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【死期を感じたとき自分なら何をするのだろう】映画『ザ・ホエール』感想

自分の死期を知った引きこもりの男。映画は彼の最期の数日間を描く。

映画が始まってすぐチャーリーの容姿に圧倒された。主人公チャーリーは272キロの巨漢。自力で立つことはおろか落としたモノを拾うのにも一苦労する。

それどころかチャーリーの日常は普通に生活するだけで命懸けだ。
感情が高ぶると発作を起こし死の危険があるし食事を詰まらせて死にかけることもある。

すぐに病院に行くべきなのは誰の目から見ても明らかだ。

本作でアカデミー賞主演男優賞を受賞したブレンダン・フレイザーの役作りも凄い。メーキャップには毎日4時間も費やしていたという。

そんな彼がアダルト映像を見ながら自慰をしてるという衝撃的な場面から映画は始まる(この時、彼が同性愛者であることも分かる)。

このインパクトある冒頭から映画に引き込まれた。

物語は、幼いころに置き去りにした娘エリーへの贖罪しょくざいを中心に宣教師のトーマス、看護師のリズとさまざまな人物たちとの交流が描かれる。

舞台はアパートの一室のみというワンシチュエーション。
背景こそ変わらないが、いくつもの謎と伏線が張られてる物語のため緊迫感が途切れることはない。

チャーリーの元を訪れる人物は、皆何かしらの痛みを抱えているという点で共通している。彼らの思いは物語とともに露わあらになっていくが、密室だからその感情が開放されることはない。

行き場のない感情は部屋に留まり、澱んだ空間となっていく。
とても濃密で重苦しい作品だ。自分はスクリーンを観ながら身動きの取れないような息苦しさも感じていた。それこそ劇中のチャーリーのように。

赦し、救い、癒し、それぞれの登場人物がチャーリーという人間のさまざまな側面を引き出すのが面白い

映画はチャーリーという人物を知っていく物語でもある。
冒頭こそ戸惑うが、物語が進んでいくと彼は大学の講師をしており機知に富んだ人物だということが分かる。

激太りした理由も知ることとなる。
チャーリーの肥大化した体は彼の癒えない悲しみの形だ。

なぜチャーリーは病院へ行かないのか?ということが疑問だったが、分かったような気がした。

チャーリーの行動は緩やかな自殺だったのではないだろうか。

チャーリーが死んだ恋人の悲しみに囚われているのは明らかだし、エリーたち家族への罪悪感もあっただろう。
本人が意識してるか無意識かは分からないが、病院へ行かないのは自分を痛めることで罰を与え続けているようにも見えた。

皮肉に思ったのが娘エリーとの関係。
母がエリーを信じないのに対し、父は娘を信じ切る。その姿は対照的だ。

母がエリー信じれないと言ったときのエリーの失望とショックの顔は思わず胸が痛くなった。

もしチャーリーがいればエリーも全く違った未来があったのでは…そう思わずにはいられなかった。ただ、そう考えるとチャーリーのしたことの罪深さもより強調されるのだ。

恐らくだが、チャーリーとエリーは感性も似ているんだと思った。

チャーリーと宣教師トーマスのやり取りから見えてくるのは、チャーリーの信仰への在り方だ。彼は死を前にしても神に救いを求めることはない。

自身の同性愛者であるというアイデンティティと恋人の一件がそうした思いを強めたのだろう。信仰ではなく知性にこそ人生の価値を見出している。

彼は自分が行っているオンライン講座の生徒へ正直に生きることの大切さを説く。

それは常識に縛られることなく自分の知性を大事にしろというアドバイスであり、人生を偽って生きてきた自分のようになるなという戒めとも捉えた。

キツい場面が多い中でリズとの時間は数少ない癒しの時間。2人の過去を知ってから見ると痛みを抱えた者同士が共に寄り添っているのだと感じる。

全編、閉塞感を強く感じる作品だが、その分ラストに迎える開放感は凄まじい。
それまでの重苦しい雰囲気から一気に解き放たれる。適切な表現かは分からないが最高のカタルシスを感じた。

ダーレン・アロノフスキー監督の作品はラストの絶頂感が素晴らしいが今作も同じく。「ああ、今映画を観ているんだな…」とエンドロールを眺めながらしみじみと余韻に浸っていた。

原作となった舞台は観てないが、終盤の演出は映画ならではのものだろう。構図、光の撮り方、音楽、全てが素晴らしい。

『レスラー』、『ブラックスワン』もラストが素晴らしい。本作はキャストの起用方法といい『レスラー』と通じるものがある。

伏線回収も見事。
チャーリーがエリーの元へ歩き出す姿が感動的だが、悲しいかな、それは救いの1歩であり死への1歩でもあるのだ。

彼が最後に見た景色も感動的だが、もしそこが天国ならそれも皮肉的だろう。

年を重ねた時にまたこの映画を観たいと思った。
死期を感じた時、自分なら何をするのか、何と向き合うのか、この作品はそのヒントを与えてくれるかもしれない。

2022年製作/117分/PG12/アメリカ

【参考】

劇中に登場するメルヴィルの『白鯨』。恐らく本作を象徴しているのだろうが、残念ながらちゃんと読んだことがない(過去に断念した…)
これを機に読んでみようかな。


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