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続けることだけが力なきものに残された唯一の武器である

noteを書き始めてちょうど1年経った。

最初にこの記事を投稿したのが去年の5月25日。

毎週1回、月曜日にアップして今回で54回目。
なんとか1年続けることができた。

noteをはじめるときに自分の中で決めたことが3つあった。

1 毎週1回書くこと
2 1年続けること
3 毎回全力で書くこと

これがはじめた時に立てた目標だった。

とりあえず今回で最初の2つは達成した。
なので今回がエピローグのようなことかなと思っている。

最後のひとつについては……一応、全力は出したつもりだ。
この程度が全力なんて、大したことない人ですね、そう思われても仕方ない。
自分のレベルの低さは、自分が一番よくわかってるし、この1年いやになるほど思い知った。
ただ毎回、自分にとって「意味」のあることを必死に書いたつもりではいる。

振り返ってみると「全力で」というより「必死で」書いたという言い方が近い気がする。
週のうち唯一休める可能性のある日曜日をまるごとnoteに使ったので、この1年、本気で命を削る思いだった。
「休む」という概念がなくなった。
日曜まで仕事しないと追いつかない週もあって、そんなときは地獄のようなハードスケジュールだった。
ただ、「仕事を言い訳して休む」という選択はしないと決めていたので、どんなに忙しくても無理して書いた。
そんなときはタモリさんの「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」って言葉を思い出して自分を鼓舞した。
そのせいで仕事に支障が出たりもしたけど、それはそれで仕方ない。

とにかく少ない時間でやれるだけのことはやったつもりだ。
かつてやったゲームを遊び直してみたり、

仕事の全工程をチャートに起こしてみたり、

試行錯誤しながら全力でやった。

ここまでやったからこう言える。

あーーー楽しかった!!!
そして、とにかくやり切った!!

出しつくせなかったことはまだたくさんあるけど、ひとまずエンディングだ。

ぼくの人生ベストワンゲーム「ドラクエ2」のエンディング曲「この道わが旅」を聴きながら、エンディングの余韻に浸りつつ続きを書こうと思う。


改めて「noteを一年続けて何か変わったか?」考えてみた。

「人生変わりました!」みたいなわかりやすいことを、かっこよく言ってみたい気もするけど、「何が変わったか」よくわからないというのが正直なところだ。

たぶん、何も変わってない。

そんな簡単に人生が変わるなら苦労しない。
手に入れたものは「ものすごく大変な思いをした」くらいのものだ。

ただ、まったくのムダだったかというとそ、そうでもない。
少なくとも小さな気づきと変化はいくつかあった。

小さなことだけど、思いついたことを書いてみる。

一番の収穫は単純に「言語化大事!」ってことの実感だ。
日々、ただやっていることに言葉を与えることで、なんでそんなことしてるのか、改めて考えるきっかけになった。
当たり前すぎて気づけないようなことに、言語化することで改めて気づく。
そして当たり前のこと以上に、大事なことなんてそんなにないことを実感した。

これなんかは書いたことで、仕事への向きあい方がだいぶ楽になった。

必死に自分に向きあって、自分の中にあるものを掘り起こして、それを誰かに伝えるために文書にする。
「いい文章」はとうてい書けないとわかっているので、「わかりやすい文章」を書くことだけは意識して書いた。
できるだけ伝わる言葉にするというのは大きなテーマだった。

いちばん苦労したのは、どう書くかじゃなくて、何を書くかだった。
何を書けばいいか、毎週頭を悩ませて苦しんだ。
本気で苦しかった。

さぁ、これを書くぞ!って決めても、今度はそれがうまく書けない。
言葉にならない、話がつながらない、それってぼくが言っていいこと?って頭を抱えてしまったり、とにかく毎週苦しみの連続だった。

書いていて、言いたいことが何だったのか、途中でわからなくなる。
内容が意味不明でアップした後に書き直したり、2万字近く書いてアップしあと半分以上削除したり、アップする前に全文書き直したり、記事以外の部分の準備に時間がかかりすぎて書く時間が1時間くらいしか作れなかったり、毎週が戦いだった。

簡単に書けそうって思ったときほどうまく書けないことが多くて、それに手を入れれば入れるほどにひどくなる…という、デザインの仕事と似た状況におちいったりもした。文章を書くのもデザインも似てるなと思った。

そこそこうまく書けたときもあるけど、大半は自分の力のなさを痛感するばかりだった。

書ける時間も限られていて平日と土曜日は仕事で身動きが取れないので、日曜に集中して書くことにしていた。
日曜に下書きして、いったん寝かせて月曜の朝から読み直して文章を整えていく。
物理的に1日で終われないレベルのものもあって、この記事とかは本当に大変だった…。アップした後に図表に気になるミスがあってずっと直し続けた。
仕事のスケジュールがボロボロになった記憶がある。

毎週月曜にアップするという自分で決めたルールだけど、無理矢理締め切りを作らなかったら、たぶんできなかった。
とにかくこの1年は、自分で決めた締め切りとの戦いだった。
はっきり言って仕事の10倍くらい大変だった。

ちょっと真剣にやりすぎたかなと思うけど、真剣にやらないとたぶん得るものはないと思っていたので、「とにかく1年、1年で終わるから」そう言い聞かせて、なんとかやってきた。

「スキ」の数は気にしないようにしようと思っていたけど、最初の半年はかなり「スキ」に気持ちを左右されていた。
もうだいぶ気にしないでいられるようになったけど、ほんとに「スキ」とか、これ、魔物だ。
こんなのなきゃいいのに。今でもやめて欲しいと思ってる。

なんとなく「スキ」の魔物から解放された記事はこれだった。

自分では、ちっともうまく書けなかったと思ってアップしたけど、かなりスキがもらえて嬉しかった反面、「そんなこと考えてもしょうがないな」と思えた記事だった。ちなみにアクセス数も全記事の中でダントツトップだったりする。

話はそれたけど、とにかく「言語化する」こと「わかりやすく伝えよう」としたことで、自分の仕事とか習慣の意味が浮かび上がってきた。
浮かび上がってきたというより、より深く自分の中に染みついていったというほうが正しい。

これまで理由も考えずに、必死に自分の頭で考えて、実験して、改良してきたやり方だったけど、ああ、そうか、そんなに間違ってなかったなって思えた。
言語化するって、やっぱり大切だ。ほんとに。


習慣として本を読むようになったのもnoteの効果だ。
自分の中の言葉の量が足りなすぎる…単純にそう思ったからだ。

1日1冊読むって決めて、今日でちょうど100日。
100冊読んだ。

どんなに忙しくても必ず1日1冊読む。
決めたら、毎日やればいいだけ。
そんなに難しいことじゃない。
やれない日は、やらなきゃいい。
基本は「毎日やると決める」それだけだ。

ついでに先週から読書メモをTwitterに記録しはじめた。
Twitter アカウント

これ以外にもこの1年で新しくいろいろと習慣が増えていったけど、noteに書くことで「習慣化」がより自然にできるようになった気がする。

直接、何か変化があったとしたら、こんなものだ。


1年続けたくらいで、そんなにいいことが起こるわけがない。

ただ思うのは、簡単に手に入るものに意味があるか?ってことだ。

毎日のジョギングも「やっててよかった」と本気で思えたのは、続けて20年以上経ってからだ。
やりながら、意味なんて考えたこともなかった。
20年以上続けてみて、なんとなくやってて良かったなって思えている。
疲れない体が自然にできあがっていた。
面倒なことに無理なく向きあうメンタルも自然に育った気がする。
意味なんか考えずにただやってきた先にあった答えだ。

20年フリーランスのデザイナーとしてやってこれたのも、簡単に何も手に入れてこなかったからじゃないかなと思っている。
何も達成してないから続いてるんじゃないかと。

仕事への向きあい方は全く変わってない。
ずっと初心のままだ。
まだまだ全然ダメな自分と向きあいながら必死にあがいている。

その中で実験と改善とをひたすら繰り返している。
だから仕事自体は大変だけど、でもすごく楽しんでいる。

こんな仕事に出会えてよかったなと思うけど、はじめからなろうと思ったわけじゃない。デザイナーになったきっかけは偶然頼まれたからだ。

きっかけはどうあれ、今も夢中で仕事し続けている。
そして、続けるために常に何かを変え続けないといけないと思っている。

仕事を続けるためには、時代に合わせて常に自分が変わっていかないといけない。
このままで大丈夫なんて思ったら、その瞬間ゲームオーバーだ。
変化に対応しつつ、たとえこの仕事がなくなっても、別の道にシフトする柔軟性を身につけておく必要がある。
そのための実験のひとつとして「note」をはじめたというのもある。

何が変わるかわからないけど、何かやってみる。
そして続ける。
続けていく中で何か意味が生まれるはずだ。
意味なんかなかったとしても別にいい。
1円も損するわけじゃない。
すぐにご利益がありそうなこととか、はじめから意味があるとわかってやることの先に、たぶんそれほど意味はない。

意味があるのがわかっていることは、みんなこぞってやる。
やった先の答えももうわかっている。

そんなことより、どうなるかわからないけど、なんとなくよさそうなこと、そしてそれなりに大変なことをやるほうが、続ける価値がありそうな気がする。
意味はないかもしれないけど、ムダになるかもしれないけど、大変そうなことをやってみる。
そして、それを続ける。
ここにも書いたけど、結局コツコツとやっていった先にしか未来は拓かれない。

映画「JUNK HEAD 」の監督も積み重ねた人だ。

人見知りすぎて誰にも何も頼めない監督がコツコツと独学で1人で、7年かけて作ったストップモーションアニメ。
そこにできあがったのは、一人で誰にも教わらずに作ったからこそ生み出せた、誰も見たこともないようなとんでもない作品だった。
ぼくも仕事でムチャクチャ落ち込んだ日に見て、度肝を抜かれて、文字通り命を救われた。

結局、コツコツと努力を続けるしかないのだ。
その努力が報われるかどうかなんてやってる最中にはわからない。
報われるのがわかってたら、みんな努力する。

少し前に、水泳の池江璃花子選手が「努力は必ず報われる」って言ったのに対して、ネット上で「報われた人だけが言える言葉だよね」って声があがってたくさんの人が共感してたけど、それもまさにその通りだ。
全ての努力が報われるわけではない。

ボクシング映画の「ブルー」は、「努力が報われない」まさにそんな苦い映画だ。

努力すれば強くなれるのか、練習量が勝ちにつながるのか、現実の厳しさをつきつけながら、でも続けた先にしか見えない景色を示した素晴らしい映画だった。

すべての努力が報われるわけではない。
それは真実だ。
ただ、努力を続けた先にしか道がないのも事実だ。

別にすごく大変なことを続ける必要もない。
人と違う「何か」を見つけてそれを続ける手もある。

コンビニで「ビスコ」を100日買い続けるというくだらない挑戦だって、本気で続ければ物語になり、書籍化だってされる。

誰でもできることを、誰も見たことがないくらい続けてみることで、拓かれる道もある。

去年、「新喜劇王」というコメディ映画を見て泣いた。

笑いながら、クソメチャ泣いた。震えるほど泣いた。
万年エキストラ女優だった主人公が、人にバカにされながら、ひたすら役者を続けて、最後にスクリーンの中でかつての情けない自分の姿を見るラストシーン。
あれこそが、続けた先に見たい最高の景色だ。

あとで振り返ったとき「あのときがあったから今がある」そう思える今を生きたいと思う。

正直、ぼく程度の人間じゃ、そんなにすごい景色には出会えないとは思うけど、それでもいつか今を振り返ったときにそう思いたい。

そのためにできること。
それは全力で何かを「やり続ける」ことだ。

そう、続けることだけが、力なきものに残された唯一の武器なんだ。

おしまい。

++

今回で最終回にするつもりで書いていたのだけど、今朝「GRIT やり抜く力」(100冊目)という本を読んで考えを変えました。
やめるのやめます。も少し続けます。
ただ、これまでのやり方は少し無理が過ぎていたので、向きあい方とか更新頻度とかは変えることにします。ま、もう少しゆるくやろうということです。

それでは「コンゴトモヨロシク」です。


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