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ロシア風邪で振り返る「対策しないが最上の対策?」 スペイン風邪でのワクチン信仰 史上最悪のインフルエンザ編⑤ 

「史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック」(アルフレッド・W・クロスビー著、西村秀一訳 みすず書房2004年発行)では、当時から裏付けに乏しいワクチン信仰があったことがわかります。マスク着用義務などほかの対策も含めて何もしなかったら、どうなるのでしょうか。本書では、わずかに触れるだけのロシア風邪にどうやらヒントがありそうです。
 

ワクチンは「街路清掃」と同じ「人々の高ぶった神経を静める」


<科学者たちがスパニッシュ・インフルエンザを駆逐するワクチンをつくろうと昼も夜もなく働いていた。市民が待ち望んでいた奇跡のワクチンが、フィラデルフィア総合病院の細菌学者チームのチーフ、C・Y・ホワイト博士の手によってつくられ…無料で市内の何百人という医師たちに配られ、即座に数千名の市民への接種が開始された。>
随分、簡単に実用化に踏み切るものだと思います。その効果が気になりますが…。さらに続きます。
<実はこの時代…インフルエンザにも本当に満足できるワクチンはまだつくられていなかった。しかし、ホワイト博士のワクチンは、もうひとつの意味で役立っていた――それはボストンのティモシー・リアリー博士やニューヨークのウィリアム・H・パーク博士の開発したワクチン、あるいはフィラデルフィア市の街路清掃局がインフルエンザ撲滅キャンペーンの一環としておこなっていた「夜ごとの街路の水洗清掃作業」についてもいえることだった。それらはみな、人々の高ぶった神経を静めるのに役立っていた。>
 

発生も治療法も予防法も米国東部発


次は大勢の逮捕者を出したマスク着用条例をつくったサンフランシスコ市の記述です。
<インフルエンザワクチンは、1918年ごろはたいへんな威光を放っており(今にしてみれば、当時のワクチンは実際、免疫学的にはなんの価値もなかったのだが)…できるだけ多くの市民にこのワクチンを接種しようと躍起になっていた。…初めのうちは東部からワクチンの供給を受けていた。東部は、アメリカの中でスパニッシュ・インフルエンザとすれに対する治療や予防手段とされるものがいち早く現れたところである。>
 
免疫学的になんの価値もなければ、ワクチンとは言えないと思いますが、躍起になって接種する根拠はあったのでしょうか。
次の一節に疫病におけるワクチンの本質がうかがえます。
 

効いたのではなく単にパンデミックが下火になったから?


<ワクチンは一見効いているように見えた。もっとも、それは単にパンデミック自体がとうとう下火になりかけていたからであって、インフルエンザとの闘いに用いられたほかのすべての手段も、同様にあきらかな効果を示しはじめたかのようだった。>
 
「ワクチン副作用の恐怖」(2017年文藝春秋)を書いた近藤誠医師は、過去の英国での麻疹死亡率の推移、日本でのジフテリアの発症数と死亡率の推移、英国での破傷風の死亡率の推移などを示し、いずれも発症数や死亡率が下火になってからワクチンが導入されていることを明らかにしています。
まさにワクチン信仰者には不都合な真実です。
 
ましてや、変異しやすいウイルスに対するワクチンはさらに開発が難しいものです。インフルエンザワクチンを毎シーズン接種している方も実感しているでしょう。どんな型が流行するかわからないのに型を決めて接種する意味がどれだけあるのだろうか、と。
 
「史上最悪のインフルエンザ」では、ロシアから世界中に流行したロシアン・インフルエンザについて、
<流行の広がりの割には死亡率が低いということだけに注目した医師たちは、このインフルエンザが単に、1890年代にあった、世に言う「ロシアン・インフルエンザ」の再来ではないかといった考えに傾きがちであった。>
<1889-90年に起きたロシアン・インフルエンザに曝露された結果としてそのような抗体を持っている可能性…>
など、わずかに触れているだけで、その実態がよくわからないのですが、
同じく近藤誠著「新型コロナワクチン 副作用が出る人、出ない人」(2021年小学館)の中で興味深い指摘がされています。まさに温故知新です。
 

対策なしのロシア風邪は1年2か月で収束


<1989年10月、旧ロシア帝国に始まったロシア風邪は、またたく間に世界に広がり、4か月で世界を一周しました。今でいう「パンデミック」(世界的大流行)ですね。
ロシア風邪は翌年12月までに収束しましたが、100万人が亡くなったといいます。世界人口が15億人のときのことなので、現在の人口(78億人)だと500万人が死亡したことになり、今の新型コロナのパンデミックを彷彿させます。さてロシア風邪は長いこと、インフルエンザウイルスが原因だと信じられてきました。が、「コロナウイルス原因説」が登場しました。…
つまりその頃、牛コロナが人間社会に入り込んで、パンデミックを引き起こしたのではないか、というわけです。…
また科学者もウイルスというものを知らず、何のコロナ対策を取ることができない19世紀だったのに、1年で流行が収束したのも参考になります。>
 
付け加えたような箇所ですが、近藤医師が言いたかったのは現代医学の対策への疑問でしょう。
「新型コロナとワクチンのひみつ」(2021年ビジネス社)では
<ロシア風邪は1890年12月までに収束しました…(感染対策がない時代だと、流行は1年ですむ?>と書いています。

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