転機となった東日本大震災
はじめに
今も各地で豪雨災害の被害が続いています。
これまでの災害とは異なり、新型コロナウイルスの影響によって支援が難しい状況にあります。
災害によって日常が奪われてしまった人がいる状況をメディアを通して見るものの、特に大きな行動が起こせない今の状況は、東日本大震災があった当時中学1年生だった自分と重なる部分を感じます。
このような機会だからということでもありませんが、当時のことを振り返り、今につながっていること、大事にしていることをまとめました。
また、私は生まれてから今まで大きな災害にあったことがありません。
被災経験がないからこそ、今後災害が多くなっていく中でできることは何かあるだろうかと少し考えてみました。
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東日本大震災が起きた当時
次の3月で東日本大震災から10年が経ちます。
その後も数多くの災害が起こり、各地で甚大な被害をもたらしてきましたが、僕自身の転機になった一番大きな出来事は東日本大震災だったと感じています。
震災が起きた2011年、当時僕は千葉県に住む中学1年生でした。暮らしていた地域は震度5強ほどの揺れで、震災時にいた中学校では、校舎の一部に僅かな亀裂が入ったり、校庭の一部の地盤が緩むといった影響はありましたが、特に大きな被害はありませんでした。また幸いなことに身内で被災をした人もいませんでした。
震災直後、僕が強い衝撃を覚えたのは、中学校から帰宅しテレビで報道されていたニュースを見た時です。
黒い濁流に飲み込まれていく車や家、大規模な火災、被災した方々の様子など、映画かと錯覚するような、到底現実とは思えない映像でした。
その後も、連日報道されるのは凄惨な被災地の現状。こんなに容易く人の日常は奪われてしまうのだと、子どもながらに感じていた震災直後の数ヶ月でした。
一本のドキュメンタリー
震災後のテレビでは、多くのCMが自粛され公共CMばかりが流れていたかと思います。
そんな中、僕の中でとても印象的なCMがありました。震災後繰り返し流れていたので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。
こちらの曲を歌っているのは、宮城県仙台市を拠点に活動をしているMONKEY MAJIKという4人組のバンドです。
仙台在住の彼らはこの震災により被災し、震災後はメンバーそれぞれが各地で復旧活動のボランティア活動に励んでいました。彼らのその姿を追ったドキュメンタリーの中で特に印象的だった部分が、メンバーのひとり、メイナードが語った以下の言葉です。
当時は福島の原発事故の影響もあり、日本に暮らしていた多くの外国人の方々が自国に避難されたという報道をよく目にしていました。
それがどうという話をしたいわけではなく、どの判断も僕は尊重されるべきものだと思っています。
その上で、先に紹介した彼らの行動はとても簡単には真似できるものではないなと感じました。
もし自分が日本以外の国に在住し、そこで未曾有の大災害に見舞われたら。
安全な自国に帰る選択肢がある中で、同じような行動が取れるか。
彼らのこのドキュメンタリーは、
もし自分が同じような選択に迫られた際に、彼らのように、誰かが助けを必要としている時に行動できる人でありたいと思うようになったきっかけでもあります。
大学時代の経験 宮城県山元町
そして大学に入り、自由に色々なことができる状況になったのだから、一度は自分の目で被災した地域を見てみようと思い、IVUSAの活動に参加し宮城県山元町を訪れました。
当時は震災から5年が経った2016年。
活動場所は町の沿岸部でしたが、当時の僕の率直な感想として復興はもっと進んでいるものだと思っていました。沿岸部一帯は草むらになっており何もなく、外壁にヒビが入り、家の基礎自体ずれてしまっているようなお宅もまだありました。
フィールドワークの一環で、沿岸部のすぐ側に建てられている小学校にも訪れましたが、津波がほぼ最上階まで到達しており、窓ガラスは割れ、建物を支える鉄骨が折れ曲がった状態でそのままになっていました。校舎の中にあるピアノも泥を被ったまま。なにより、教室の黒板にチョークで書かれた文字が残っていたのを見て、本当に時が止まったままのような印象を受けました。
あまりにも衝撃だった当時の僕は、地元の方とお話する機会があった際に、率直な思いを伝えさせていただきました。
「震災から5年が経ち、その間もメディアを通して被災地の現状を見てきたつもりだったが、実際は全然違った。訪れた小学校も現実にあったこととは思えず、フィクションのように感じました」
「当時、直接の被災をしていない自分にとって、被災された皆さんのお気持ちを100%理解することはできないと思いました。自分にできることがあるのか、分からなくなります」
その際にお話してくださった方は、関東から来た見ず知らずの大学生の言葉をしっかりと受け止めてくださり、このような言葉を返してくださいました。
「被災した自分たちが経験したことを、言葉や何かを見ただけで100%感じられるということはないと思う。そこに何も後ろめたい気持ちはいらないし、それが普通だと思う」
「むしろ、5年経った今も、このように気持ちを向け続けてくれる人がいると実感できるだけでありがたい」
もちろん、せっかく東京から大学生が来たのだからということで、気を遣ってくださった部分はあるのだろうと思いますが、当時はその言葉にとても救われたような気持ちがしました。
実際に被災をしていない立場の自分だからこそできることもあるかもしれないと、思えたきっかけでもありました。
その後も毎年山元町には訪れており、行くたびに復興に向け歩みを進めているのを感じます。
災害への備え
僕自身、生まれてから今まで大きな災害に遭ったことがありません。
幸いなことに、自然災害で身近な人や大切な物を失った経験もありません。
そのような中で、被災された方々のお話を聞き、時には実際に被災直後の現地に足を運び、復旧に向けた作業のお手伝いをする度に、
「自分自身も決して例外ではない。いつか自分も被災するだろう」
と、そこにある現実を前に考えます。
ただ、どこか頭の片隅に
「でも自分だけは大丈夫かもしれない」
という気持ちがあることもまた事実です。
自分だけ被災する可能性が無いという確証はどこにもないにも関わらず、油断をするとそのような気持ちが湧いてきてしまいます。
そして、これは決して僕だけの話ではないだろうとも思っています。
今後、広域化・激甚化する台風や数十年以内の発生が予測されている巨大地震。想定される災害が数多くある中で、いざ自分が被災したときに
「ああ、やっぱりちゃんと準備をしておくべきだった」
と後悔するようなことはしたくありません。
できたはずの備えをせずに被災してしまうことは、実際に被災をし、自らの経験を話してくれた方々の”自分たちと同じ経験をしてほしくない”という思いを無駄にしてしまうことと同じです。
被災された方々の経験を聞き、それを教訓として活かし、同じ経験をしないようにすることが、将来の災害に備え準備することができる私たちの務めの一つなのかなと考えたりします。
被災をしてから、防災・減災の大切さを知るのではあまりに遅すぎます。
僕と同様に、災害とは無縁の生活を送ってきた人たちが、今後も災害によって日常が奪われることのないよう、一人ひとりが災害に関する知識を学び、正しく災害のリスクと向き合っていくことは絶対に必要です。
別にその手段は限定されるべきものでもありませんし、何でも良いと思います。本を読んだりネットで調べてみたりすることも良いと思います。
もし大学生ならば、IVUSAが行なっている東日本大震災復興支援活動(宮城県山元町)や災害救援活動も、その一つの手段として活用できうるものだと考えています。
実際に現地に足を運び、行動し、様々な話を聞く。
もちろん大前提は、支援を必要としている人に対して、自分たちができうる最大限の支援をすることです。
ですが、そのような経験を自身の防災・減災を考えるきっかけにするという意味でも、何か実際に行動を起こすことは重要だろうと考えています。
今回の豪雨災害に対して、現状IVUSAとしては、社会状況を鑑み募金活動のみとしています。ただ、今後の状況によりどうなるかは分かりません。
助けを必要とする人がいる時に、行動できる人・組織であり続けるために、
僕自身、自分の身を守る備えを欠かさず、日頃から過ごしていきます。
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国際協力・環境保護・地域活性化・災害救援・子どもの教育支援を軸に国内外様々な地域で活動を行なっています。
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