なぜ、女子サッカー選手は「"女子"サッカーの魅力」を考えなければいけないのか。
「女子サッカーの魅力ってなんだと思いますか」
今まで死ぬほど聞かれてきたこの質問。聞かれるたびに、うまく答えられずに困ってしまう自分がいた。
「ひたむきな姿ですかね」
「まっすぐに頑張ろうとする姿勢だと思う」
「男子よりも繊細で気が効くプレーかな」
「女子サッカーの魅力ってなんですか」の質問に対して、よくこんな回答を耳にしてきた。どれも間違っていないと思う。むしろ、正しい。けど、他の選手や指導者、ファンがそう答えるたびに、それは本当に"女子サッカーの魅力"なのだろうかという想いがどうしても拭えなかった。
だから、いつも散々悩んだ挙句、「正直、探している最中です。女子サッカー選手でありながら、女子サッカーの魅力ってなんだろうと困っています。」馬鹿正直にそう答えていた。
そうやって、いつも女子サッカーの魅力をうまく答えられない自分がすごく嫌で。だから、その理由を考えてみた。
「なぜ、自分は女子サッカーの魅力を見つけることができないのか」
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「男子よりもパワーやスピードがどうしても劣ってしまう女子サッカーですが…」
女子サッカーの魅力を聞かれる時、必ずこんな前提が紛れ込んでいると感じているのは私だけではないはずだ。
間違いなく、女子サッカー選手よりも男子サッカー選手はパワーもスピードもある。私たちのカテゴリーだって、男子中学生や高校生と試合をすればスピードでやられてしまうことはよくある話。
「男子よりもパワーやスピードがどうしても劣ってしまう」という事実は、実体験を持って感じてきたし、実際にサッカー好きの方やメディアから直接言われることだって少なくない。だから、頭の中にはなんとなく「私たちは男子よりも身体能力で劣っている」という概念がついて回っていて。
「女子サッカーの魅力ってなんだと思いますか」
そう聞かれるたびに、私たちは無意識に男子との比較をしている/させられているのではないか。そして、答えるのである。
「男子よりもパワーやスピードがどうしても劣ってしまう女子サッカーですが、それに代わる魅力は○○です。」と。
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「サッカーの魅力ってなんだと思いますか」
男子サッカー選手に対してサッカーの魅力を問うのであれば、こんな質問の仕方になるのではないかと思う。(これは私の仮定なので、もし違ければ全力で教えて欲しい。)
そこには、男子も女子も関係なく、純粋にサッカーそのものの魅力を知りたいという想いしかないはず。男子・女子というワードがすっぽり抜けるだけで、意味合いが全く違う。言葉って面白いね。
なぜ、男子サッカー選手はサッカーの魅力を考えるのに、女子サッカー選手は"女子"サッカーの魅力を考えなければいけないのだろうか。
なぜ、私たちは、女子サッカーは男子よりも迫力がなくて観客数も少なくて認知度も低いという事実を前提に、女子サッカーの魅力を捻り出さなくてはいけないのだろうか。
「女子サッカーの魅力ってなんだと思いますか」
この質問は本当に合っているのだろうか。
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「サッカーがあまりにも魅力的だったから」
小学校3年生。サッカーを習い始めたあの時。
なぜ、サッカーを始めたのかと言えば「サッカーが好き」だったから。
サッカーをしているときは自分自身の感情を爆発させることができて、そしてそれが許されて。喜怒哀楽がぶつかり合って生まれるあの空間が、とてつもなく大好きだった。そして、サッカーをしているときは男子も女子も関係ない。それがたまらなく嬉しかった。
そして、それは今も変わらない。
私にとってのサッカーの魅力は、感情が最大限に生み出される場所であること。その感情がぶつかり合う高揚感。そして、ピッチにいるとき(ピッチにいる選手たちを応援しているとき)の自分は自分でしかないこと。
私の年代の選手の多くは、サッカーが男子のスポーツと認識されている時代にサッカーを始めた選手が多いはず。「女子サッカーだから」という理由でサッカーを始めた選手は少ないはずだし、まさしく私自身は「女子サッカーだから」なんて微塵も考えてもいなかった。ただ単に、「サッカーがあまりにも魅力的だったから」始めた1人でしかない。
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「サッカーの魅力は"どこに"あるのか」
ものすごく当たり前の話をするけれど、私たち女子サッカー選手は毎日サッカーをしている。女子サッカーをしているのではない。女子サッカーというカテゴリーの中で、サッカーをしているのである。
身体能力を男子と女子で比べたら、女子の方が平均値としては劣ることは間違いない。だけど、女子チームの中にだってスピード感あるサッカーをするチームはあるし、男子並みの足の速さを持った選手がいる。逆に、女子の方が気遣いができる選手が多いというのは分からなくはないのだけれど、別に男子にだって気遣い力が半端ない選手はいる。
そして、男子の中にもスピードで勝負するチームがあれば、ポゼッション重視のチームがあり、それは女子も同様。
要は男女に関係なく、選手によって、チームによって、魅せるサッカーの姿は全く異なってくるわけで。結局、サッカーの魅力は見ている人 / やっている人自身がどう意味付けするのかどうかで決まるはず。なのに今、私たちにはその意味づけの中で(特に女子のカテゴリーにおいて)、男女かどうかが無意識にパワーを持ってしまっているのではないか。
サッカーの魅力はみんなの総意で決まるものではない。
その人自身の中にある。
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来年秋に、日本で初めてのプロ女子サッカーリーグ『.WEリーグ』が開幕する。
.WEリーグ開幕に向けて、日本の女子サッカーを見に来てもらうためにはどうすればいいのか、今からできることは何かを、女子サッカー関係者の誰もが探っているのではないか。
その流れに乗じて「女子サッカーの魅力」を探ろうとする動きは今後ますます大きくなるのではないかと想定している。個人的に、そうやって自分たちの現状を理解し、今後どのような姿・立ち位置でありたいかをちゃんと考えることは絶対に必要な作業だと思う。
だけど、私たちが考えるべきなのは「女子サッカーの魅力」を考えることではないはず。「サッカーの魅力を女子のカテゴリーで見つけてもらう仕組みをつくること」が私たちが考えるべきことだと私は思っている。
27年も前、1993年に開幕したJリーグ。長い間サッカーは男子のスポーツとされ、テレビをつければJリーグの試合を見ることができる。
社会の日常に溶け込んでいるのはなでしこリーグではなくJリーグであり、サッカーが見たい人が週末に足を運ぶのもJリーグ。サッカーの魅力に触れる場所として先行しているのは、女子サッカーではなく男子サッカーであることは間違いのない事実だ。
だから、私たちは考えなくてはいけない。
自分たち女子サッカー選手が、女子のカテゴリーにいる中で感じている「サッカーの魅力」は何なのか。そして、それは社会の誰に共感してもらえるのか。女子サッカーの試合会場は誰にとっての居場所になるのか、を。
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後書き
これからの日本の女子サッカー界について考えるとき、海外の女子サッカー事情は大きなヒントを与えてくれるように感じている。
ex)代表選手の男女の賃金格差を訴えること、社会におけるジェンダーギャップに苦しめられてきた"女性"たちをエンパワーメントする存在となったアメリカ女子サッカー代表。
ex)SNSでは常に男女を並列に扱うことを徹底するスペイン各クラブのSNS。(バルセロナのこの写真、最高だと思う)
女性スポーツ界で起きているジェンダー問題と社会におけるジェンダー問題はリンクしている。そんな中で、アスリートが社会に対して発信することや居場所を作ろうと働きかけることは、必ずや価値のあるものになると私は信じている。
そして、そのポテンシャルが日本の女子サッカー界にはあることも信じている。
自分自身、それを突き詰めるためにこれからもアクションを起こし続けたいし、(たとえ今まではサッカーに全く興味がなかった人でも)一緒に女子サッカー界を通して社会を変えたいという人がいれば是非とも手を組みたい。
女子サッカーと社会との接点を増やすことから、始めるしかなさそうだ。
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