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目の前のことだけやってたらダメですかね?

先日、めずらしく取材を受けた。

社会人向けに「習慣化」について教えて欲しいということでの取材依頼だった。

何か役に立つことが言えるのかは分からないけど、あまり取材されることもないので、いい機会と思って受けてみた。
「質問される」ってよく考えると、ふだんの生活の中にない。
聞かれることで、考えはじめる。
書くのとはまた違った思考が動いた気がする。
改めて思ったのは、考えていることをそれなりにきちんと話せるようになったなってことだ。
noteを続けたきたおかげだと思う。
やはりコツコツと続けるとそれなりに何かが変わるんだな。

取材では「目的や目標がノイズだ」と言ったのに、すごく反応されたのが印象に残った。

わたしはどうもこの「目標」や「目的」ありきで考えるのが苦手で、いつも目の前のことだけをやっている。
それダメなんですかね?

大きな目標のようなものがどうもダメ。
いわゆる達成すべきゴールのようなもの。
「達成できないゴール」がある状態がどうにもストレスに思えてしまう。
何となくゴールを設定することはあっても、そのゴールのために「これをやる」なんて思うとストレスになる。
だから「1日1冊本を読む」も、「1年は続けてみよう」ってなんとなく終着点を考えるけど、それをゴールだとは思わないようにしたし、「達成しないと」ってプレッシャーを感じたくないので、宣言もしなかった。
ただ毎日「1冊読む」ことだけを考えて続けた。

何かをはじめるときの「目的」。
これもいろいろなことを邪魔する気がしてる。
「何のためにやるの?」みたいなことを考えたらくだらないことは何もはじめられない。
はじめるときって「何かのために」は、まったく考えない。
「1日1冊本を読む」をはじめるときも目的なんて何にも考えてない。
「何のために」やるかがわかってしまうと、「そのために」やらなきゃいけなくなる。
そのことに向けて何かを習得しないといけない。
そんなことより何があるかわからないけど、その何かを発見するくらいの何気なさを優先して考えたい。
どんなくだらないことでも続けていたら、そこには絶対に何かがあるから。
「目的」は、あとになって「このためにやってたのか」ってわかってくるくらいでちょうどいい。

「目的」の話になると、よくレンガ積みの寓話が出てくる。
通りすがりの旅人が、レンガを積む3人の男に「なんでレンガを積んでるんですか?」って質問する話。
1人目「ただレンガを積んでるだけだよ、つまんねー仕事だよ」
ときつそうに仕事している
2人目「大きな壁を作ってるんだよ、これで家族を養ってるのさ」
と大変そうに仕事している
3人目「歴史に残る大聖堂を作ってるんだよ、素晴らしい仕事だよ」
と活き活きと楽しそうに仕事をしている
同じレンガを積むという作業でも目的を知っているかどうかで人生が大きく変わるというもの。

もちろんこれ、3人目が素晴らしいって寓話なんだけど、そんな単純なものかなって思う。

1人目の男、つまんねーと言いながらもきちんと仕事をこなして、目の前のことをきちんとやって、夜は酒場で楽しく馬鹿話して、それでよくない?きつい労働、楽しいお酒、けっこうそれはいい人生な気がする。

2人目、壁を作ることが仕事なんだし、目の前の壁を作る仕事を一生懸命やってる。すごく大事な事だと思う。仕事は大変だもん。でもきっとこの人なりの哲学で壁を作ってるはずだ。どうやったらうまく積めるのか、どうしたら効率よく作業が回るのか、きっと毎日繰り返していたら考えるのはそれだろう。大変なのは当たり前。家族のことも考えて、えらすぎる!

3人目、こういう人、立派だと思いますよ。先を見て動く人。
こういう人が世界をしっかり動かす偉い人になるんだと思う。
誇りをもって、目的や夢のために仕事する。
素晴らしい!
先のビジョンを見据えることはとても大事だと思う。
けど自分がこう思って仕事ができるか聞かれると難しいような気がする。
それよりも目の前の小さな事に注力する方が自分にはあってる。

結局、どの働き方もいいと思える。
どの働き方がいいとか悪いとかの問題ではなく、みんなそれぞれ等しく正解な気がする。

1のような人たちが店を作れば、ゴールデン街のような雑多な寄せ集めの楽しい場ができそうだ。

2のような人たちが作れば地域の商店街のような、しっかり生活が根付いた助け合いで成立するコミュニティができそうな気がする。

3の人たちはきっと、みなとみらいのようなしっかり計画され整備された都市を生み出すんだろう。

わたしはゴールデン街も商店街も整備された大都市も好きだ。
どの町にも魅力がある。

なんか、結局、そんなことのような気がする。
「目的」や「目標」なんてあってもなくてもいいんじゃないかな?と個人的には思っている。

大事なのは「目的」があってもなくても「目の前のことを一生懸命」やってることじゃないか。

さっきのレンガ積みの話で言えば、これは通りすがりの旅人が見た話で、実際の毎日の仕事は見ていない。最後の「目的」を語る楽しそうに仕事する人については、旅人にそう見えたという主観でしかない。もしかすると「先のビジョン」ばかりを楽しげに語って、目の前のことはおそろそかにする単なるドリーマーかもしれない。結局、通りすがりの他人にどう見えるかなんて関係ないってことだ。

そうだった、今回はこの取材記事の告知だった。
「習慣化」について取材してもらった記事。
よかったら読んでみてください。


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