気になる人に好かれたいと思っている自分を辞めたい

久しぶりの投稿ですみません。


気になるひと━━と言いましたが実際には、こんな私のことを相手してくれる異性、と言った方が近い。

今コロナで全国各地で自粛要請が出ている。もともと寂しがりやな私は自粛期間が非常に辛いものだった。誰とも会えないし、せっかく入学した学校には行けない。新しい土地なのに一人も友達ができない。社会的なつながりがない━━。正直気が狂いそうだった。調子が悪い時は過呼吸になったりもした。

そんな私を助けてくれたのが彼だ。SNSでもともと親しかった彼だが、この春一人暮らしを始めてから寂しいのかよく私に電話してくれるようになった。彼の寂しさで始まった電話だが、私自身もその電話や彼の言葉に何度も救われ、感謝してもしきれないほどの存在となった。

そのうち、彼が電話してくれないと不安に思うようになった。私から電話する時も、電話中も飽きられてないか、嫌がられてないか、不安に思うようになった。そして今まで気にしてなかった彼のSNSのいいねやSNS上の交友関係を異常に気にするようになった。彼のリプライ返信欄やいいね欄をずっと見ていたりもした。彼と仲良くなればなるほど、彼に嫌われるのを恐れ、彼のことを調べたり、彼に嫌われたくないと泣く日々が多くなった。正直そんな自分死ぬほど嫌だった。

私は彼のことが好きなのだろうか。

ネットストーカーをし、彼の一挙一動を気にする日々に疲れた私はふと考えた。答えは━━NOだった。彼は人間として好きだし尊敬もしているが、そもそも会ったことがない。私は彼の日常においての人の接し方も知らないし、彼がどんな仕草をしてるのか全く知らない。そんな彼を好きとは━━以前の私なら好きになっていただろうが、正直今の私からすると恋愛感情ではないと思った。どちらかと言えば依存、その言葉の方が近いような気がした。そもそもこんなにも不安になり、嫌われてないかと恐れてしまう自分自身が、彼を好きになっても幸せになれないだろうな、と薄々感じた。


彼は詩や純文学をよく好む。

私と彼のSNSの共通の知り合いに哲学や純文学に詳しい女性がいる。彼はその女性に対し強い憧れを抱いてるようだった。彼女がブログを書けば褒め、彼女がブログで紹介していた同じ本を買っていた。私は少し嫉妬した。

私は彼を好きではないし、彼女と彼は電話している関係でもなんでもない。ただのSNSの関係のようだった。けれど彼に憧れられている彼女が羨ましかった。私も彼女のような存在になり、彼に好かれて、憧れられるために、似たような本を買おうとした。同じように感想を書いて、ブログにアップすれば彼に憧れられるのではないか、そう思って本屋に行こうとした。

━━だが私は本屋に行くのを辞めた。

彼に好かれるために興味もないことを始めたくなかった。

そもそも私は純文学の魅力がこれっぽっちもわからない。謎にドロドロとしているし、セックスシーンも多い。難解な古い文章に変わらない展開、特に魅力があるわけでもないキャラクター。現代小説やアニメに染まり染まった私の思考には、正直純文学は全くついていけなかった。私にとって創作物は現実逃避するためのものであり、夢を見るものであって、わざわざ人間のドロドロしている部分や悲しい出来事を描く純文学は意味不明だった。そんなの、現実世界だけで十分だよ…とたまに触れる純文学でそう感じていた。(ドロドロしていない純文学があったら教えて欲しい)(読みます)

それなのに、なぜ私は彼に好かれるために、純文学を読まなければならないのか、頭を使って難解な文章を読まなければならないのか、ドロドロに触れ、悲しい気分にならなきゃいけないのか。意地の高いプライドだと言われるかもしれない。だが私はそう思ったのである。


彼に嫌われたくない、彼との電話を続けたい。そのために自分が苦手なものを読み、好かれてあわよくば憧れられたいと思っている自分が非常に醜く感じた。それならば私は、自分が興味あるもの、自分が好きなもの、自分が楽しいと思うもので、人に好かれたいし憧れられたい。自分の21年の苦労と経験、興味や好きなもので導き出されたこの思考と行動で私は人から好かれたい。そう思った。

自己肯定感が低いのがこの頃のずっとある悩みであったのだが、少しづつ自分を大切にできているようで嬉しいかった。



椎名ゆず。

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