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【雑】花札の思い出

おはようございます、おっさんの道真です。
閲覧していただき、誠にありがとうございます。

サマーウォーズに花札の描写
が出てきた時に「花札きた〜!」
と心の中で叫んだおっさんです!


今回は「花札の思い出」を
伝えていきたいと思います。

結論から伝えますと

花札は爺さんとの思い出

です。


小学生が花札で遊ぶ


小学生の頃に、田舎に帰ると
花札で遊ぶ習慣があったのです。

その習慣のせいか、小学生の
時にルールや役を覚えていました。

自分の記憶が正しければ同級生同士で
花札で遊んだことがありませんでした。

その理由は大人になってからわかりましたよ!

花札は賭博のイメージが強く子供が
遊ぶ物ではないとの印象があったようです。

任侠映画が流行っていた時代でもあり
その影響が出ていたのかも知れませんね!

花札は家族と遊ぶゲームと
思いながら楽しんでいましたよ😄

ルールも地域によって
違うところもあるみたいですよ!


花札の歴史を知ると面白い


花札の歴史を見てみると、けっこう
深い歴史があり知ると結構面白いです!

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日本にカードゲームが
初めて上陸したのは安土桃山時代

南蛮貿易を契機にポルトガル人によって、鉄砲
やキリスト教、カステラ等と共に伝えられた。

天正年間にはすでに国産品が作られ
ており、当時の札が1枚だけ現存する。

江戸時代には、賭博という閉鎖性と
当時の物品流通の事情により、各地で
様々なローカルルールが生み出された。

賭博に用いるかるたへの禁制が厳しさ
を増し、寛政の花札は、この禁制からの
抜け道として考案されたものと考えられている。

明治維新以降も引き続き花札
は政府により禁止されていたが、

1886年には英米のトランプが
輸入されることを契機に、花札の
販売が事実上解禁され、同年に銀座の
上方屋から花札とルールブックが発売された。

これにより花札は
大正時代にかけて大いに流行した。

1902年に骨牌税こっぱいぜいの施行され、花札に課税
されるようになると、日本各地のかるた屋は倒産

現在、花札を製作販売している企業
としては、任天堂、田村将軍堂、大石天狗堂、
エンゼルプレイングカードなどがある。

出典: Wikipedia

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賭博と禁制の闘いの歴史みたいですね😄


花札と爺さん


花札は母親から学んでおり母親側
の爺さんが特に詳しかったです!

その爺さんとよくカルタや
花札で遊んだ記憶があります!

自分の中では

花札=爺さん

で、昔ながらの遊びを学んでいました。
羽子板で遊んだ記憶も蘇ってきましたよ!

今ならわかります。

爺さん=ギャンブラー

だったのではと!

おっさんにも、もしかしたらギャンブラー
の血が混じっているのかも知れませんね😄

賭け事×タバコ×お酒

をいっさいやらない真面目なおっさんです(笑)


まとめ


🔸花札は家族と遊ぶゲーム
🔸賭博と禁制の闘いの歴史
🔸花札=爺さん

今は気軽に花札で遊べる時代!

昔のローカルルールを後世に
伝えることも大切なことですよね!


息子に伝えたいこと


花札と将棋のルールを覚えとこう!

一礼

この記事を推してます。
おっさんを客観的に考察している記事です!
面白いですよ🤣

貴重なお時間のなか、最後まで
お読み頂き、誠にありがとうございました😄

今後もアラフォーおっさんが、頑張っていき
ますので、応援の程、宜しくお願いします🙇

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