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当事者じゃないからこそ、できること。

突然ですが、僕はNHKの朝ドラ、連続テレビ小説が好きです。そして今回の「おかえりモネ」は特にハマっています。
あまりドラマはハマらないタイプなんですが、このドラマの中では漁師の世界、林業の世界、気象予報やメディアと言った専門的な職種の世界など、業界ごとのコミュニティの特徴とか、そこの内部の人と外部の人の関わりみたいなものがよく表現されていて、今の自分にすごく響くものがあるというか、正直勉強になる部分が沢山あるので毎日欠かさず見ています。

※この場では、約1週間前くらいの内容ではありますがドラマの内容に触れていますので、読んでくださる方はご了承ください。

ドラマにでてきた、ある1シーン。

ドラマの主人公モネは、気仙沼出身で自然災害が起きた時に自分に何ができるのかを必死に考えています。知人を災害で亡くし、逃げるような形で少し離れた林業組合で働き始め、そこで自然に対する人間の考え方に触れ、生き生きと仕事をするようになります。

そんな中、山は自分の最も馴染みのある海と繋がっていて、それをつなぐ存在として「空」の存在に目を輝かせ、そこから気象予報士という仕事に興味を持ち、必死の勉強の末気象予報士として働き始める、というここまではそんなストーリーです。

そして、すごく考えさせられたシーンがここ。


ある日、気象予報士の同僚が、数年前に起きた土砂災害によって大きな被害が出た時にした自分の気象報道の判断を今でも後悔していて引きずっているということをモネに告白します。そしてその発言に考えさせられたモネは医師の友人に話をします。すると、

「その方の言うことは的を得ているかもしれません。」

と言います。さらに、

深刻な問題に対処するには、当事者ではない人間の方が、より深く考えるべきだと僕は思うんです。

「今痛みを抱えている人や近しい人は考えることすら辛いでしょう?
だから医者のような人間が、たとえ厳しい選択でも患者さんのために考えて決断する。まあ僕はそれが出来ませんでしたけど。

と、自分の職業に当てはめて話します。

このシーンは、自分が守りたい土地や人がいる主人公にとって、気象予報士として離れた場所からできることの可能性と限界について説いていたシーンだったと感じます。医者の彼は友人でありこれから恋愛関係に発展するわけですが、ただの相談シーンではなく、災害が一つの大きなテーマであるこのドラマにおいて重要なメッセージが込められていると思いました。
僕が、このシーンから考えていたことは2つ。

専門性をもつということの社会的意義

一つは専門職と呼ばれる人にとっての「判断すること」の重要性です。
ここで、医者というのはあくまで医療業界における専門職の一例であり、気象予報士や漁師という専門的な職種はこのドラマにはたくさん登場し、彼等全員に当てはまる言葉です。
そして、「地域」に置き換えてみれば、地域デザインのコンサルタントやプロジェクトにおけるディレクターやマネージャーといった「決断力」を求められる立場の人に置き換えることができます。
彼らには、グローバルな知見を持ち、日々外部と内部の情報収集をしながら、当事者をリードするために進める道を提示することが仕事です。時には当事者が気づいていない魅力を再認識してもらうことが仕事になるでしょうし、当事者が短期的にしか考えられないことを長期的な視点で考え、当事者に対してすぐには答えの出ない険しい道に進むことを勧めることもあると思います。

ここで、外の人間でも貢献できることは、「専門性を生かした」事実ベースの提案です。厄介な問題に対しては、一つの明確な答えがあるわけでなく、そんな時に根拠を持った道標があることは、いくらかの可能性を信じて動こうとする人の背中を押す力がある。だからこそ、医者や研究者、コンサルタントのような人たちはさまざまな情報を探しては整理する地道な作業を日々繰り返します。

当たり前のことですが、どうしても当事者の被害や気持ちを一度知ってしまうとドライな判断をすることができなくなることがあります。当事者が判断できないことを判断できる材料を持った人にとって、「決断すること」こそが社会にその情報収集の時間を還元できる意義だと思います。

当事者と一定の距離を置く人だからできる判断

もう一つは、当事者と距離を置くことの意味です。
どこかの土地に関わる仕事をする時、近くで関わる人と遠くで関わる人がいます。これは考え方の違いやプライベートを含めた個人の生活環境との兼ね合いだと思いますが、私自身、「遠くで関わること」も大きな意義があると思っているところをすこしこのドラマでは言語化してくれているような気がします。

最近、私はある町に赴き、一級品のものづくり中小企業とデザイン会社が連携している姿を目にしました。そこでは過去に、漠然と「デザイナー」に対して拒否反応を示す企業群がいたことを教えてくれました。そんな町にで、デザイナー集団は、自ら製品をデザインし、マーケティングすることでその土地での中小企業経営の難しさを理解し、その上で成功事例を作りながら事業者に背中で見せるという関わり方をしているというお話を聞きました。

その中でデザイナーとの連携について考えかたが変わってきたというある企業の社長さんは、「これからの時代、どこかの場所で活躍したいと思うデザイナーは、地域に入り込んで密着型で実践せんとあかん」とおっしゃっていました。

たしかに、実践力があるデザイナーは中に入って実例を作って直接その土地を盛り上げたり課題解決の手伝いをしていくのが最も早い社会への価値提供方法だと思います。

一方で、その場にいるとできなくなってしまうこともたくさんあります。例えば、「泥沼に落ちないように自分をコントロールすること」です。問題が大きければ大きいほど、その問題に熱をもやし解決したいと思うものですが、それを当事者が長い間解決できずにいるのは、当事者として問題の近くにいすぎるからです。一方で専門性を高めてきた外の人間というのは、そういた問題をいろんな視点で俯瞰的に見つめ、分析しながら対処することができます。これは、当事者でないからこそできるアプローチであり、この違いは大事にすべきだと思います。

専門性を高めてきた人がある土地で頑張って大きな一つの問題に対処した時、その人が厄介な問題に飲み込まれてしまい、人間関係に苦しんだり、視点が定まりすぎてしまったりすること、すなわち「泥沼に落ちてしまうこと」が発生するリスクというのは非常に高いと思います。

だからこそ、結局当事者たち「中の人間」ができないことを「外の人間」が「外の人間」としてやることも大事だと思います。これは言い換えれば、協働が必要な問題に対して、外の人間を完全に中に取り込んでしまってはいけない場合があるということだと思います。

外と中、専門家と当事者が協働すること


当事者じゃないからこそできる判断をしてもらい、それをしっかり伝えてもらった上で一緒に解決していく。

この理想の世界ができていくことを願っています。

きっとこんなことを考えながら毎朝の15分を過ごしている人は非常に少ないと思いますが、僕はこのドラマを毎朝見ることが一つのモチベーションになっています。

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