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【小説 ショートショート】 ときめき

大学生の柳田真一は都内の大型電気屋の、イベントスペースでお気に入りのアイドルが登場するのを待っていた。
信一は同じように待ち構えているファンの中に埋もれながら、ポケットに入った携帯を確認した。
「絶対、写メは撮らないとな…」
デジタルの腕時計を見ると、イベント開催の時間は近づいてくる。
信一は胸をときめかせながら、その時を待ち続ける。
「ワクワクするよなあ」
隣にいた一緒にイベントに来ている友人の城ヶ崎が、興奮で鼻息を荒くしながら、浮き上がる汗をハンカチで拭って言った。
「そういえばお前って、誰推しだったっけ。まゆみちゃん?
「そうだな…」
信一は一瞬、言葉に詰まる。
彼は前から一緒にアイドルの話をしていても、城ヶ崎とは異なる感覚をいつも感じていたのだ。
「俺、誰推しとかないんだよな…」
「え、押しもなくて、よくアイドルグループが好きになれるよな」
リーダーのさき推しの城ヶ崎が少し呆れた。
そうなのだ。推しもいない柳田がここに出てくる予定のアイドルを好きなのは、なぜか自分でも原因が分からないときめきを感じるからだったのだ。
別にそのグループに好みのメンバーがいるわけでもなく、彼女たちが歌う歌が好きなわけでもない…。
「彼女たちが出てくれば、このときめきの原因がわかるだろう」
そう思いながらまた彼は時計を見た。
時間は夜の七時。
もう、ステージが始まる頃だ。


七時三分。予定より三分過ぎ。
観客から歓声が上がり、アイドルグループがちょっと観客よりも高くなったステージに登場した。
「こんばんわー」
グループのリーダーのさきが会場に集まった観客たちに手を振った。
「まゆみちゃーん!」
「さきちゃーん!」
「えなちゃーん!」
「モルモットー!」
集まった男性ファン、そのに混じった少数の女性ファンが一斉に、推しのメンバーに声をかける。
信一はメンバー、一人一人の顔をじっと見ていくと、どの顔も特に好みなわけじゃないなと思い、胸に手を当て、いま感じているときめきが何かを探っている。
顔がいいわけじゃないし、色っぽさを感じているわけでもない…。
「それでは明日発売されるシングル、『出家とその弟子』です!」
リーダーのさきがそう宣言し、思いっきり指を天に突き上げる。
カラオケ音源がでかいスピーカーから流れ、ファンたちが歓声をあげて、メンバーたちがマイクを持って歌い出す。
信一は耳を澄まして聞いているが、やっぱり、曲がいいわけでも、彼女らの歌がいいわけでもない。
しかし、確かに何かを感じ、少しづつドキドキと鼓動は高まっている。
何がそんなに?
そう思っていると、一人の太めな男性ファンが少し前に行き、仕切っている手すりのバーを握り締め、アイドルの歌をかぶりつきで見ようとすると、後ろの袖の方から、ノータイでスーツを着た強面な顔つきのスタッフが、上半身を少し覗かせて、ギロリと太めなファンを睨んだ。
「あ!」
その顔を見て信一はより一層、ときめきを感じた。
「もしかして、あのカタギじゃなさそうなスタッフがそれなのか?
でも、そんなことで心が踊るわけもないだろう。
もうちょっと彼女や彼女を取り巻く環境を覗いたら、それがわかることができるのかもしれない。そう信一は思った。
それから続いての握手会に並び、メンバーの一人にサインと握手をしてもらったが、やっぱり彼女たちによってそれが引き起こされるわけでもないことが分かった。
「それではお時間が来ましたので…」
司会者が締めのことばを言って、アイドルたちは手を振りながら、ステージから去っていく。
「よかったな。ライブ見れて」汗まみれの城ヶ崎が聴いた。
「ああ…。そうだな」上の空で信一が話を合わせた。
「どうだ。この後、豚丘でラーメンでも食うか?
「いや、ちょっと用事があるから…」


ミニライブが終わると、ときめきを抑えられず、友人を振り切って、彼は一人、カメラ屋の脇の細い裏道を走り、電気屋の裏口へと向かった。
信一がきっと、ここから車に乗って彼女らが帰るのだろう、と思っていると、その読み通り、数分も経たないうちに、車が数台止まり、裏口から出た、さっきのアイドルたちが黒いバンに乗り込もうとしている。
信一はやはり、何かしらのときめきを感じていた。そして電気屋の柱の影に隠れ携帯でこっそり、彼女らの動画を撮り始める。
すると、一人の女が、さっき客をにらんだマネージャーらしき人物と口論をしている。
「もうやだ、やりたくない!」
「うるせえ。早く乗れよ」
「なんで雑誌の編集長なんかに会わないといけないの?
「お前らみたいな素人を売るために決まってんだろ!」
「絶私、対に何もしないからね」
「それで仕事が取れるわけねえだろ!」
マネージャーが平手で、そのメンバーの頬を思いっきり引っ叩いた。
信一は生々しいアイドルの裏の世界を見て、また一層心臓のBPMを上げていった。
「何をやってるんだ!」
信一が彼女らの会話の一部始終、録画していると、突然、後ろから大柄の男が来て、信一の腕を強引に引っ張っていく。
「やめてください!」信一が叫び声をあげる。
「どうした?
メンバーと喧嘩していたマネージャーが、信一を捕まえた男に聞いた。
「こいつお前らの会話を録音してたんだぞ」
「この野郎、こっちに来い!」
鬼のような形相のマネージャーは、真一の首根っこを捕まえ、ワゴン車の前に停めてあった、白いセダンの後部座席のドアを開け強引の乗せた。
「携帯貸せ!」
暗い街を発進し始めた車の中、信一は後部座席の隣に乗った、大柄の男に携帯を取り上げられていた。
「すいません。誰にも言いませんから…」
助けを乞うと、「お前、こんな裏の話、知ったらどうなるか分かってるだろうな」
信一を助手席に乗った、マネージャーが男が恐ろしい顔で睨みつける。
「予定変更だ。山へ行け」
マネージャーが運転手に指示をする。信一は恐ろしい予感がした。山とはどこの山となのだろう。本当の山なのか隠語としての山なのか。そして、そこへいって一体、何をするのだろう。
「そうか、これだったのか…」
体をぶるぶる振るわせながら、信一は気がついた。
あのアイドルたちに感じたときめきの原因は、彼女たちのバックについていた、この男たちのに対しての不穏な予感へのときめきだったのだと…。(終)

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