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多様性に注目して都市の記録をする理由

こんにちは、下妻市地域おこし協力隊の大竹です。

なぜ私は、多様性をテーマに、人を対象にインタビューして記録したいのか、その理由についてまとめました。
「シモツマーカイブ」に名前を変えた理由も最後に少し書いています。

多様性は自分自身の社会的安心に直結するから

 これが一番の大きな理由です。多様性が本当に認め合える人間関係やコミュニティでなければ、本当に安心しては暮らせないと思うからです。
 また、安心できる程よい関係が築ける、というのは暮らす都市を選択する際の理由の一つになり得ると考えるからです。

「認められなくてもそんなの関係ねぇ!」

と突っ張って暮らしていけるかもしれませんが、正直、経験上とても疲れます。そのまちにどうしても住まなければいけない理由がないなら、別の街で暮らす選択をする方がずっと建設的で現実的です。

 だからこそ、多様性を受け止められる柔軟性があるかどうか、というのは都市の魅力の一つと言えるのかなぁ、と考えます。  

安心できないまちから逃げ出したい

 私自身これまで大きな都市から小さい町まで、7つの市町に暮らしてきた経験があり、その中で、都市規模やコミュニティ規模が小さい場所ほど、暮らしに息苦しさを感じていました。

 理由は人間関係です。私がまだ幼かったのもあるかもしれないし、20年前の社会状況は今と同じではないですが、どんなに交通の便がよくても、暮らしのインフラが整っていても、多様性を柔軟に認められないと感じる人間関係の中では、安心して暮らすことができませんでした。自分がハーフだからか、転勤族だったからか、うまく馴染めず、かといって馴染みたくもなく、早くどこか誰も知らない街に行きたいなぁ、と思っていました。

 そうして大学進学でつくば市に来て、大学周辺のコミュニティはまさに安心できる場所でした。国籍や背景が皆違うので、多様性があるのが前提で、それを受け入れてもいいし、受け入れるのが難しければそっと自分から離れれば良いし、共感し協力しあえることがあれば一緒に活動できる一方で、一緒に活動しないことで糾弾されることもない。安心して暮らせる都市でした。

では、なんで下妻市に関わっているのか?

 ここで疑問が湧いてきます。ではなぜ、地方都市の苦い記憶がある私は下妻市の協力隊になったのか。

 きっかけは、修士学生の時に「しもつま3高」の設立に関わるワークショップに所属研究室で関わったことです。

 そこで出会った下妻市民の人々は、自分の意見がはっきりあって、バイタリティがあって、活動的で、自分の手でなんでも作れたり、イベントも仕掛けられたり、様々な活動主体がいて、一緒にやっていたりやっていなかったり、関わり方も多様で…
 私が持っていたネガティブな地方都市のイメージとは違っていました。

 「こんな面白い人も地方にいるんだなぁ。」

 という素直な感想を持ち、単純に一緒に何かやるのが面白く感じました。

 それから4年間、私は都内に出ることもありましたが、継続して下妻市に関わる中で、「こういう面白い人たちが、これからどんな下妻市を作っていくのだろう」と興味が湧いてきたところに、協力隊の話が出たので、もうちょっと踏み込んで関わってみよう、と応募することにしました。

 そして縁あって、現在に至っています。

地域との多様な関わり方の模索をしたい

 都市の多様性について記録したいもう一つの理由としては、私がどの様に地域と関わっていくべきなのか、個人的な模索もあります。

 個人的な事情ですが、私は今、博士後期課程で学生をしています。3年後修了できる様頑張るつもりですが…今後どうなるか、研究者になるのか、一般企業に勤めるのか、個人事業主を続けるのか、今は分かりません。また、今年、伴侶を得ました。相手も現在博士課程の学生で、研究者を目指しているのですが、駆け出し研究者は2〜3年で都市や国を転々としていくことが多い職業です。不規則になりやすい生活なので、彼を支えるためについていこうと決めています。
 「今後どうなるかほんま全然わからんな…」というのが本音です。

 そして、その中で、「いろんな土地を転々としながら暮らしていく人は、どうやって地域と関わりが持てるのだろう?」と考えました。

 定住することが地域に良いことで貢献できていることだというのなら、私はその方法では貢献できないので、地域に関わることを諦める他ありません。
 また、もしそうだとしたら、コロナでいろんな場所で暮らして働ける様になって、一つのまちに定住できない/しない人は増えた今、固定された限定的な関わり方だけだと、地域に関われる人の数を減らしてしまうのかな、とぼんやり考えます。

 市町村単位に留まらず、今は日本だけでなく、国外を居住先に選べる環境が、会社の仕組みや社会認識、オンラインサービスなど整ってきています。課題はもちろんありますが、私の大学でも、ゼミやクラスはオンラインに移行し、必要に応じて対面で行うようになっています。

 そうすると、今後例えば、海外に住みながら、日本の大学に在学し、オンライン講義を受けつつ、オンラインで仕事を受注し、適宜、実際の場で顔を合わせる、という働き方・暮らし方も増えるのではないか?と想像します。
 そうやって世界中、暮らせるまちをどこでも選べるのだとしたら、選択肢が世界中にある中で、人が下妻を選ぶ理由ってなんだろう?と考えた時に

「そんな関わり方もアリだよね!」

と、面白がって、応援してくれる人に出会えるかどうかではないか、と考えます。または「そんな人もいるんだなぁ」とそっと見守ってくれる環境、と言えるかもしれません。

 地域と多様な関わり方を模索することは、私の個人的な悩み解決だけではなくて、多くの人に還元でき得ることなのかと思います。

下妻市だけの話じゃないけど、下妻市だから私はできる

 多様性を柔軟に受け入れてくれる人は、下妻市だけにいるわけではないし、それこそ前住んでいた東京やつくばの方が、多いと思います。

 しかし、私が縁があったのはこの茨城県下妻市で、下妻市の中で、多様で面白い人々に出会い、お話を伺うことができました。

「今度インタビューしてみたいのですが」とこそっと伺ったら「いいんじゃない?また相談してね〜」と言ってくださる方々に、少しずつ知り合うことができています。

 それを他の方にも、もしかしたら下妻市に興味を持ってくださっていたり、他の地方都市での暮らしに興味を持ってくださっている方々に共有したいと思っています。

 今すぐバズらなくても、誰かが探してくれた時に情報に当たる様に記録(アーカイブ)として残したい、と思っています。そういうことで「シモツマーカイブ」に名前も変更しています。

 また、発信に関するメンターとなってくれる下妻出身者の方とも出会いました。おいおい、その方のこともインタビューしたいなと思います。

 私らしく私のできることで協力隊を頑張りながら、「地域とどう関わる?」についても考えていきたいと思います。
 どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。

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