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湯川秀樹は偉かったか?(有料記事含む)

世の中が善人ばかりと言わないまでも、少なくとも名のある科学者は善人ばかりだろうと思っていた頃、アインシュタインが湯川秀樹に米国の原爆投下を泣いて詫びたというエピソードを聞いて、真偽もよくわからないまま、感心していたことがあります。
しかし、今となって、それが真実なら、なぜ湯川秀樹に謝ったのか? なぜ湯川だけに? 湯川は日本人を代表していない。日本人に謝れよ、と思います。
「アインシュタインはうさんくさい」

で書いたように、アインシュタインはルーズベルトに原爆開発をご注進した後にアメリカの市民権を得て、日本に2発投下した後は、一転、世界政府の下での平和実現という活動を始めたことに大いに疑問を持っています。都合のいい変節です。現実主義者が理想主義者に変節したと感じるのです。
北朝鮮が体制を維持できているのも核抑止力が厳然と存在しているからで、核兵器大国が決して核軍縮することはありえません。核兵器を保有する反日の隣国に囲まれたわが国で核兵器の保有が議論さえも許されないのは異常ですし、国際機関のうさんくささを見れば、世界政府が核兵器を一元管理などできるはずもありません。
 
パグウォッシュ会議は、武力紛争の危険を軽減し、世界的な安全保障の脅威に対する解決策を模索するために学者や著名人を集めた国際組織です。1955年にラッセル=アインシュタイン宣言が発表された後、1957年にカナダのノバスコシア州パグウォッシュでジョセフ・ロートブラットとバートランド・ラッセルによって設立されました。

優秀な日本の物理学者を差し置いてノーベル物理学賞を日本人第一号で受賞した湯川氏 ウィキメディアコモンズより


同会議の初会合に日本から参加したのは、湯川秀樹氏ら3人です。
1949年京大教授湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞は敗戦後の日本を大いに勇気づけたと言います。日本人のノーベル賞受賞第一号であり、その後「京大の自由な学風があればこそノーベル賞受賞者を東大より多く輩出するのだ」という話も東京なにするものぞ、と肩ひじ張っていた関西では当たり前に聞かれました。
その湯川氏について、気になっている話があります。
センシティブな話でもありますので、有料記事とさせていただきます。
 

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