見出し画像

限界を突破した限界集落を訪ねた!

20年で160人が38人に減少した集落^^;

沖縄県最北端の地が辺戸岬。ここに戸数60戸ほどの集落がある。辺戸と云う。縁が出来て20年。久しぶりに訪ねた。当時の知己の生き残りは数名に過ぎない。数年ぶりで立ち寄った共同売店に見知った顔があった。当時、行政と集落の板挟みになって苦労された区長の弟氏。縁が出来たのは、当時所属していた公益財団に届いた一通のメール。
助けてください!
行政との争いだったために、村と関係のある職業に就いていた皆さんは参加させず、60歳以上の、オジイ、オバアだけで、組織をつくった。反対運動目的では無い。
地域の環境を護る!「国頭環境青年団」と名付け、目的は3点とした。
1,ゴミを減らすために当時は那覇市でも行われていなかったゴミの分別をする 
2,浜にやってくる海亀の産卵地を護る 
3,忘れた^^;

同時に、在京の知己10名ほどで支援グループをつくり、数百万円の基金ををつくり、旅費とマイバッグ200枚。Tシャツ200枚を贈呈した。

21年前の「環境青年団」の結成式。

 
結成総会をおこなうことにして、報道各社を個別に回ったところ、TVが3社。新聞が二社来てくれて大きく報道された。
目的は、村がすすめていた事業を阻止することであったことは各社共に知っていた。
がその事は置いといて、地域の環境を護る!とした。
各社とも、大きく報道してくれて、沖縄県中に知れた。
別途内地の弁護団を結成し、提訴し、一年後勝訴となった。
皆さん、生き生きとしてたっけ。
訪れるたびに、当時のオジイ、オバアの顔が浮かぶ。
時の流れは残酷ですね。
今回の台風もそうですが、沖縄の台風は、下から吹き上がる。風速50mの風は車両を横倒しにする。そんな環境ゆえ、農業は畜産とサトウキビ以外は成立しない。

かろうじて、サトウキビ畑だけが残る荒れた耕地

当然だが、若者は集落を出ていき、オジイ、オバアだけになる。その地へカネが落ちる仕組みを造らないといけない!と長年考えてきた。
とある確定した事業の補完事業の企画を依頼されての沖縄入り。10枚ほどの提案書を持参し、関係者と面談してきた。
通せる!と関係者が仰せだったが役所の壁をどう破るか? 
概して沖縄の役所は動きが鈍い。
沖縄に限らずだが、役所は自分たちが立案したこと以外は、事業を受け入れない。
最後は、政治力で押し切ることになるようだ。
個人的な思い入れもあり、一ヶ月を要して書いた構想。どうしても通してくださいな!と窓口の人物たちにお願いしてきた。
集落を消滅させるわけには行かない。先に設立を支援した「畑作公社」にも埋め込んだ年金ファームなる概念は当地で生まれたもの。
国民年金と同程度を稼ぐ仕組みを遺したい!と考え続け試験もおこないながら後ろ髪を引かれながら、5年前に帰郷した。
今回再挑戦の好機が訪れている。

当時仲間につくってもらったロゴ。20年経ても色あせない!



集落の片隅に沖縄県知事選のポスター掲示板があった。現職のオール沖縄が押すD知事と自民党推薦で二度目の挑戦になるサキマ氏。そこへ暴れん坊が割って入り、保守票が割れている。D知事の再選は確実視されている。暴走老人にとっては、知事が誰になっても無関係。縁のあった集落が生き残れる事業を遺したいと念じての24時間だった。昨日は早朝に起床し、やんばるを一周してきた。懐かしい顔ぶれとも話が出来た。走行距離290kmの旅。

以下は辺戸岬からの沖縄開闢と伝わる「安須森御嶽」と辺戸岬。

祖国復帰闘争記念碑(与論島と火を燃して合図し合ったそうな)檄文が書いてある。
太平洋と東シナ海を結ぶ水道!

最北端の地。辺戸岬からの水道


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?