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短編小説「虚飾」 

短編集「虚飾」

獅子川 修光著

・「透明な視線」
・「愛の牢獄」
・「空っぽ」

 「透明な視線」 


 
 世間に疫病が蔓延した時分、私は見えない未来に対して辟易としていた。
 家賃3万円程の大学寮に住み、ラーメン屋の夜勤バイトに週5で入り、家に帰ってもスマートフォンを眺めるばかりで、気がついらた窓から朝日が流れ込んでいて、そのまま一限に向かおうと思って、目を開けていても、結局寝落ちしてしまい、目を覚ますと夕方なってしまい、殆どの単位は絶望的だった。
 そんな私にも唯一、退屈を凌ぐ友人がいた。
 中国からの留学生、孫くんだった。
 孫くんは大学の同期で、サッカーサークルに急に入部し、家が近かった事から頻繁に出掛ける仲になった。。
 孫くんは、留学生の中でも優秀な方で、日本語がかなり上手で、日本人と言っても遜色はないだろう。
 私はいつしか退屈な大学生活の中で、孫くんと共に過ごす時間が多くなり、高いローンを組んで買った中古のプリウスに孫くんを乗せて県を跨いで山へ行ったり、海へ行ったりと大学の授業も、県の要請も無視して、好き放題遊び回った。
 助手席で眠る孫くんに私はいつも憤慨した。
「孫、人が運転しているのに眠ってはいけないよ。」
 私が不機嫌に言っても、孫くんは一切気にしない。
「眠いよ。」とニヤけながら言う。
 私は孫くんの耳を軽く引っ張って、孫くんの妙に滑稽な表情を見て、笑った。
「ひかる、痛いよ。」
「寝ているのが悪い。それより、いまから山道へ入るよ。」
 晴天の日、私と孫は群馬県の赤城山へ向かっていた。
 車内では爆音でglobeのsayonaraを流して、私は片手に煙草を持ちながら、器用にハンドルを捌き、山中を登っていく。
 山道の運転は慣れている。
 女を乗せている時は、少しカッコつけて、洋楽なんか流しながら、この後の流れを考える。
 一人で運転する時は、好きな音楽ばかり流して、様々な妄想をしながらニヤついている。
 山道のドライブは、私にとって日常のようになっていた。
 後ろから走り屋(改造したスポーツカーで猛スピードで走る人)が来れば、即座に道を譲る。
 自堕落な私でも、危機察知能力は昔から備えられていた。
 群馬県の山道は、大学生や走り屋、暇を持て余した男女がドライブでよく走っていて、山頂には多くの車が停められている。
 山頂からの眺めは絶景で、街中を眺めながら吸う煙草は、また一味違って美味しかった。
 しかし、群馬県民にとって退屈凌ぎは、ドライブという選択肢しかなく、車を持っている私は日々、孫くん以外にも多くの友人を車に乗せる事が多かった。
 群馬県前橋市の赤城山の他にも、高崎市の榛名山、富士見町の富士見峠、太田市の金山、山以外にも、草津温泉、伊香保温泉など、車で走り回り、日付が回って朝日が昇る頃合まで走り続けた事もある。
 そんな日常をダラダラと過ごしている内に、「このままでいいのか」と自問する事が多くなっていた。。
 私は何者かになりたいと強く思う事が多くなり、いや、賞賛されたい、認められたいと承認欲求が自分の中で暴走してしまっている事に気がついた。
 とにかく、目立ちたい。
 空っぽな自身は、私を次第に混乱させていき、私はビックマウスへと変貌していった。
「俺は次第に有名人になる」
 恥ずかしげもなく、そう決めた私は、大学の親しかった英語科の教授に相談をし、「役者を目指したらどうだ?」と示唆され、なりゆきで役者を目指す事となった。
 教授は、金持ちで東京に自宅と生徒に貸し出すマンションを持っており、私は大学を中退してから、しばらくその別荘に泊まらせてもらい、教授の知り合いが開催している劇団にお世話になる事となった。
 教授が生徒に貸しているマンションは、都立家政駅の近くにある十二階建ての築年数の高いマンションで、部屋の中は高貴なアンティーク品で揃えられており、ベットはダブルサイズのもので、一人で寝るには広すぎる為、臆病者の私は眠りにつけなかったのを覚えている。
 憧れの都内での仮暮らしは、とても高揚感が高まるもので、私は早速地元の知り合いに自慢していた。
 なにかと運命に結び付ける癖があった私は、当時憧れていた役者の置い立ちやデビュー歳を調べては、一致すると、まるで未来が決まったかのように喜んで、本当はお先真っ暗で、目の前に広がるのは高すぎる壁だというのに、妙にポジティブで、悪い癖として、もうデビューが決まっただとか、舞台に出演するとか大きな嘘をついて、見栄ばかり張ってしまう悪い癖は役者という夢物語から目が覚めるまでずっと治らなかった。
 私は、とても恥ずかしい人間だった。
 地元群馬県でも、私の名前を口にする者は揃いも揃って笑い話をして、私のことを可笑しい人間だと、酒を飲みながら笑う。
 私は、地元のツマミになる話のネタになっていたのだ。
 当時の私は、もう、暴走が止まらなかった。
 小さな兎、無力な兎が、村人の前で大きくて強い虎の被り物を被って前に出て吠えたって、被り物が剥がれてしまえば笑われるに決まっている。
 私を自意識過剰にした母親も憎かった。
 母親は、私に対して大きな期待をしていた。
「ひかるなら、絶対に売れる。有名人になって、お母さんを安心させて。」  
 私にとって、この言葉がどれほどプレッシャーだったか、母親には分からないだろう。
 幼少期の頃から、私は家庭環境がコンプレックスだった。
 母親は、自分自身は周りの目など一切気にしない癖に、私には体裁を気にするように育ててきた。
 私は、世間の目ばかり気にして、自分の意思などなく、誰かに評価されたくて、評価されることが自分にとって快感だったのかもしれない。
 いつからか、私は何をしていても周りの目が気になるようになって、外食をしている時、近くに座る人間や店員の目線が私の方向へ向いている気がしたり、電車でも、外を歩いていても、何をしていても、誰かに見られているような気がしてならない。
 役者にとって、私のこの病気は致命的であり、演技をしている時、とても畏怖を感じて、演技に萎縮し、講師からは「センスがない」とボロクソに言われて酷く落ち込み、ヤケ酒をした事もあった。
 いくらボロクソに言われたって、いや、今は運がないだけだと自己暗示して、いつかは、いつかは、と思って養成所でレッスンを重ねる内に、ようやく事務所に所属する事が出来て舞い上がっていても、結局、書類審査にすら通らず、案件が通った仕事といえば、ドラマのエキストラや小劇場の舞台、小さなCMのみで、毎日一時間半掛けて渋谷のレッスン会場まで向かったとしても、二時間程の身にならないようなレッスンばかり。
 俳優への道が次第に厳しいと身に沁みて実感してきた時分、私は千葉テレビの深夜ドラマと、日曜ドラマのエキストラの仕事が重なって、少しばかり役者として充実感を得た時期があった。
 千葉テレビの撮影では、初めて「役」を頂き、台詞までつけてもたい、この上なく高揚感は増していた。
 二泊三日の撮影で、私のシーンは一日で撮り終えて、後は殆ど合宿のようなもので、撮影現場で親しくなった数名の男女と共に空き時間で雑談したり、人狼をしたりと中々充実した撮影となった。
 親しくなった男女とは、撮影後も池袋で飲みに行ったり、泊まりに行ったりと、とても充実した日々を過ごせたのだが、そのうちの一人が、気がついたらうだつが上がっていて、知名度まで上がって、連続ドラマにも出演していて、私は酷く妬み、彼我の差を痛感した。
 それから、日曜ドラマのエキストラでも、仲良くなった役者の一人が気がついたらドラマに出演していたりと、私の周りの人間ばかり売れていき、私は日に日に病んでいった。
「大丈夫、なんとかなる。」
 この魔法の言葉も次第に霧消していき、私にとって、一番の鎖はもしかしたら役者なのではないか?
 このまま売れなかったら、私は一体何者なんだ?
 母親からも、地元の人間からも、世間からも、私は笑い者になってしまうのか。
 私の中で、葛藤がぐるぐると回っていた。
 私は、大学も中退し、役者の道も進むのを断念した。
 

「愛の牢獄」


 
 朝方、自転車を走らせて雑司ヶ谷の坂を猛スピードで下る。
 泥酔した美緒が、男の家にいないか心配で不安で、必死に自転車を漕いで、池袋東口に向かっていた。
 位置情報を確認しながら、池袋東口の飲み屋の付近に到着し、美緒が出てくるのを三十分間待っていると、美緒が不機嫌な表情をして出てきた。
「美緒、何やってたんだ」
 私が怒りを露わにして美緒を問い詰めると美緒はムスッとして、
「もう、うんざり。女友達と飲んで何が悪いの?」
 と逆ギレをして、一人足早に家の方面まで歩っていってしまう。
 ここ最近の美緒は人が変わってしまったかのように、私に対しての態度を露骨に表現するようになった。
 同棲して五ヶ月目、私と美緒の関係は冷え切っていた。
 美緒との出会いは、とても特殊であまり人には言えない。
 私は元々、熊谷の風俗店で店長をしていて、美緒は私のお店に出稼ぎで働きに来た子だった。
 美緒は東京の大学生で、学生寮に住んでおり、ホストにハマっている訳でもなく、男に貢いでいる訳でもなく、自身の過食嘔吐に掛かってしまう食費の為に働きに来ていた。
 美緒と私はすぐに落ち合った。
 所謂、風俗店では御法度の風紀をしてしまい、私は仕事を辞めて、美緒と一緒に同棲する事が決まった。
 美緒は、私の為になんでも尽くしてくれる子だった。
 当時の私は金がなく、引っ越しする資金はとてもなかったが、美緒が全部出してくれて、一緒に豊島区の雑司ヶ谷に引っ越す事となった。
 雑司ヶ谷の家は、美緒が決めて、駅から近いコンクリート壁のおしゃれなワンルームのアパートに住む事となった。
 家賃は八万円程で、二人で分けて支払うと約束し、私と美緒は風俗で働くのを辞めて、昼職をすることとなったが、それが私と美緒の関係を崩す要因となってしまった。
 美緒は、金銭感覚がおかしくなってしまっており、昼職を始めてからなんどか私に、夜職に戻りたい意思を伝えてきた。
 私は、なんども断り、その度に美緒と喧嘩をした。
 美緒は、日に日に消えていく貯金額を見る事が鬱で、自身の過食によって食費が重なることもストレスだった。
 私も必死に働いたが、結局、まともに働いたことのない私が昼職をしたところで月収は二十万がやっと。
 まともに、生活ができる訳がなく、美緒のストレスは溜まる一方だった。
 美緒は、月日が経つに連れて、私に対して粗雑になっていき、昼職で親しくなったさちこという女と共に、毎日のように飲みにいくようになった。
 私は、次第に所有欲というものが暴走していき、美緒を縛りあげるようになってしまった。
 美緒からしたら、私の行動はまるで警察官のようで、美緒の行動を逐一監視したり、携帯の中身を毎日見たり、位置情報まで監視したり、関係を切ったりと、異常な程、美緒を縛りあげて、次第に美緒は私に反抗するかのように、家に帰ってこなくなった。
 私は、美緒のことを愛していた。
 この世で、最も愛していて、美緒がいない世界など考えられなかった。
 次第に、美緒に対して私は立場が弱くなっていき、美緒の言うことはなんでも聞くようになった。
 美緒を失うのがとても怖かったからだ。
 美緒は、私に夜職に戻るように示唆し、私は二つ返事で承諾し、夜職へと帰還した。
 それから、美緒は金をせびるようになってきて、私は美緒の為ならと思って、稼いできた金まで渡した。
 私は気が付かなかった。
 私に対する愛など、もう、美緒の中に一切無かったことを。
 事件が起きたのは、美緒と一緒に熊谷の河川敷でバーベキューをした時だった。
 夜職時代のドライバーの海山という五十代ぐらいのおじさんと美緒と共に、バーベキューをしたのだが、美緒は海山に対して好意を寄せていた。
 二人で、疲れたからと言って、海山の車に乗って眠っていたり、やたらと距離が近かったり、まるで私に対して見せつけるかのように、美緒は海山に接近して、その時、私は初めて美緒に対して興醒めした。
 その日の帰り道、私は決意をして美緒に言った。
「別れよう」
 それから、私は同棲していた家を飛び出して、仕事場の寮にしばらく住むこととなった。
 美緒は、私と同棲していた家に海山と一緒に住んでいると言っていて、私はもう呆れて何も言わなかった。
 美緒にとって、私との時間はまるで牢獄だったのだろう。
 それから、しばらく経って、美桜は空っぽになった雑司ヶ谷の家で、自らの命を経ったそうだ。
 私は、美緒と離れてから、結婚して、今は三鷹に住んでいる。
 そして、今現在、作家として、あの時のことを振り返って執筆をしている。
 あの時の私にとっては、世界で一番愛していた人だった。
 何度も、苦しい思いをして、辛い思いをして、それでも愛していた。
 だが、運命は決まっていた。
 私は、君のおかげで本当の愛を知ることが出来て、今、本当の運命の人と出会えた。
 あの時の私は、枯れる程、涙を流して死ぬことも考えた。
 だが、あの時踏みとどまったのも、今隣にいる人と結ばれる運命が私を導いたのだと思う。
 私は、恥の多い生涯を送ってきたが、今、とても幸福だ。
 

「空っぽ」


 
何者かになろうとした私は、当時付き合っていた女に言われた言葉が今でも脳裏にこびりついている。
「空っぽ」
 私の中身は、何も入っていない空っぽなのだ。
 私自身、空っぽだから色に染まりやすく、流されやすい。
「空っぽ」も「中途半端」も、まるで酷い悪口だ。
 誰かが物語を作っているのなら、きっと私はモブキャラだ。
 自分自身で、物語を作っていたとしても、自分の物語なのに、キャラが立たない、色のない主役。
 脇役が目立って、まるで主役のように振る舞う姿は、私を慄然とさせる。
 脚本家は言う。
「主役の君、ちょっと、カメラから外れて」
 私は、どの物語にも、中心になれないと思う度に、自身の空っぽさに嫌悪感を抱く。
 私の声色は、透き通らず、とても酷く聞きづらい。
 台詞を読む時に、感情を込めて、役になりきり命を吹き込んでも、私の汚い声色が邪魔をして、監督は顰蹙する。
 私の芝居は、拙劣としていて味がないから、絵にならない。
 芝居の正解がわからない。
 脚本家やスタッフ、監督、カメラマンに対して慇懃にすることが正解なのか、謙遜?
 わからない。
 私は苦しんだ。
 生きづらい私の性質に、深く悩んだ。
 私は常に憂身で、一番厄介なのは、蟷螂の斧を発揮してしまうことだ。
 私は、負けず嫌いだ。
 私は、我慢が出来ない男だ。
 誰に対しても、腹が経ったら文句を言ってしまう。
 自主制作のオーディションに参加した時に、傲慢監督に
「君は本当にセンスがない」
 とハッキリと言われた時に私は思わず
「貴方の創った映画の方がセンスがない」
 と言ってしまい、場を凍らせたことがある。
 警備員のバイトをしていた時に、理不尽な説教をされた時に、感情の蓋が外れてしまい、私は現場監督に顔を近づけ、怒号を浴びせて出禁になった事もある。
 私は、とても幼稚だ。
 そして、とても短気だ。
 閉口するのがとても嫌で、どんな相手に対しても必ず強気に出てしまう癖がある。
 私は、嫌われ者だ。
 軽佻浮華な私は、聡明な人間にすぐに見破られる。
 見破られれば、すぐに仮面を剥がされて、蹂躙される。
 ストラスバーグのメソードへの道も、スタニスラフスキーのメソード演技も全て読んだが、それでも、一切頭に入らずに、自分の演技を見る度に吐き気を催した。
 私は、どう足掻いたって中途半端で空っぽなんだ。
 常に、「虚飾」なんだ。
 私は、そう考える度に懊悩して、それこそ、無数の負の矢が、私の全身に突き刺さってきて、私を酷く傷みつける。
 その様子は、芝居でハッキリと映し出されて、観客を呆れさせる。
 愁嘆場で私は、酷く空っぽな哀愁を飾って、それこそ、本来場の絵になるはずが、まったくもって、観客に伝わるのは「負」のみなのだ。
 当時の私は、魅せつけたかった。
 藁にもすがる思いで駆け込んだ養成所も、悪辣な夢食いビジネスの事務所で、多額の借金をして、厭世的になった私は新宿で飲み歩いて、金が無くなって駅近くに座っていた時に声を掛けられて、ホストの体験入店もした。
 その時に稼いだ電車賃も、私の一番いらない情のせいで消えて、帰れなくなって、人生で初めて野宿した。
「お腹が空いて、今にも倒れそうだから、五百円ください」
 物乞いしてきたおばさんに、私は稼いだお金を全部あげた。
 神を、信じていたからだ。
 良い事をすれば、良い事が返ってくる。
 そう、信じていたから、私は迷わず金をあげた。
 しかし、結局、良い事は起こらなかった。
 

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