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ライトワーカーは畏れない

「夢は多次元世界の自分だ」という話から始まるドクター・ストレンジの新作を映画館で観てきた。映画は開示、つまりデクラスが多いという点で見るとかなり内容が詰まっていたように思う。その感覚を元にライトワーカー向けに書いていきます。

まず個人的に最近思うことは「二極化が加速してきたな」って感じてます。言い方を変えていうと”地獄パラレル(現在の地球の延長線上)と天国パラレル”に別れてきたなと思うわけです。当たり前ですがどちらが良い悪いじゃないです。個人の好みの問題です。

しかもその分岐の幅は時間が経つにつれて広く、より深く、簡単に飛び越えれないほどになってきているとも感じます。スピリチュアルな方で「目覚めには期限がある」という主張をしている方もいるが、最近になってようやくその気がする。「畏れ」はそう簡単に逃げてくれない。

自分を含め周りのライトワーカーも生活が変わり始めてきたので、自分では徐々に行動していく時だと思っています。日本人は強制マスクでないにも関わらず、炎天下の屋外でも呼吸を阻害することに必死だ。「知識・勇気」を失った人間は”身体の悲鳴”すら聞こえない。

つまりもう救えない。だからマスクをし続ける人や注射を打ちたい人に構うのはやめよう。もう皆んなの中で答えでてるでしょ?「目覚める」だけじゃなく「目覚め続け」なきゃいけないのなら、私たちライトワーカーたちが足踏みしている暇はないはず。

映画でストレンジは「畏れを手放す」ことによって第三の目が額に開いた。つまり「不安・恐怖」を超えた後に覚醒した、と私は解釈している。ただネガティブのエネルギーは大きいので「不安・恐怖」を感じないことは無理でしょう。動物誰しもそうなります。それがないととっくの昔に人間は絶滅しているでしょう。

ネガティブを拒否できないなら変換しちゃおう!ということで、不安と恐怖は「好奇心・興味」に書き換えることができます。例えば「死ぬこと」が怖いのなら、死に好奇心を持ち、死を考えることによって生が輝く。そうこうしている内に「死への恐怖」はなくなっているでしょう。

つまりネガティブは捨てれない。かといって完全なる無視もできない。だから受け止めて向き合う。これが一つの答えなのに恐怖を先延ばしし絶望に変わってから気づく。そのサイクルはもう終わりね。

あと今作の敵は”愛されたい”エゴが強くて自分を見失うけど、最終的に無茶苦茶した自分をも愛すと並行世界の自分に言われたことで消滅する。無条件の愛がエゴを癒すってところで合点がいった。

今回伝えたかったのは目覚めない層に対してのアクションよりも、あなたの魂が成長するアクションを多めにしていこうという過去の自分に対しての戒めでした(笑)

いつも最後まで見てくれてありがとう。感謝!


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