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誰かの悔しさに、続けることの大切さを改めて教わりました

「悔しみノート」(梨うまい 著/祥伝社)を読んだ。

日の出前に起きて読み始めて
日が昇る頃にはぽろぽろと涙をこぼしながら読み終えていた。
日曜の朝から…

まさか泣くとは思っていなかった。
そういう本じゃないはずだ。
ただ悔しみと妬みと怒りが綴られただけの本だ。

この本を知ったのは、
ジョギングしながら聞いていた9月1日放送のラジオ番組だった。
ジェーン・スー 生活は踊る」の人気コーナー「相談は踊る」。
本の存在を知ったのはこの放送だったけど、この話自体は知っていた。
そのもっと前、2年前の2018年9月だ。
24歳のリスナー、梨うまいさんの相談。
芸術系の大学を卒業してフリーでもの作りをするも挫折し、
実家に戻って本屋でバイトする毎日の中で
いい映画を見たりいい本を読んだりしては
嫉妬して落ち込む毎日に何かアドバイスが欲しいという相談。
それに対するスーさんからの解答は、
今日から見たエンタメについて悔しい思いを全部書く
「悔しみノート」を作成しなさい、というものだった。
これをジョギングしながら聞いていた。

それから1年ほどたった2019年12月、
番組に宛てに「悔しみノート」が送られてきたという放送を聞いた。
やはりジョギングしながらだ。
「悔しみ」を手書きで書き殴るノートを1年続けたのだという。
本当に書いたんだ、すごいなと思いつつ、
番組で一部読み上げられた樹木希林についての悔しみと、
グレーテストショーマンへの賛辞についての文章が面白くて、
もっと読みたいなと思ったけど、
しばらくするとそのことは忘れてしまっていた。
それから10カ月ほど経って本が出るという告知を聞いたのだ。

帰ってすぐに買った。
けど全く読む暇がなくて、買って10日ほど寝かしてしまった。
積ん読のまま終わらせられないなと思って、
日曜の朝、早起きして一気に読んだ。

なんて正直で素直な…悔しみなんだ。
壮絶な嫉妬と痛みと怒りと悶絶と自己嫌悪。
吐き出すまんま、吐き出した、
誰ともしれない人の個人的なノート。

番組に送る前提で書かれているから、
誰かに見られることを意識してもいるのだろうけど、
それにしても、よくもまー、と思うほどに率直な言葉が続く。

正直な言葉って、思いって、ほんと刺さる。
ほんと真っ正面からのネガティブさ。

この人の文章、基本は妬みと嫉妬なんだけど、
全然、誰も何もけなしていない。
全身で否定して肯定して悶えている。
嫌っていても、ただ欠点を指摘して笑うようなことは一切してない。
出てくる作品については、演劇以外のものについては、
ほぼ見ていて、ああ、そうそう!っていう、
自分の中で言語化できないような思いがたまにそこにあって、
読んでいて気持ち良くて痛快だった。

なんか、こういうちょっと斜めから見ている人が、
きちんとキムタクのキムタク性についてほめてる文章とか
読むと単純に嬉しくなる。

メジャーなものの価値をしっかり評価することを
20代くらいでスルっとできてしまうのって、なんかすごい。

読んでて悔しかった。
こんなに豊かな感覚で作品を受け止められて、それを素直に言語化できるなんて。
うらやましくなる文章力だ。

それで、この本、先に進むにつれて、彼女自身が変わっていくのがわかる、
まるで作者の成長ドキュメンタリーのような側面もある。

思わず泣いちゃったのはそこだ。

途中で「自分の中の他者の目に慣れてきた」って書いてあって、
ネガティブさを吐き出す自分を「言わせておけ」って
ちょっと引いた目で見始めている。
そこからラジオにノートを送って、出版の話が決まって、
変わっていく日常にとまどいながらも、
最後の方では挫折して逃げ出した過去の自分に向きあって、
自分が傷つけた他者に向きあっていくようになっている。

自分に向きあい、変化が起き、過去に向きあい、他者に向きあっていく。
文体もテンションも変わらないけど、ちゃんと変化が起きていて、
恐らくそのことを本人も自覚している。
だからこの本が出ることがゴールでも何でもないことも知っていて、
ちゃんとその先の新しい未来にしっかり踏み出しながら、
「(つづく)」って終わっている。

なんてステキな悔しみなんだろう。
もうね、泣きましたよ、ほんとに。
良い本だった。

そして何よりこの本自体が「続けることの力」を証明していて、
そこも感動を呼ぶポイントだと思う。

何かを必死に続けた先に未来が開かれるって単純に素敵じゃないか。

「悔しかったこと」をノートに書く。
何のこっちゃ?ってことだ。
普通はアドバイスをもらってもやりもしないし、
やったとしても2、3回やってすぐやめる。
ラジオで本人も言ってたけど、
最初から最後まで「何やってんだ」って思ってたそうだ。
何の意味があるかわからないけどとにかく1年続けた。
それがラジオで紹介され、出版社の目にとまって出版された。
単純にすごいことだし、感動的なことじゃないか。

もちろん内容が面白いから、それはある。
でも何にもならないかもしれなかったことを
ひたすら「続けた」からこの未来があった。

「こんなことなら自分でもできた」
「それは自分も思いついていた」
あとで言うのは簡単だ。

でも何だかわからないことを、
結果がどうなるかわかないままに
ひたすら続けることはすごく大変だし根気もいる。

結果が保証されていない、無意味かもしれないことを
ひたすら続けるのってすごく勇気がいることだと思う。
さらにそれを人に見せるのはもっと勇気がいる。

誰でもできることを
誰もやらないくらい長く続ける。
これがほんが本当に力になる。
もちろんすべての努力が報われることはない。
けど、続けた先にしか未来はやってこない。

チャウ・シンチーの「新喜劇王」もそんな映画だった。
万年エキストラを続ける女優志望の三十路女性が主人公のコメディ。
エキストラの仕事自体は無意味かもしれない。
でも後に自分がその姿をスクリーンで見返すとき、
そこに始めて感動や意味が生まれてくる。

映画「アルプススタンドのはしの方」の“やのくん”もそうだ。
やのくんは一度も画面に登場しない。
映画には出てこない登場人物なんだけど、
一度も出てこない彼が「続けた」先に待ってる奇跡がとんでもなく感動的だ。
出てこない登場人物が人を感動させるって、とんでもない映画だ。

前回「はじめてブックデザインした話」を書いたけど、
あれを書きながら本の完成後に美大を出た知人に
「フォント何使ってるの?ダサくて笑える! 字間めちゃくちゃ」
と散々バカにされて、すごく落ち込んだのを思い出した。
散々言われて、その後、恥ずかしくて本を見るのもイヤになったんだ、確か。
でもその後、給料で少しずつフォントを買って、
新聞社の仕事で地獄のような忙しさだったけど、
かたわらで本のデザインも続けた。
夜中とか土日とか使って死ぬ思いでやったんだった。
あまりにもつらすぎて記憶から消していたみたいなんだけど、
最初のブックデザインの話を書いていていろいろ思いだした。
あの時、必死で続けたから今の自分があるのかもなって思う。
その時はこれをやってどうなるかとか考えてもいなかったはずだ。
ま、いまだに大したところには来てないから、
これからも一歩ずつ続けていくしかないんだけどね。

いつまでやるのかとか、どうしてやるのかとか、そういうことは考えずに、
どこにたどり着くのかは分からないけど、
意味なんか考えずに、どこまでもやろう、
って「悔しみノート」を読んで改めて思い直した。

朝から「悔しみ」のかたまりから、たくさんの元気をもらいました。
作者の意図には反してるのかもしれないけど。

ほんと、これ本になってくれてよかった。
出版してくれた版元と編集の人に感謝だ。
本という物体になることで意味を持つ作品だと思う。
梨うまいさんがバイトしてる本屋にも並んだんだろうな。


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