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【小説 神戸新聞文芸202407】ある道徳教科書の話 ※落選作

 タイトル:Pさんの歴史教科書
 学習目標:揺るぎない信念、よい生活習慣の継続、不屈の精神の大切さを理解する

 Pさんは子どもの頃から歴史、特に日本史が大好きでした。お父さんが大変な歴史好きで、週末や夏休みにPさんを全国の名城や博物館に連れて行ったことも影響していたのでしょう。歴史の成績が特に優秀だったPさんは、学校の先生から、君は日本を代表する歴史学者になるだろう、ひとびとの心のよりどころとなる本を書くだろうと言われました。

 大学を卒業した後、Pさんは会社員として働き始めました。日本史に関係する仕事ではありませんでしたが、どうせ仕事をするのだからいい仕事をしようと、Pさんは一生懸命働きました。

 Pさんには、これまでと違う新しい歴史教科書を作るという夢がありました。

 子どもの頃から、大日本帝国が十五年戦争を起こしたことについて、戦後の日本がアジアの国々に謝罪し続けていることに疑問を感じていました。謙虚も過ぎれば卑屈になるものです。Pさんにとってあの戦争は、欧米の植民地支配に苦しむアジアの人々を解放し大日本帝国を中心とする地域共同体を作る大東亜戦争と言う聖戦でした。そもそもPさんにとって、事実や現象を寄せ集めただけの歴史は、やっつけ仕事によるなまやかしの歴史でしかありませんでした。

 日本人にとって有用である、言い換えれば本当の日本の歴史は、現代に生きるわたしたち日本人に希望をもたらすものでなくてはならない。わたしたち日本人は、日本という美しい自然に恵まれた国で日本人として生まれてきたことに誇りを持たなければならない、日本こそ世界をリードするのだという気負いがなければならない、光り輝く日本のためには命も捧げるという高度なモラルを共有できていなければならない。だからこそ、新しい歴史教科書の存在価値は、自らの命よりも国家を大切にする日本人を作ることである――Pさんは、そのように考えました。

 Pさんは歴史の専門家ではなく、学術雑誌に論文が掲載されたこともありませんでした。そもそも論文を書いた書いたことさえありません。

 しかし、書き手が誰であれ、本当に信じていることを誠実に書いた文章には、読み手の心にまっすぐ届く、他と取替えのきかない魅力が宿るものです。

 Pさんは猛然と教科書作りに取りかかりました。決して簡単ではありませんでしたが、Pさんは諦めませんでした。Pさんが思い浮かべていたのは、街で見かける自信なさげなひとたちでした。希望もなく、日々押し寄せてくる不安になす術もなく惰性で歩いているように見えるひとたちのくたびれた横顔でした。

「悪いのはあなたではない。断じてあなたではない。悪いのは学校教育、なかんずく、あなたから自信や誇りを育む機会を奪った、過った解釈による日本の歴史教育だ。十五年戦争を起こしたばかりにこの世の終わりまで世界に謝罪し続けなければならないみじめな国になり果てたという間違った観念を植え付けられたせいだ。一日も早く、この不本意で屈辱的な状況から日本と日本人を取り戻さなければならないんだ」

  執筆は難航しましたが、一年後、歴史教科書が完成しました。  善は急げとばかり、Pさんは文部科学省の教科書検定に申請しました。

「心血を注いで書き上げた教科書だから一発で合格するに違いない」

 しかし、運命はPさんに残酷でした。数百か所にわたる誤記や不適切な記述の指摘とともに、不合格の通知がきたのです。

 納得のいかないPさんは文部省に行き、事情を聞きました。

「大変申し上げにくいことですが」と教科書検定の担当者は小声で言いました。「正直、査読論文だったら却下のレベルです。それに、Pさんは日本史がご専門ではない。そのせいか、とにかくフィクションが多すぎる」

「歴史解釈なんて結局フィクションじゃないですか。ナポレオンや毛沢東が考えたことなんて本人にしか分からない。仮に彼らにインタビューできたとしても、回答が本心かどうかなんて誰にも分からない。あのですね、フランス語では、歴史も物語もイストワールと言うんです。イタリア語でもそう。ストーリア。わたしの言っていること、分かりますか?」

 担当者は無言で肩をすくめました。Pさんに呆れているようにも、憐れんでいるようにも見えました。

「どうして、自分の考え方が認められないのだろう」

 Pさんは悔しさのあまり涙を流しました。己の誠が他人に通じないほど辛いことはありません。

  それでもPさんは諦めませんでした。教科書を書き直す費用にあてるために、この本を出版しようと思いました。Pさんはいくつかの出版社に相談しましたが、無名のアマチュアの歴史本を商業出版などできないと断られてしまいました。そこで自分で出版社を立ち上げ、印刷製本まですべて自分でやりました。

 Pさんの本の売り上げは好調で、初めての商業出版なのにすぐに重版になりました。ネットの書評サイトに好意的な批評が書かれていることに励まされながら、Pさんは教科書の推敲を重ねました。

 そうして奇跡が起きました。五回目の検定申請で、百箇所を超える修正を指摘されたものの、合格したのです。教科書を書き始めてから実に八年、教科書検定に申請してから六年の歳月が経っていました。

 一部の物を識るひとたちからは、この教科書はきわめて問題だ、学校でこのような教科書が採用されれば国際問題に発展しかねない、必ずや将来禍根を残すだろうと批判しました。中には、素人の書いた教科書に学術的価値などまったくないと罵るひとまでいました。

 それでもPさんは意に介しませんでした。そればかりか、自分自身にとっても、日本の歴史教育にとっても、決定的な仕事であるという確信が深まるばかりでした。

 しばらくして、ある学校から、Pさんの教科書を正式に採用することを決めたと電話連絡が入りました。

 ――正しいことはいつか必ず認められる。スタンダードになっていく。諦めずに仕事を続けていれば奇跡が起きる。神風は吹くのだ。

 その晩、書斎から見える夜空を眺めていたPさんは、得体の知れない大いなる存在を感じました。しばらく体の震えが止まりませんでした。   
                  (終わり)

※この作品の著作権は作者・本木晋平にあります。無断での引用・複製・転載を固く禁じます。

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