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「強冷房車」

「弱冷房車はあるのに、どうして強冷房車がないんだ」

飲み会終わり、熱気が肌にまとわりつくような夏の夜。
暑がりの友人が額に汗を浮かべながら怒っていた。

そんなこと考えもしなかったが、言われてみれば「強冷房車」もいいかもしれない。どっちかといえば僕も暑がりだ。流れた汗もすぐに蒸発してしまうのではないかというくらいの夏の暑い日に、冷房がガンガンに効いた電車に入る瞬間の爽快感を思い浮かべた。


「ちょっと寒いくらいに冷房がガンガンに効いた電車が好きな人より嫌いな人の方が多いんでしょ」

パッと頭に浮かんだ言葉を言おうとしたが、言わなかった。ここで、友人に正論を言ったところで世の中に強冷房車ができるわけでもない。そして何より正論は退屈だ。

「確かに冷蔵庫みたいな車両欲しいよな」と、適当な返事をした。


世の中には冷房が効きすぎた電車の方が好きな人もいるだろう。しかし、多くの人は冷房が効きすぎた電車にずっと乗っていることは嫌だと感じる。

僕は友人に本当はこう問いかけたかった。

「少数派の強冷房車が欲しいと思っている僕たちの思いはどこへいっちゃうんだろうね」

飲み会終わりに言うにはあまりに堅苦しいし、言っていて恥ずかしくなるようなポエム感を感じて、僕は言えなかった。


「社会人になってからどうして娯楽が飲み会だけになるのだろうか」

ツイッターで大学時代の先輩がつぶやいていた。

「金曜日の夜、いつも頑張ってくれているから、たまには飲みに行きますか」と上司は言う。

誘ってくれることは嬉しい。でも飲み会が娯楽にならない僕のような人間もいるのだ。頑張った会社のご褒美は、一人でゆっくり湯船につかることだったり、友達とゆったりゲームをすることだったりする。「社会人は飲み会でが娯楽」という社会通念のようなものに巻き込まれて、少数派の僕はまた流されていく。


今日は間違って「弱冷房車」に乗ってしまった。わざわざ車両を移動するほどではないと思い、うっすら額に汗をかきながら座っていた。すると、前の座席でハンカチで額の汗を拭ってる中年のサラリーマンが目に入った。

僕はそれが何だか無性にうれしかった。飲み会で僕と同じように楽しくなさそうに座っている人を見つけたときの感覚に似ていた。一瞬で仲良くなれそうな気がしたのだ。

きっとこれからも「強冷房車」がつくられることはない。しかし、「弱冷房車っていまいちだよな」という思いを消してしまう必要はない。

多数派に負けず、しっかり自分の思いを持ち続けていれば、いつの日か同じような人たちに出会える。そのつながりを大切にしていけばいいのだろう。

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