『君の瞳が問いかけている』

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主人公の2人がちょっと耐えがたい、いくつかの障害を乗り越えて最終的には結ばれるドラマチックなラブストーリー。
2行程度で書いてしまうと、ありきたりなドラマだろう…と自分でも思う。ただ、「スタンダード」は「つまらない」とは同義ではないのだ。それを言いたくて書いてみる。

今旬の横浜流星にどんな役を演じてもらえば、魅力的で10代・20代の心の琴線に触れてもらえるか、を純粋に追求した作品だと思った。横浜流星はとても美しかったし、吉高由里子は彼女らしさを全開に軽やかに障害を持つ女性を演じ過度な悲壮感が無く、好演していた。

『キミの膵臓を食べたい』を観た際に、面白いけど、『セカチュー』的設定を10年経ってもまだやってるのか…という、ちょっとうがった感想も持った。
が、「セカチュー」はぼくの世代が20代前半の頃に初体験した物語であり、今現在の10代・20代にとっては思春期に出会い恋に落ちたチャーミングな女の子と突然死別してしまう物語はとてもドラマチックであり、それを今が旬の俳優達が演じることにとても意義があるのだ。1990年代、1980年代にも同類のラブストーリーは各々の世代のマスターピースとして語り継がれていくのだと思う。
「凡庸」だったり「既視感」を感じるのは、ぼくが歳をとってしまい、既に色々見聞きしてしまっているせいだ。その批判的な意見は自分の経験値前提に語っており、非常に自分本位な感想だったのだと、とても反省した。
 新人俳優に同じようなステージを用意することは次につなげる意義がある。これは歌舞伎の世代継承も同じだし、劇団四季が長いことライオンキングなどの名作を上演出来ているのも同じである。同じ演目や同じシチュエーション、同じ目的・テーマ性の作品を次の世代へ引き継ぎ、未だ体験していなかった若い世代にバトンを託していくのだ。

そこまで再認識し、少女マンガ原作等の作品を手がけ続け、10代・20代の若者達の心の琴線を震えさせ続ける事に立ち向かう、三木孝浩監督のスタンスに敬服した。

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