音楽が人と人を繋ぐ時
以前、
札幌にある "Tea salon 都忘(ミヤコワスレ)" に遊びに行った時の話です。
数年前にこのお店に遊びに行った時も、ここのピアノ(私が小さな頃からお世話になっている調律師の方が調整・調律したもの)を弾かせていただいたのですが、
その時にお店のお客様として来ていた方が私の演奏を聴いて号泣してくださって、後でこの手紙を書いてくださったそうです。
"音楽に感動することに、理由はいらない"
この言葉は心に響きました。
そして、
このお手紙を私に手渡しするために1年半も大切に保管してくださっていたお店の方々の温かさも沁みる…
ありがとうございます!
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さて、
音楽が人と人とを繋ぐために必要なものってなんだろう。
もちろん
楽器や、楽器を弾ける場所は必要なのですが、
私個人の考えとしては、
"自分以外の人と、良い時間と空間を共有しようとする意識"
だと思うんです。
これは考えてみれば当たり前の話で、
誰かと同じ空間・時間にいる時に、その人のことを全く意識しない(もしくは、無視することを意識する)と、相手を不快にさせる可能性があるわけです。
ただ、普段の練習ではそこまで意識が至らないことが多いし、
演奏中に聴衆を意識しすぎてパフォーマンス的に演奏すると、クラシック音楽を歪めてしまう可能性も少なくない。
パフォーマンス的に弾いた場合、音楽としては素晴らしいとしても
クラシック音楽として素晴らしいかはまた別の問題になります。
何故かと言うと、
クラシック音楽は音だけで表現が完成されている作品が圧倒的に多いので
視覚的情報と聴覚的情報が一致していないと、
目から入ってくる情報に、耳から入ってくる情報が惑わされて、本来伝えたい音の情報が伝わりづらくなる、ということが起きるからです。
さて、話を戻します。
私の場合、
演奏中は、自分の中に弾いている自分と聴いている自分を感じて、音楽が満ちている時間と空間に、
自分を浮遊させている感覚で弾きます。
確かにピアノを弾いているのですが、
自分の演奏を聴いている自分をもう1人空間に放っておく感じ。
そうすることで、お客さんとの一体感が更に強くなります。
やはり、
頭で自分の理想の音を鳴らして
体で音として表現して
耳でその音が理想だったか確認する
この3つのことは全て同時に進行しているのですが、
最初は一つ一つを分けて認識して感じていって、慣れてきたら全てを合わせて感じていくと更なる表現の世界に行くことができます。
そして、時間と空間に対する意識。
…私も理想に向けて日々楽しみます!
しかし、
自分が成長していくと理想も高くなっていくので、
いつまでも理想に届くことはないんですよね!
とにかく、常に学んで成長しつづけたい
。
まとめ+α
今回は私の理想を書いたので、他のタイプの演奏家もいます。
かなり言葉選びが難しいのですが、
良い意味でお客さんを排除しているというか、「演奏家が作曲家と向き合って音楽を楽しんでいるところを私たち聴衆が立ち会わせていただく。」という印象を受けるピアニストもいます。
それはそれで素晴らしい空間と時間になります。
また違うタイプとして、作曲家のことを考えずに自分のことだけをただ滔々と語るような演奏をするピアニストもいます。
それは音楽としては楽しいのですが、
音から得られる音楽的情報(作曲家の遺言)を変えて、自分を語ることだけのために使ってしまうため、クラシック音楽が歪む原因になります。
まず自分が音楽を楽しむというのは本当に重要なことですが、
楽しめるようになったら作曲家が書いた言葉の意味をもっと深く感じてあげることで、クラシック音楽の使者として歩んで行くことができると私は信じています。
すっごく難しいこと書いたように見えますが、
要は、
作曲家が何を言いたかったのかということに思いを巡らせながら音楽を楽しんで、それを聴いている人と共有するのが自分の理想だ!
ってことです!
今日も長文読んでくださりありがとうございました。
ハートやサポートをくださると嬉しいです!
読んでくださりありがとうございます!!