【"家族"それは呪いか幸福か】映画『アイアンクロー』感想
アメリカに実在したプロレスラー一家を題材にした映画『アイアンクロー』。
プロレスは詳しくないが映画の評判が良いこと、映画の感想で多く見られる「家父長制」というワードに興味を持って観ることにした。
観に行ったのは4月13日(土)の伏見ミリオン座。
公開2週目の土曜日だったがお客さんの入りは6割程度。年齢層も性別もさまざで幅広いお客さんが来場していたという印象。
本作を一言で表すなら「父親の夢を背負わされた兄弟たちの悲劇」。
鉄の爪=アイアンクローを得意技としたアメリカの伝説的なプロレスラー、フリッツ・フォン・エリックを父に持ち、プロレスの道を歩むことになった兄弟の実話がベースとなっている。
以前から漠然と思っていたが、親が子供に夢を託すことの是非って本当はもっと語られるべきなんじゃないだろうか。
成功すれば美談だが、失敗した時は当人や家族にとって苦痛にしかなりえない。子供が親に憧れてその道を選ぶならまだしも、幼いうちから子供の将来を親が決めてしまうとうのは果たしてどうなんだろう。
本作も父親から「夢」を託された兄弟たちの努力と苦難の日々が描かれる。派手さこそないが丁寧な演出と、兄弟たちの行く末に引き込まれ132分という時間も気にならなかった。
暴君ともいえる父、フリッツの姿を通して描かれるのは家父長制の弊害。
家父長制とは要は「家庭における父親の権力の一極化」。
自分は家族や子育てはそれぞれに適した形があるため定義化はできないと思っていて、家父長制=絶対悪だとは思ってない。
ただ、息子を自分の夢を叶えるための駒としか思っていないフリッツの姿を見て思うのは、ヤバい奴には権力を与えてはいけないということ。
これは家庭だけに限らずどんな組織でも同じだろう。
エリック家の「弱音は見せず強くあれ」というマチズモな家風も彼らを追い詰めた一因として描かれる。
悲惨な結末に対し「たられば」というのは仮定でしかないが、彼らが人前でも涙を流せたら、親に頼ることができる環境だったら違う未来があったのではないか…とそう思わずにはいられない。
「家父長制」もそうだが、本作は家族を1つの「呪い」として描いてる点も印象に残った。
家族を「呪い」として描いてるというと『へレディタリー』、『ミッドサマー』で知られるアリ・アスター監督もそうだしロバート・エガース監督の『ウィッチ』も思い出す。「家族=幸せ」という家族幻想にアンチテーゼを掲げる作品が多いのも今の時代を反映してるといえるのではないだろうか。
ケリーが死後、他の兄弟たちと再会する場面は悲しいし胸に刺さる。あの場面はケリーの死体を前にしたケヴィンの想像というか願望と捉えたのだけど(作り手の優しさだとも思う)そうだよな、死を選んだのならその先はせめて平穏でいて欲しいと願うよな、自分もそうあって欲しいと思うよ。
ショーン・ダーキン監督の作品、観るの初めてだったけど良かったなぁ。ザック・エフロンの肉体づくりはじめ配役も素晴らしい。
『アイアンクロー』、気になった人は是非ともチェックしてみてね。
※最近観た家族を呪いとして描いてると感じた映画2作品の感想。良かったらこちらもチェックしてみてね。
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