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自分には社畜の適性があるのかもしれないという話

気付いたきっかけ

「どうも、効率的な仕事ぶり、充実した私生活。キャリアウーマンです!」

ブルゾンちえみさん(現在は藤原しおりさん)のネタの台詞である。覚えている方も多いと思う。
このネタを初めて見た当時の私はこう思った。

「この台詞は私生活に重きを置き、仕事はそのためのものに思える。キャリアウーマンを名乗る人は仕事が第一なのではないか?」と。

そしてそれをふと思い出した。今。なぜか。
どうやら私はナチュラルボーン社畜なのでは?と気が付いた。

自分を振り返ってみる

思えば小さい頃から自分の得意分野ではかなりの負けず嫌いだった。
幼稚園の頃から納得のいく出来のいい絵を描こうとしていたし、1番文字の小さい本を読もうとしていた(当時はそれをかっこいいと思っていた)。

そしてそれは小学校中学校高校…今に至るまで続いている。ほどほどが1番と言う考えに至った試しがない。

結果としては凡庸な人間なのだが、それでも自分にできるギリギリの良い結果を出したいのだ。

さらに困ったことに、遊びもせずに働く、事業を展開する傍ら留学する、昼間は会社員で夜は大学で勉強する、といった異次元の努力家に憧れる感性の持ち主だ。

いや、彼ら彼女らが素晴らしいことに疑念の余地はないのだけれど。自分が真似するには余りにもキャパが違い過ぎる。それでも憧れる。

実際、高校までは勉強ばかりして過ごしてきて周りから見たら楽しそうには見えなかっただろう。地味な学生生活だっただろう。でももし高校生活をやり直すことになっても同じ道を選ぶ。

勉強に追われる生活は苦しくもあり楽しかった。テスト前の詰め込む時間もゲームみたいで結構好きだった。今なら同じ時間でもっと効率的に勉強できるのにとすら思う。怖…

高校3年生になり、進路選択に迫られる時になって初めて、私は「そこそこの頑張りでそこそこの給与を得たい人」「出来るだけ楽をしたい人」がいることに気付いた。なんならそっちの方が多いことに気付いた。周りが見えていなかったのだね。衝撃的だった。

そういう方々は凄いと思う。あまり頑張りたくないという思いは横に置いておいて大学受験をを突破し、就活を攻略し毎日会社に行き、成果をだし人のためになる仕事をしているのだから。

きっと社会に生きる1人の人間としての責任感が強いのだろう。私はこの性格がなかったらそこまで頑張れていたのか分からない。生きていくために仕事はしていたと思うが。

どうしてそんなに負けず嫌いなの?

昨今よく言われるワークライフバランスの重要性は頭では分かっているつもりだ。
しかし、私はワークの方に打ち込めなければ、そして成果を出せなければ落ち込んでしまって休むことも出来なくなる。

何かが上手く出来ないことからくる落ち込みは、気分転換を図ってもモヤモヤが残る。それについて徹底的に関わらないように避けるか、出来るようになるまでやるしかない。

例えば私は運動が苦手で、頑張っても改善の余地がないと思ったので高校までの体育はとにかくやり過ごした。授業時間が過ぎるのを待った。大学に入ってからもスポーツの機会は徹底的に避けた。

一方、勉強は得意ではなかったがかなりの時間を費やした。出来るようになったかと言われるとそうでもないのだが、少しずつレベルアップしてきたと言う実感はある。

社畜になるとは言い切れないけれど

まだ学生なので仕事ではそんなにやる気が出ないと言う可能性はある。十分ある。

私も自分の戦う場ではない場所にはそのやる気は適用されないし、会社という場で要求される以上のやる気は起きないかもしれない。

今までやる気を絶やさず来れたのは、ペーパーテストが割と好きで、テスト勉強などもそこまで苦にならないタイプだったからなのだろう。

社会人はテストはあまりないだろうし、努力にも学生よりさまざまな要素が絡み合い、さらに出来ないことから逃げることもなかなかできないと聞く。ああ恐ろしい。健康第一で行きたい。

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