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推しという文化がわからない

アニメ、漫画、ラノベ、ゲームが大好きで、いろいろ読んだりプレイしたりはするのだけど、いまいち「推し」というのがわからない。
単語の意味としての「推し」については理解しているが、そういう感情が沸き起こらない。
実感がないのだ。

アニメ、漫画、ラノベ、ゲーム。そういったものは大好きだ。
ジャンププラスが出てすぐサブスクライブし、いまでは3つともサブスクライブしているくらいには少年漫画が好きだ。
週刊ジャンプは全部読んでるし、ジャンプラの日々更新されるものもほぼ読んでいる。

だが、今のところ「推せる」ような感情を持てるキャラに出会っていない。
キャラやコンテンツが悪いのではない。
自分に問題があるのだと思う。
精神のありようなのか、それとも「推す」には何か資格がいるのか…。

幼き頃は「推し」がいたように思う。
セーラームーンのマーキュリーだとかレッツエンドゴーの烈だとか、好きだったキャラを思い出せる。
ソニックシリーズはめちゃくちゃ買ったな。
もうだいぶ過去のことなので、当時の感情を思い起こすことができない。

全てのキャラクターはコンテンツを成立させるための舞台装置。
そこにそれ以上の感情移入ができないのだ。
かっこいいキャラも舞台装置、かわいいキャラも舞台装置、嫌な感じのキャラも舞台装置…。

逆に言えばキャラにヘイトを溜めることもない。
「なるほどなぁ」
みたいな感じでサラっと読み進めてしまう。

と、ここまで書いてみて、自分は好き嫌い軸の感情の起伏が少ないのかもしれない、そう思った。
やはりアウトプットは良いものだ。
幼い頃にあった感情も歳を取るにつれ、擦り減っていってしまったのだろう。

今では唯一の推しは妻である。

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