言いません。ですが、多分私は目の前の女性がそんなことをしたら、周りの女性が助けてくれる自信があります。周りの女性を味方にできる自信があります。正直、クソな女性よりもいい人な女性の方がたくさん私は出会いました。そしていい人な女性を見極められる自信がありますし、私はその人に着いていきます。

でも男の人は分かりません。怖いです。私はいい男性よりもクソな男性の方が多く知っています。そして見極められる自信もありません。みんな平等に怖く見えます。



よく「女は感情的」だとか「女は共感が欲しい生き物。だから相談事といいながら共感しかして欲しくない。クソだ」とネットで言われてますね。でも私は思うんです。


まず「女は感情的」だと言いますが、私は理性的な女性の方が沢山見てきた気がします。なんででしょうかね、女は感情的だと言われるからでしょうか。むしろヒステリックを起こす女性は同じ女性にも嫌われますよ。

そして逆に私は、感情的で、暴力を振るう男性を何人も見たことがあります。怒鳴る男性も見た事があります。むしろ男性の方が感情的じゃないかというツイートを見ましたが私もそう思います。感情的に野次を飛ばしてる国会議員なんかもほとんど男ですし。女に手を上げる男性も感情的の具現化じゃないですか。


「女は共感しか求めない」と言いう事に関しては特に反論はありません。でも私最近気づいたんです。「考えるだけなら自分や知恵袋に頼んだほうがいいし、これ共感しかいらないな」と。

正直、周りの人に相談したところで出る答えなんてたかが知れてます。だってみんなそんな人生経験ないんですもん。そして妙に正義感ぶるんですもの。必ず相手を否定するんですもの。私が自分で考えたり、知恵袋で「甘えだ、などの意見は要らないです」と言いながら相談した方がマシな答えが沢山来ます。正直、人と話す時なんて共感しかいりません。むしろ共感しないなら、全否定されたくないので「確かに!そうだね!あなたが正しい!」といって私はそこで話を終わらせます。否定されて「甘えだ」「自己責任だ」「お前が全て悪い」やなんだの言われたら発狂しそうになりますね。だからみんな鬱病になるんじゃないでしょうか。


以上により私は女性の方が好きなんです。あ、レズでもバイでもないですよ。普通に男性を好きになるんですが、私は女性社会の方がいきやすいんです。じゃあ生きていけよって話なんですが。私はまだ結婚しない覚悟も、将来彼氏が一生できない覚悟もないんですが、このままそうなるんだろうなと何となく思います。



───というネットとリアルで出会った酷い男性のおかげでここまでひねくれた椎名ゆずのお話でした。

多分世の中のひねくれてる男性も、女性に対してこう思ってるんだろうなぁ、と思います。嫌な女にばかり会ってきたのでしょうね、何となく分かります。同類ですから。ただ分かるんですけど、だいたいそういう人は私の敵なんですよね。ネットで容赦なく女を叩くので。私も初めて男性が嫌!!記事を書いたのですが、お互い様になりましたねぇ。


世の中のデリカシーがない男性、性犯罪する男性、セクハラする男性、世の中からいなくなればいいのに。以上、結論でした。


椎名ゆず。

いただいたサポートでおいしいごはんを食べたり本を読んだりしようと思います。明日への生きる活力をつけたい