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私がどの様にしてトランスジェンダーとして生きる様になったか(前編)

今回と次回の全2回で前編・後編に別けて、
私がどのような経緯でトランスジェンダーとして
生きる様になったのかをお話したいと思います。

トランスジェンダーとして生きる人は
みんな同じような道を歩んでいるわけではなく、
男性や女性が人それぞれであるのと同じで、
人それぞれ、実に色々な道を歩んで
トランスジェンダーとして生きておられます。

性別違和を抱えている方もいらっしゃれば、
そうでない方もいらっしゃるでしょう。

では私はどういう経緯で
トランスジェンダーとして生きているのでしょうか。



①幼稚園~中学までの男子からのいじめ

私は幼稚園から中学2年にかけて約9年間、
毎日いじめられていました。

毎日です。

その時、どんないじめられ方だったかを
記すと大体こんな感じです。

幼稚園の頃は、ぜんぜん優しい方で、
同じ組の園児からおもちゃを取られたり、
仲間外れにされるといった具合でした。

まぁよくある光景です。

これが小学校に入ると、だんだんエスカレートします。

具体的にはこんな感じです。

  • 教科書を隠される

  • 教科書を目の前で燃やされる

  • 椅子や机、靴の中に画びょうを撒かれる

  • 机の中に動物の死骸や昆虫の死骸、
    食べ物を放り込まれる

  • 机にマジックでいたずら書きされたり、
    カッターで罵詈雑言を掘りこまれる

  • お手洗いでおしっこを掛けられる

  • 上履きや靴を隠される

  • 集団で囲まれて殴る蹴るを受ける

こんな感じのものが小学校から
中学2年まで続きました。

両親はお店を経営していましたが、
常に赤字経営で子供の事など
構っていられない状況でした。

また学校の先生も、普通ならこれだけ酷ければ
先生が何かしら対処すると思われるのですが、
見事に中学2年まで「見て見ぬ振り」
先生ばかりでした。

中学1年のある日、とうとういじめに耐え切れず、
3日間登校拒否をしました。

と言っても、学校に行く振りをして家を出て、
近所の防空壕に隠れ、学校の下校チャイムが聞こえたら
学校に行った振りをして帰宅するというもの。

しかし3日目、
両親に学校へ行っていない事がバレました。

当然と言えば当然なのですが、問題はその後です。

父は学校へ行かなかった理由も聞かず、
頭ごなしにビンタしてきました。

その時、

「あぁ私には誰も大人の味方がいないのだ」

と悟りました。

自ら命を絶つ事も何度となく考えましたが、
そんな事をする度胸もありませんでした。

結局、中学2年で担任が中学一恐れられている
体育の先生に変わり、その先生が私の礼儀礼節を
気に入って下さった事で、いじめは終息します。

ただ、中学2年でいじめは無くなったものの
この後、高校進学してから、
さらに事件が起こる事となります。

それは後編でお話したいと思います。


②唯一の味方

さて、ここまで約9年間、
多くのいじめを受けましたが、
私はこのいじめを受けていた時、
唯一味方となってくれていた人たちがいます。

「女子」

です。

男子に寄ってたかっていじめられていれば、
女子の集団がどこからともなく来て、
追い払ってくれ、私を慰めてくれました。

また女子の見ていない所でいじめられても、
女子のみんなが
「大丈夫?」
と気遣ってくれました。

その頃の私にとって
女子は、唯一の救いの存在でした。


③女子への敬意、そして・・・

そしてそうやって女子に救われているうちに、
女子に対する敬意が芽生え始めます。

そしてその敬意はやがて、

「女子に近づきたい、女子の仲間になりたい」

という気持ちとなり、それがいま
私がトランスジェンダーとして生活する
精神的な根幹になっています。

このいじめられ続けてつらかった時代に、
女子が優しく、力強く
私を守ろうとして、気遣ってくれた事が、
今の私という人間を作り上げた
とても大きな要素です。

ですから、今でも私は女性に対し、
尊敬の念を持っていますし、
もっともっと仲間になりたいと
思っています。

もちろん、どこまで頑張っても
本物の女性になる事は出来ないのも
小学生の時点から理解しています。

ただそれでも、可能な限り
女性の仲間になりたいと思い続けています。

(後編に続く)

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