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ギャロが固執しファウチが守ったHIV/エイズ仮説がコロナパンデミック対策の起源 HIV発見者問題㊦

ジョン・クルードソン著「エイズ疑惑」(小野克彦訳、1991年紀伊國屋書店)から、意外なHIV発見のいきさつを紹介しています。
「勇み足」と「棚ぼた」いう言葉が思い浮かびます。ロバート・ギャロ博士のHIV以前の足跡です。
1970年ヒト白血病細胞で逆転写酵素を発見したことを初めて論文報告⇒同じ実験をやっても再現できない
1975年ヒトがんウイルスの分離を異例の新聞発表⇒歴史的発見の追試の結果、ヒトではなく、尾なしザルとヒヒのウイルスの混合物と判明
その後がんウイルスの話は下火に
しかし
1980年ギャロ研究室のポイエスとルセッティの若き研究者二人が、最初のヒトがんウイルスの分離に成功。ギャロは長期海外旅行中でした。白血病患者ではなく、まれなリンパ腫患者から分離されたため、帰国後報告を受けたギャロは失望したものの、期待を込めてヒトのウイルスHTLVと名付けた。
※1982年、「次期ノーベル賞」と言われるラスカー賞の一回目をギャロは「ヒト白血病・リンパ腫の原因となるRNA腫瘍ウイルスの発見を導いた先駆的研究」を理由に受賞します。
 
今回の本題は、「エイズの唯一の原因である」HIV第一発見者を巡る米仏間の応酬について、です。
前回HIV発見者問題㊥までにゴングは鳴りました。
ギャロは一貫して自分のウイルス(HTLV‐3)が「エイズの原因の最有力候補」「ウイルスの分離株を多数持っている」と吹聴します。しかし、ギャロ研究室では、HTLV抗体陽性者のエイズ患者の割合は低い一方、モンタニエのウイルス(LAV)抗体陽性者のエイズ患者は高い割合で見つかります。
 
そして、ギャロ最高の晴れ舞台となったのが
<1984年4月23日 米保健福祉省長官マーガレット・ヘックラーの発表。「エイズの原因が発見されました――ヒトがんウイルスの変異株で、HTLV‐3と呼ばれます」。ギャロ、このウイルスがLAVと同じものかどうかはわからない、と記者たちに語る。同日、政府の弁護士たちが、ギャロのエイズ試薬の特許を申請。>
 
しかし、その前後にあっても各陣営の研究は続きます。
紳士協定で追加提供までフランスに求めたLAVと、ギャロのHTLV‐3との比較試験結果は「比較研究には不足」と弁明、「LAVとHTLV‐3は驚くほど似ている」ことについては、「(LAVを提供される前の)1982年秋以降ウイルス分離株が独自に得られていた」と、まさにあー言えばこー言う状態です。
 
そして、サイエンスで4本の論文が発表された1983年5月から1986年9月までにギャロは数々の受賞(アメリカがん協会名誉賞メダル、ハバート・H.ハンフリーがん研究賞、二度目のラスカー賞)をしました。
 
名誉の次は利権の確定です。
<1985年5月28日 ギャロのエイズ抗体検査試薬に関して、合衆国特許4,520,113号が合衆国政府に与えられる。>
<1985年8月 ギャロ、[1982年の秋以降、HTLV‐3分離株がわれわれの研究所で独自に得られていた]と論文中で主張。>
 
当初はアメリカ優勢ですが、ある情報をきっかけにフランスが巻き返します。
<1985年8月6日 パストゥール研究所所長レイモンド・ドゥドンデ、ワシントンで保健福祉省(HHS)高官に会い、エイズウイルス発見の栄誉と血液検査試薬の特許料の分け前を要求。>⇒1か月後HHSはパストゥールの要請を拒否
しかし、3か月後、パストゥール側のアメリカ人弁護士が匿名の電話(※顛末を知るがん研究所員の実名も挙げる)を受け、1984年5月にギャロがサイエンス誌でHTLV‐3とパストゥールのLAVが「異なるらしい」ことを示唆した論文のHTLV‐3写真は、実はLAVと知らされる。
これで事態は大きく動き、HHSがパストゥールに妥協案を提示⇒パストゥールは断り、合衆国政府を違約のかどで訴える
※ギャロは1986年4月18日のサイエンス誌掲載の手紙で、実はLAV写真だったことを知ったのは最近のことと述べましたが、その後もフランスからLAVを受け取る以前に自分の研究室で分離済みであったことを主張し続けます。いやはや…。
 
その後も紆余曲折ありフランス勢が法廷闘争で巻き返せそうになった頃、1987年3月31日、レーガン米大統領とシラク仏首相が、両者をエイズの病原体の発見者とする合意書の重大発表を行いました。
合意書の中身は、仏側は、米国製のエイズ検査薬(フランス勢が研究者のよしみでギャロに分与したウイルス株を使用して作られたらしい、販売によって得られるはずだった特許料は数百万ドルにのぼる)の特許権に対する異議申し立てを含む合衆国への法的手続きを取り下げることに合意。米側は、双方の研究者を試薬の発明者とする新しい特許権の発行に同意。
 
政府合意発表の8日前に、ギャロ・モンタニエ間の合意も成されましたが、ギャロはフランス勢がエイズの原因ウイルスを発見したのではないという主張をすぐにやめ、自分がフランス勢よりも先にエイズウイルスを発見したのだという主張もやめていました。こだわっていたのは、このウイルスがエイズの原因であることを証明した栄誉は自分にあるということです。
 
これこそが、HIVがエイズの唯一の原因であるとするHIV/エイズ仮説につながるものです。ギャロ博士の栄誉と特許料を支えるだけではありません。ファウチ博士がエイズ治療薬開発の中心にいて、世界中に疫病が蔓延すると煽った自身の行いを正当化し、絶大な権力と予算を維持するためには、この仮説は絶対不可侵で、すべての異論を陰謀論に仕立て上げることが必要でした。
「〇〇ウイルスが〇〇病の単一の原因。これから世界中で蔓延するので規制当局は陰性か陽性かを簡便に判定する方法と、治療方法を推奨するので、従うように」というマニュアルです。
だから30数年後のコロナパンデミックの出発点はエイズパンデミックにあると言えるのです。
 
最後に日本人研究者がレトロウイルス研究に果たした役割について、締めくくりたいと思いましたが、再び紙幅が足りなくなりました。番外編として次回にお伝えします。

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