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【WBC】とうとう明日で終了・・・「憧れを超えた侍たち」私的チーム&リーダー論

毎朝入って来る大リーグ大谷選手の活躍で一日が始まり、日本のプロ野球でもついついWBC侍メンバーの活躍をフォローする日々を送っております(笑)。にわかファンなので、どの球団というよりも侍たちが各球団にいるもんで、どこをどう応援していいのやら・・・笑。

まだまだ余韻冷めやらぬWBC。でもいいですよね!興奮を維持したままメジャーリーグも日本のプロ野球も楽しめていますから。そして今後は他のスポーツでも大きな大会を控えていますから、スポーツの日本代表チームがそれぞれ活躍してくれることで、自分たちも頑張ろうという気持ちになりますよね。さて、今回もWBC話なんですが、ここ最近目を通した雑誌やネット記事から私自身がとても興味のあるチーム論、リーダー論的な話をしていきたいと思います。

栗山監督は若い選手の心を掴もうとしていなかった!?

野球界では「監督を男にしたかった」という科白が優勝後に飛び交うことが多い。だが今回はその種の浪花節は聞かれなかった。栗山監督はそのようなメンタリティーを求めなかったのではないか。監督のためではなく選手自身のためだ。それをクールに割り切れるところが従来の監督との違いの一つだ。

「栗山監督」はなぜ若者に慕われる指導者になれたか/小林信也(週刊新潮6月8日号)

たしかにこれまでの歴代の監督像とは少し違うというのはあったかもしれませんね。ダルビッシュ選手に「ダルー!」と言いながら駆け寄って頼みごとをする、源田選手にも「源ちゃん!」というようにフランクな関係を醸成されていました。賛否両論あるかと思いますが、これが栗山監督スタイルなのですから外野が口を挟む必要ないですよね。ちなみに私もどちらかというと、こうしたアプローチを好む方なので、とても共感できました。ただし、このスタイルが全員に通じるかというとそうでもないということもあるのですが・・・それはまた別の話。

侍ジャパンコーチ陣も苦労人だった!?

栗山ジャパンで選手と接するコーチたちはそれまでの野球人生で必ずしも勝利者とはいえない「苦労人」だ。栗山監督自身、大学4年時に自ら売り込んでヤクルト入団を勝ち取ったテスト生だ。城石コーチも2度甲子園に出場したエリート球児だが、大学では体育会体質に疑問を抱き、中退。その後栗山監督の著書を読んで再度挑戦し、日本ハムでプロ入り。厚澤コーチも日本ハムのイースタンリーグで活躍したものの、一軍では活躍できずに現役を引退。必死にコーチを勉強し、実力をつけて栗山監督の信頼を勝ち取った。

「栗山監督」はなぜ若者に慕われる指導者になれたか/小林信也(週刊新潮6月8日号)

やはり、失敗したことがある、ということが大きな財産(・・・ってこれスラムダンクの山王工業、堂本監督の言葉じゃないですか!!)というのは本当にありますよね。成功体験しかないと、ピンチの状況で対応できませんからね。ご自身が苦労してきたからこそ分かることってたくさんありますよね。光り輝く才能を持ち、目をキラキラさせながら日の丸を背負い、先輩(ダルビッシュ選手、大谷選手ら)たちの一挙手一投足を追っている野球少年たちを「なんとか世界一にしたい!」とコーチのみなさんも奮闘したのではないでしょうか。

栗山監督の信念「本気で選手を信じる」

「(栗山監督は)人を信じる力が選手を動かすことが多いなあとつくづく感じます。普段のセオリーに沿わずに選手を信じた時に何かが動く。源田選手が走者に出て右手の小指を骨折した時、諦めなかったのもそう。村上選手を打席に送った時もそう。選手を信じる。信じぬいた先で選手が力を発揮する。」(厚澤コーチ)
「(栗山監督は)投手が打たれた、打者が打てなかった、すると選手が力を発揮できる場面で使ってやれなかった『自分の責任だ」と本気で言うんです。(中略)選手を信じる力が他の監督とは全然違います。」(城石コーチ)

「栗山監督」はなぜ若者に慕われる指導者になれたか/小林信也(週刊新潮6月8日号)

いやー、これって本当に難しい。というか、普通はそこまで辛抱できないんですよね。腹が据わっているというか、どっしり構えて選手を「信じる」。日常の我々で言うと、部下(という言い方もあまり好まないのですが)、メンバーを「信じる」という感じでしょうか?通常モードであれば、こうして鷹揚に構えることができますが、いざ突発的な出来事などが入ってくると、やっぱり自分が動いて処理をしてしまう・・・自分などはこのレベルから抜け出せず、未だに反省の毎日です。これって本当に激務ですよね、「信じる」と決め、結果については全責任を負うという。準決勝のメキシコ戦のラストなどは本当に神がかっていましたよね。

「家族みたいな、いい雰囲気でした」湯浅投手

優勝の決まった瞬間、ブルペンのドアを押し開けて歓喜の輪が広がるマウンドめがけて一目散に走っていった。「初めてですね。あんな・・・なんて言うんですかね・・・ああいう雰囲気の中で全員が一つの勝ちに向かっていく。本当にいい経験をさせてもらったと思います。

2月中旬から1か月余り、23歳が手にした一番の宝物は、日本代表ほ旗のもと、チームの垣根を超えて集まった屈指の投手たちから受けた刺激と共に育んだ熱い絆だ。特に憧れのダルビッシュ選手から受けた影響は大きかったという。「僕ら世代にもダルさんから話しかけてくれて、家族みたいないい雰囲気を作ってくれたんです。(中略)短期間でしたけど、本当に楽しくて内容の濃い時間を味わうことができました。

湯浅京己「シンデレラストーリーには続きがある」佐藤春佳(Nunber1074号)

侍ジャパンチーム全体がとてもいい雰囲気だったように見えますが、中でも「投手チーム」は本当に良かったんでしょうね!先ほどの佐々木&宮城コンビだけでなく、オリックスの山本投手や中日の高橋投手らもしきりに「とてもいいチームだった!」というコメントをあちこちでされているので、本当にそうだったんでしょうね。これって意図して毎回作れるものでもないんですよね。それこそ「天地人」~天の時、地の利、人の和~の世界。同じようなチームを作ろうと思っても、参加するメンバーが違うと全く同じようにはできませんからね・・・。今回はいろいろなものがビタっとハマったんでしょう。

選手一人ひとりのやりたいことを満たす道を探り、提供する

ダルビッシュ選手には先生役を与え、大谷選手はみんなが一目も二目もおく総大将に祭り上げた。源田選手には骨折を押して出場する男道を用意した。あくまでも選手の心を満たすお膳立てに徹し、成果を挙げた。それが栗山監督の秘密ではないだろうか。

「栗山監督」はなぜ若者に慕われる指導者になれたか/小林信也(週刊新潮6月8日号)

確か栗山監督がどこかの番組で、今回の侍ジャパンの選手たちは皆プロフェッショナル。一人一人がどういう動きをしなければならないかが分かっているので、彼らの役割をしっかり果たせるような環境を作った、というお話をされていたと思います。ですから「育成」というような視点ではなく、全体統括に徹することが出来た、という点も大きいのでは思いました。全員の持てる力を最大限に発揮してもらう、そのために徹底して選手たちを「信じる」ということでしょうか。

そして実は何より今回、とても寛大だったのは西武ライオンズの球団フロントの方々ですよね。もちろん源田選手の「漢気」は後世まで語り継がれると思うのですが、球団側も「源ちゃんのやりたいようにやらせてやってくれ」というメッセージは並大抵の気持ちでは言えないレベルの言葉だと思います。それに対して栗山監督も毎回、西武球団に謝罪と謝辞の言葉を伝えていたといいますから、実はこうした「裏側」にも素晴らしいストーリーが作られていたんですね。どうする?明日までだぞ(笑)。

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