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もやもやパワーと小周天

前回、人間に発現して、その人を見た目的にも精神的にも大きく変えてしまう「もやもやパワー」について書いたけれど、この間も「高校生が違法画像撮影して逮捕」とか、「AV禁止法」をめぐる意見のあれこれとか、アメリカでの銃乱射事件とか、「もやもやパワー」をめぐる事件がたくさん起こっている。

https://www.bbc.com/japanese/61574506.amp

前も書いたが、性衝動も破壊衝動も、逆にアパシーや引きこもりも、今の時期で言えば五月病も、この身体も莫大に窯変させる「もやもやパワー」が原因というのがおおよその気功的な実感で、これが進化しつつ、徐々に減退していき、ある時に急激な減退を迎え死に至るというのが、人生の構図なのだと思う。

正しく古典に則れば、これは先天の腎気によるのであり、これを質的に転換しつつ、養生し失わさせないのが気功の本道で、いろんな功法や諸説は皆これに行き着く手段なのだと思う。

今日言われる、この「もやもやパワー」のコントロール方法というのは、一般には2つの方法しか無い。

ひとつには発散である。
「変なこと考えてないでスポーツをしろ」もそうだし、実際に性的に発散させたり、暴力的な練習をしたりするのもそれ。身体を疲れさせたり、代用物や実際の他人の身体を使って精力を放出させたりする方法。
でも、これには大きな欠点があって、無駄に失わせてしまった腎気は元には戻らないってこと。特に年齢を考えずに同じ発散を継続するのは問題も多く、貝原益軒の『養生訓』などに年齢による性行為の回数が出てくるのもそれで、本格的に養生をせず、普通の食事をして歳を重ねた場合の事例だと解釈するのがいいと思うが、とにかく精を失うとリカバリーは難しいわけです。

もうひとつは我慢。
そういうことは「汚い」「醜い」とか罪悪感だけを与えたり、具体的な方法を示さずに耐え忍ばせる方法。つまりは強力な精神的圧力で抑え込もうという方法。
でもこれにも非常に悪い影響があって、何しろ身体にあれだけの具体的変化をもたらす湧き上がる「もやもやパワー」を精神力だけで(多くは罪悪感を付加して)抑え込もうとすれば、副作用はものすごく大きく、特に精神をぶっ壊される可能性が大きいわけです。
全部が全部、アイザック・ニュートンのようにはなりはしないのはいうまでもない。

最近は性自認の問題(気功家からすれば『我慢』によって別な噴火口を作ってるケースが多いと思う。ごく幼少期から環境の圧力などがなくそうなるケースはそれほど多くないはず)などからトリプトレリンなどの思春期ブロッカーの薬剤もあるが、結局思春期の発現をホルモン剤などで忌避させるわけで、12歳で起こる性徴を薬剤で18歳まで遅らせた場合に、以降に正しく二次性徴を含む発育が行われるのかには疑問も多いらしい(人生を巡る『もやもやパワー』のうごめく時輪は止められないし、時輪を逸脱しておいて周回遅れで戻ればそれには当然リスクがあるし、その人本来の発育には至らないだろう。さらに何らかの形で発散されようとする『もやもやパワー』を抑制しても別な噴火口を作るだけということになりかねない)。

そこで、このすぐに「噴き上ろう」「隙あらば漏出しよう」という「もやもやパワー」の第三の手口こそが、気功だと言える。手前味噌だが、たとえば気功というと想像される功法の「小周天」などのように、気脈を周回させることで落ち着かせ、質的にも向上させるコントロールする方法が実際には一番有効なように思う。

たとえば気功の概念に密接する東洋の武術などでは、バイオレンスとしての武技の練習にとどまらず、内丹の充実やそれによる感覚の変化や、徳の実感や修養といった方面にまで及ぶのは、このことで、優れた師範のもとで正しく修練した人であれば、粗暴とは真逆な地平に至るのはよくある。
日本の産んだ天才 嘉納治五郎翁が柔道は「精力善用・自他共栄」の道と説いたのはこれで、優れた師範は万が一粗悪な練習者が生まれた場合、何が汚されるかよくわかっているのだと思う。

余談だが、ネット上にもたくさんいる、人の殴り方、腕の折り方だけを学んで嬉々としている粗暴者の師匠はその落し前をどうつけるつもりなんだろう。

ではどういう状態が理想かといえば、以前引用した張紫陽の『八脈経』にあるような、「天根月窟を閑(しず)かに来往し、三十六宮すべて是れ春なり」な状態にするのが理想だろう。先天の気を無駄にせず、身体は軽く健やかで、見た目は歳を取ってもかえって生命力は横溢し、静かで穏やかな境地にいて、酒に酔ったような望洋とした様子で、バカに見えるように無駄に尖ったりしないのがいいのだ。
「もやもやパワー」を高品質な羽毛のように変質させ、その温かい布団にくるまっているような状態を作っておいた方がいいのだ。
その状態はすべての初動として最適な状態であり、自身を満たす羽毛は時に剣、時に筆、時に鍬、時に針のない釣竿に、瞬時に変わることをおそらくまともな練習者は実感できると思う。

張紫陽の『八脈経』を李時珍が引用した原文は、以下の記事の末尾にあります。興味のある方はご参照ください。

先天の気・後天の気については次の記事がわかりやすいので、興味のある方はご覧ください。

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