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強弱記号の正体。

今まで特別レッスンや単発レッスンをした時、
生徒さんに「ここに書いてあるf(フォルテ)ってどういう意味かわかる?」
もしくは、「これを作曲した人はどうして  f って書いたと思う?」

と尋ねると大抵、
「強く弾く。(作曲した人が演奏する人に強く弾いて欲しいと思ったから)」という答えが返ってきます。

これは半分正解・半分間違いです。

強弱は、単に「音の強さ・弱さ」ではないのです。

f や p というのは、強弱記号というよりは表情記号と言った方がしっくりきます。

なぜかと言うと、
強弱にはそれぞれのキャラクターがあり、
fにはfの喜怒哀楽があって、pにはpの喜怒哀楽があるからです。
人間と同じです。
喜怒哀楽という言葉では表せないほど複雑な感情を人間は持っています。

強弱のキャラクターを表現した結果として、音が強くなったり弱くなったりしているだけで、
音を強くしたり弱くしたりすることが目的では無いのです。
先生方は「そこはfと書いてあるから強く弾きなさい」と教えるのはどうかやめてください。子供のために。

音楽の表現にとってより大事なのは、
「何をするか」よりも、「何故それをするか」なのです。

作曲家の気持ちを考えるとわかります。

作曲家は、何か表現したい気持ちや感情があったから強弱記号(表情記号)を書いたのです。

ただ単に「音を強くしてほしい」「弱くしてほしい」と理由でそこに強弱記号を書いたわけではありません。

極論ですが、もしfとしてのキャラクターを表現できていれば、音が強くなくても伝わります。
ただ、fというキャラクターの感情を表そうとすると自然と音が強くなるだけなのです。

子どもたちに、
「そこはどういう気持ちなのか、何を表したいのか、実際に歌ってみてどう感じるか」を聞いてみてください。

そして、音楽に限らずどんなことでも、
「何故するか(理由)」→「どうするか(方法)」→「何をするか(結論・結果)」

の順が基本であることを忘れないでください。

「何をするか」という「結果」だけを教えてしまうと、
初めの内は「なんでそうするんだろう?」と疑問を持っていた子どもたちも、
しばらくすると自分で考えずに先生の言うことだけを聞くつまらない人間になってしまいます。

そんなの、音楽から根本的に外れている…!
と私は思います。
だって、表現するのは弾いている本人だから。
生徒は、先生が操る機械じゃないから。

「理由」を子どもたちと共有して、
まずは自由にそれを実現する「方法」を考えさせる、もしくは、生徒と一緒に考えていく。

そうすると、きっと子どもたちは自発的に学んでいく姿勢を失わず、
生涯音楽を学び、音楽と共に生きていく下地を作ることができると私が信じています。

最後にもう一つ。

子どもたちはまだ身体ができあがっていないので、
その子ができる範囲での音楽的な演奏をすれば良い、と個人的には思います。

指が速く動いたとしても、歌っていなかったら全く意味はなく、

感情が伴っていないfで、鍵盤を叩いたり、金切り声で叫んでいるような音になってしまったらクラシック音楽の美しさとはかけ離れてしまうからです。

その時できる最高のものを無理なく追い求めていければ、それが一番だと思います。

まとめ

強弱記号を表現する時に単に強さや弱さを表すのではなく、
音の色を感じたり、自分の気持ちを相手に伝えるための表現の仕方を考えることが重要です。

因みに、現代音楽では単に音の強さを求めたり、あえて不快な音を出す曲もあるので、その場合はこの文章に書いたことは適用されません。
作曲家がそうして欲しいと願った音なら、演奏家はそれに従うしかない。

ただ、一般的なクラシックの曲には「ただ強いだけの音」「ただ弱いだけの音」は存在しません。
どの音にも作曲家の精神が宿っているので、演奏家がその精神を甦らせることができれば、クラシック音楽に置いてこれ以上に素晴らしいことはありません!

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