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【エッセー】ナポリタンのお焦げ 〜第50回明石市文芸祭 落選作〜

 ここのところ、ナポリタンのおこげが食べたくてたまらない。どこの店のナポリタンでもいいわけではない。より正確に言えば、二十年近く前、東京の目白にあった、行きつけの小さな洋食屋のシェフが作ってくれる、ハンバーグプレートのつけあわせの一つだったナポリタンのおこげが食べたくてたまらないのである。

 熱々の鉄板で供されるのだが、すぐには手をつけない。火傷するからというのは表向きの理由で、つけあわせのナポリタンが焦げるのを――本当に食べたいものが出来上がるのを待つためである。ハンバーグの表面が焼ける音、ドミグラスソースの泡立つ音が聞こえる音が落ち着く頃には、鉄板に接した部分のナポリタンがうっすら焦げて固くなる。その焦げの風味と少し固くなった食感がたまらなかった。  おそらくシェフがお亡くなりになったのだろう、十年以上も前に店はつぶれてしまって今はないと人づてに聞いた。だから、今のわたしにとって、ナポリタンのおこげは無いものねだりになってしまっている。

 同じような出し方をする洋食屋はあるのだけれど、美味しいことは美味しいもののわたしの求める味ではない。自炊で再現しようとしたこともあるが、何をどうしても、あのナポリタンのおこげを作れなかった。

 大学卒業後、わたしは上京してシステムエンジニアとして働き始めた。退職するまで、東京には七年近くいた。

 仕事に慣れて自分の時間が持てるようになったとき、子どもの頃に習いたかったピアノを習おうと思った。電子ピアノとピアノ教本を買い、初めは独学で好き勝手に弾いていたが、「趣味だからこそ、ちゃんとした先生についてしっかり学ぶのです」と何かの本に書いてあったのを読んでもっともだと思った。そこで、「幼児から大人の初心者まで通う音楽教室」というコピーに惹かれて、JR目白駅から徒歩五六分のところにある音楽教室へ電車を乗り継いで通うことにした。大人になってからピアノを習っても別に構わないはずだが、子どもの生徒がたくさんいる中、大人の生徒がわたしだけというのはどうも恥ずかしい。それに実際、成人の生徒は取らないピアノ教室もいくつかあったのだ。

 先ほどの洋食屋は、この音楽教室に向かう途中にあった。店の名前を忘れてしまったほど記憶も曖昧になっているが、音楽教室に通い始めた頃にはなくて、通い出した次の年か、その次の年くらいに開店したように思う。

 初老のシェフは前は有名なホテルで修行をしていたようで、一念発起、一国一城の主となれた喜びにあふれていた。職人らしいプライドというのか、いい意味で気位のある料理人だった。

 そのシェフに声をかけられたことが何度かある。決まって客がわたしだけのときで、シェフも、声をかけないわたしと同じように内気だったのだろう。

 いつものようにできあがるのを待ちながらピアノの楽譜を眺めていたとき、ピアノをお弾きになるんですか、と尋ねられた。

「ええ、三月にピアノの発表会があるんです。ここから歩いてすぐの音楽教室に通っているんですが、そこの主催の発表会で」

「そうなんですか」

「だからここのところレッスンも厳しくて。音楽教室の生徒さん、わたしの他にもここに来られますか」

「さあ、どうなんでしょう」

 シェフは気まずそうに笑った。自分の店から歩いて数分のところに音楽教室があることを知らないようだった。

「発表会、がんばってください」

「ありがとうございます」

 これが、シェフと交わした会話で一番長いものだったはずだ。

 でも、言葉は少なくても、千円程度のメニューでも最高の一皿を出してやろうと真剣に取り組むシェフに、ああいう年のとり方をしたい、ああいう仕事をしたいと憧れていた。

 今となっては、「ハンバーグのつけ合わせの、少し焦げたナポリタンが大好きなんです」とシェフに伝えられなかったことを後悔している。向こうはハンバーグを食べてもらいたいわけだからそんなことを言うのは失礼かと遠慮していたが、遠慮しなければよかったのだ。

 もし神が、瀕死のわたしの最後の晩餐に神戸牛のステーキやフランス産の最高級のフォアグラを出してくれたら、わたしは神に感謝するだろう。だが、あのシェフが作るハンバーグプレートのつけあわせの、あの少し焦げたナポリタンを出してくれたら、わたしは神に心から感謝するだろう、何と安い舌の持ち主だとみんなに笑われ、呆れられても、わたしは神の実在を信じるだろう。ああ、あのナポリタンのおこげ。ものすごく食べたい。

(終わり)

※著作権は作者・本木晋平にあります。無断での複製・引用は固くお断りします。

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