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あなたが描いた未来の地図

???「🐇、手紙は書いて渡したらしいな。だが、お前にはまだやることがある」
🐇「なんですか、、、」
???「締めのnoteを書きなさい。誰とは言わないけど、きっとそれを望んでいて、待っていて、圧をかけてくる人間が思い浮かぶだろう?」
🐇「いや、無理だ。書いたら全てが本当に終わってしまう気がする。そんなの嫌だ。」

~そして12/30~


バイトで左指を負傷し寝るしかやることがない🐇
「ゆっくりnote書くか、、、」



はい、ということで長い前置きはさておき、何から書けばいいんだろうね。思いつくままに書いてみようかなと思う。

ちなみに例によって長すぎるしまとまりないし重いかもなので、そういうのいらん人は、読み物として後から書いたこっちのほうがおもしろいと思うから
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12/27(水)
てぃんく♪現体制終了ライブ

フライヤー


その発表をもって、推しメンの卒業が決まり、同時に自分のオタク活動も終わりなんだなーと思った。

去年の8月14日にアイドルデビューして、そこから12月まで活動して、そして今年の2月にてぃんく♪ローズレッド担当として再びデビューして、約10ヶ月間活動してきたれいなさん。

たまたま見た配信で「名古屋は庭だから来れるよね?」と煽られて、ほんまにデビューを見に行って、そこから名古屋通いを始めて、紆余曲折を経ながらも、今日までれいなさんを見てきた僕。

本来なら交わるはずがなかった、もしくは、いつ離れていてもおかしくなかった、二つの線が軌跡が最後まで同じように存在していたのは奇跡だと思う。

2.11の新体制お披露目を当初の予定から若干無茶な回しをしてでも見に行ってなかったら、おそらく今僕はこうして文章を書くこともなかったのかもしれない。そう考えると、やはり恋咲れいなさんは僕にとって特別だったのかもしれない。



てぃんく♪に入ってからの最初の期間は僕の個人的事情もあり、あまり見ることができなかった。
今思うと、すごく申し訳ない気持ちになるけど、それも含めての現在だと思うので後悔は抱かないようにしたい。
複雑な心情を抱えながらも、それでも以前と同じように最初からずっと前で見ていた。半ば意地だったのかもしれない。無理なら諦めてたのかもしれない。別にそうする意味はなかったのかもしれない。
それでも、最後の最後まで、ほぼ全てのライブを一番近くで見ることができたのは幸せでした。



新体制お披露目から何度もお世話になったDIVAや、最後も含めいろんなライブで立つ機会があったReNYや、夏の大型フェスで一度だけ見れたLives名古屋、夏に初の撮可ライブをしたサンシャイン栄、挙げていくとキリがないのかもしれないけれど、どのステージでもどの会場でもあなたがいたから毎回楽しかったです。

遠征も何度かありました。大阪は4回くらい来てくれて、「やっとこちらから会いに行けるね!」って喜んでくれてたね。
東京遠征も、キンマー後の急遽決まったライブだけ見に行ったなあ、渋滞で間に合わんかとヒヤヒヤしたのも思い出です。
お互いに初めて行く北海道での3日間も忘れられない大切な思い出です、二度と戻れない夏。

ほっかいどー



10ヶ月間いろんな場所でいろんなライブを見てきて、迎えた最後のライブ。いつも通りやりたかったから敢えてほとんど後方柵で見たけど、最後のライブが初めて最前にいないライブになるとは思わなかった。
それでも、あなたがずっと言うてたようにどこで見てても楽しかったし、最後のチュリララで、あなたのパートで最前推しジャンしてコールして、させていただいて、ありがとうございました。
なんか、こうやって足が動かなくなるくらいまで跳ぶことも、すきな人の名前を叫ぶことも、もうないのかなって思うと寂しくなるね。
らぶちゅ↔ぺっとで泣いてたとか知らない、煽るのやめてよ

ほんと良くない🤦
てかあの距離でちゃんと見えてるのやばいよな



ライブでたくさんの良い景色を見れたのもあるけど、他にも印象的なのは、れいな自身も言うてたように、初めてのことがたくさんできたことかな。
MVやサブスク、ラジオなど、アイドルらしいというか、アイドルとしてのいろいろな活動ができてるのを見ててニコニコでした。
特に、定期公演で毎回販売されてたグッズは、推しメンがグッズ化されるということにすごく嬉しさを覚えました、ラストのアクスタもかわいくて自分でもお気に入りみたいだし、ほんとうに良かったね。
ちなみに、定期公演は5月以降ずっと通ってたし、9月インフルで飛ばしたときも知り合いのオタクさんがブロマイドとグッズと回収してくれました、ありがとうございました、、、🙇🏻


SS特典ブロマイド
定期公演グッズ
卒業公演アクスタ






僕はてぃんく入ってから一番最初のnoteにこう書きました

れいなが、この先てぃんくでどういうアイドルになるのかはわかんないけど、この環境でなりたいアイドルになれたらいいなって思うし、夢叶えられたらいいなって思う。叶えられる環境だとは思っている、個人的には。

実際のところ、生誕祭とかZeppなどの大きなステージとか叶えられなかったことは僕としても心残りだし、僕ももっと何かできたのかもしれないなあと思うので申し訳ないです。
それでも、れいなさんが自分のなりたいアイドル像に近づけてて、少しでも夢を叶えられていたらいいなって思います。


でも、最近になってすごく思うのは、この環境で夢を叶えられたのは僕の方なのかもしれない、ということ。
れいなの様々な初めてを見守れたこと、フェスや大きいステージでのライブを見れたこと、一緒に遠方の遠征に行けたこと、細かいことまで挙げていくとキリがないくらいたくさんのやりたいことができました。これも、れいながてぃんくに入ってくれたからだし、そこまで通うつもりがなかった僕を繋ぎ止めてくれたからです。れいなの夢を応援するつもりが、逆にたくさん叶えさせてもらっちゃったね。

未来、今と、ヒストリー
ずっとずっと離れないよ



それもあって、僕は卒業発表を聞いたときに、もうこれで最後かなって、自分の中で思うようになった。
れいなさんがどうせ自分卒業しても他にもたくさんアイドルいるし、忘れちゃうんじゃないかって書いてて、それを受けて僕がオタクを辞めるというわけでもないし、それはちょっと違うかなと思うけど、本当にいろいろ実現できたし、もうこれで最後でもいいやって初めて思えたのが大きな理由です。
今までずっと早くオタクやめたいなーって言うてたし、自分の中での最後をやっと見つけられた、それが恋咲れいなでした。


オタクやめたかったはずなのに、最後が近づくにつれて、「もしかしたら僕ってまだ恋咲れいなのオタクしていたいのかも」って思ったし、「いなくなったら僕どうしたらいいかわかんない」ってなってた。
所詮アイドルなんて偶像にすぎないのに、頼るべきでないのに、卒業したら全部なくなってしまうのに、オタクなんて無限にいて僕一人なんて0に等しいはずなのに。なんでこんなにも悲しいんだろう。
そこで、オタクすることが“生き甲斐”というものなのだと、最後の最後に気付かされたような気がした。
そっか、恋咲れいなというアイドルを応援していたことが、自分の中での生きる上での支えになってたんだなあと。しんどいことばかりじゃなかったんだなあと。ちゃんと楽しめてたんだなあと。

何気ない毎日がほら
きっと幸せだって事でしょう




てぃんくとしての10ヶ月間、僕からはわからないことがほとんどだけど、本当にしんどいこともたくさんあったと思う。精神的にも体調的にも無理して頑張ってるところもあったのかなあと思う。正直無理してほしくないなってずっと思ってた。
それでも、自分の中で目標を持って最後までやりきったこと、ほんと尊敬でしかないです。

僕が頼りないから、いっぱい心配と不安と迷惑かけたし、たくさんぶつかったし、そんな僕の言葉が行動があなたのためになってたか最後まで自信ないけど、一つだけはっきり言えることは、僕が大阪から名古屋まで会いに行きたいと思って約500日通い続けたアイドルはれいなだけだし、日数も枚数も全部全部僕の中であなたが一番です。
それくらい僕の中で“恋咲れいな”っていう存在は大きいし大切なんです。
僕にとって唯一無二の推しメンで“アイドル”でした。

全力疾走 この青春は一直線



れいながいたから、僕がオタクとして今日まで存在していたし、最後まで「てぃんく♪ローズレッド担当」としていてくれてありがとう。
あなたがいてくれたから、僕はたくさんの経験ができたし、たくさんの良い出会いがありました。
こんな僕でも、最後まで大切にしてくれてありがとう。いっぱい救われてました。
あなたと過ごした時間はかけがえのないもので、僕の青春でした。ほんとーに、今までたくさんたくさんありがとうございました。

僕の最後の青春


また会えたら、よろしくね。 


(記録)
恋咲れいな
活動日数 320日
ステージ数 253回
お疲れ様でした

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