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続けた先に何があるかは、続けてみないとわからない

noteを書き始めて2年経った。

毎週1回、月曜日にアップして今回で106週の連続投稿。

なんとか2年続いた。

「え!?まだやってたの?」
くらいのことなんだろうなとは思うんだけど…

やっぱクソ大変だった。
今回も少しだけ自分をほめてもいいかなと思う。

おつかれさまでした。

今回は1年目をやりきったときとは、また全然違う大変さだった。

やり続けるということで言えば
1年目より大変だったかもしれない。

内容的には納得いかないことばかりで、
それに関しては「やりきった」という達成感はない。
これは自分の力不足なのでどうしようもない。

ただ、ひとつの区切りとしてやはり2年続いたというのは大きい。

去年、1年目をやりきった時は自分の中で大きく盛り上がった。

始めた当初から1年続けるってことだけを考えて
必死でやり続けて「ああ、これで解放される」って、
その喜びでいっぱいだった。

だいたい文章を書くのは苦手で、書くことが苦痛でしかない。
Twitterでつぶやくのですら何度も読み直して、
結局つぶやかないで消すくらいのビビりだし。
だからnoteを書いて投稿した後は、
毎回吐きそうなくらいのストレスが襲ってきて、
夜眠れなかったり、
毎週なんでこんな大変なことしてるんだろうって、
本当にしんどい思いをしている。
いまは少し慣れたけどそれでもやっぱりそれなりにしんどい。

「もうこれでおしまい」そう思うだけで、心が軽くなった。

ただ辞める気だったその日に読んだ本に
「始めたら最低2年は続けろ」って書いてあって、
仕方ないもう1年だけ続けるか…
そう思って続けることにした。

ただ1年目のような取り組み方ではとてもじゃないけど身が持たない。
2年目の取り組み方のテーマは「ゆるく続ける」だった。

ただ、この「ゆるく」というのが難しい。

「ゆるく続ける」とは何なのか? まずはそこから考える必要があった。

「ゆるく」とは…

結局「ゆるく」の具体的な答えは出なかった。
月曜日は憂鬱なままだ。

どうでもいいことを適当に書き殴れば、
それはある意味「ゆるく」なるんだろうけど、
「どうでもいいこと」は、すでに別のブログで毎日書いている。
同じことをやってもしかたない。

noteでは毎回きちんと「テーマを作る」ことにしていた。
そしてできるだけ「わかりやすく」伝える文章を書くこと。
そのことを意識して続けていた。
できているかどうはともかく「意識」はしている。

ただ1年目のように記事を作り込むのはきつい。
1年目は毎週日曜日をまるごと使って書いていた。
さすがにそれを2年目も続けるのはあまりにしんどい。
手抜きしたいわけではなく、
日曜日にほんの少しでいいから安らぐ時間が欲しかった。

「ゆるく」をどうにか具体的にできないか…

そう思っていた矢先、物理的に「ゆるく」せざるを得ない状況になった。
書く日に当てていた日曜日が使えなくなってしまったのだ。

というのは、少し前から心配になってきた母の調子が、
夏前頃にガタっと崩れて急激に悪くなってしまったのだ。

ちょうどこれを書いた半年後くらい。
もう心配とかのレベルは軽く超えてしまって、
1日1回の電話ではもちろん追いつかず、
何かあれば平日も駆けつけるという生活が始まった。
たくさん人の手を借りて、
あらゆる手を尽くして平日は何とか生活できる土台を作ったけど、
それでも思いもよらぬことが起きては駆けつけ、
そして毎週日曜はまるごと母のことに費やす生活になった。

平日は猛烈な仕事の忙しさでとても何かを書いている状況じゃないし、
唯一自分の時間がとれる日曜日も何もできなくなり、
正直noteとかどうでもいいやって気分で、
「続ける」とは言ったものの
「もう、やーめた」ってすぐに撤回したい気分だった。

でも次の月曜日──

もう時間もないし、今週は書かなくていいか…

そう思ったんだけど、

それだとなんか負けなような気がした。

やめるのは簡単。

そう、やめるのは簡単だ。本当に。
しかもやめる理由もある。

でも、だからこそ、やるのをやめようって思った。

いつまで続けるかはわからないけど、
とりあえず今週まではやる。
今日だけは何がなんでもやる。
来週はやめてもいい。
そう思いながら続けることにした。

書くための日曜日がつかえなくなったので、
結局やりかたを変えるしかなくなった。

それで、こう決めた。
「ゆるくする」=投稿する日まで書かない。

月曜の朝に超早起きして書くことにした。
うまくいけば2時間程度でするっと書ける。
内容は薄いかもしれないけど、それでも何とか続けられそうだ。
困るのは何を書いたらいいのかわからないって時。
数行書いては消し、また数行書いては消しを繰り返して
書けないまま半日が過ぎることもあった。
時間に余裕があれば気分転換でもしてアイデアを考えることもできるけど、
仕事しながら書くとなると、そうもいかない。
結局仕事にもかなり影響が出てしまって、
こりゃまずいなということになった。

結局、しばらくもがいて導き出した答えは「毎日書く」だった。
何でもいいから毎朝noteの下書きを書くことにした。
1日1個何でもいいから書く。
文章になってなくてもいいから、何か考えていることを書く。
大半は使えなくても週に一個くらいは何かヒントくらいは残せるだろう。

結果的にこれで比較的うまくいくようになった。

「ゆるくする」=毎日やる

これが自分にとっての最適解だった。

毎日下書きをしても
結局は月曜日の朝に書いた内容を投稿することになるのだけど、
保存されている雑な下書きは下地にはなるし、書くことのヒントにもなる。
月に一度、月曜の朝に母を病院に連れて行く日があるのだけど、
そんな日は病院の待ち時間に下書きを書き直して投稿したり、
毎日書いていることに助けられている。

結局、続けるなら毎日やる方が圧倒的にラク。
そのことがよくわかった。

とにかく2年目は時間との戦いだった気がする。
もうね、ほんとに大変でした。
今日も朝から母を病院につれて行くので4時前に起きてこれを書いてる。

こんな思いをしてでもやる意味があるのか?
それは全くわからない。

毎週、何やってんだろう?
ってバカらしくなる時もある。
正直今もそう思ってる。

やめる理由はたくさんある。
一方で続ける理由はそれほどない。

成功するための本を読むと書いてある。
意味のないことはやめる、
優先順位をつけて無駄を省く、
やめることこそ大事だと。

本当にそうなんだろうか?

意味のない、どうでもいい、取るにたりないことこそ、
しっかりと向き合って真剣やるべきなんじゃないか?

少なくとも今までそうやってこの人生の道を拓いてきた気がする。
ま、だから大した人間になってないのかもしれないけど。

きっと、意味がわからないから続けるんだろうなって、
なんとなくそう思う。

わかるまでやってみる。
やれる限り全力でやってみる。
きっと何かあるだろう。
ないかもしれないけど、別にいいや。

やめるのは簡単だからね。


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