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『私をくいとめて』原作との違いに作り手の思いを知る。

2020年12月18日に公開予定の『私をくいとめて』。1人暮らしを満喫している女性の恋と成長を描いた物語だ。本作は、10/31から11/9まで開催されていた第33回東京国際映画祭「TOKYOプレミア2020」部門で観客賞を受賞するなど評判も高い。筆者も11/9の19:45の回で1回目を、テアトル新宿で12/19の18:45回で2回目を鑑賞してきた。その中で筆者が特に気になったこと、感じたことなどを感想を交えて紹介していきたい。

【作品情報:『私をくいとめて』】

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製作年:2020年 製作国:日本 監督:大九明子

おひとり様暮らしを満喫している31歳の黒田みつ子。彼女の脳内にはもう1人の自分であるAという相談役が存在しており、みつ子は相談や愚痴の相手となってもらっていた。そんなみつ子は取引先の営業マンの多田に恋心を抱いていた。過去の恋愛の痛手もあって、勇気を出せない自分に戸惑いながらも、一歩ずつ前へ踏み出していこうとするみつ子の姿と成長を描く。

【『勝手にふるえてろ』の綿矢りさ×大九明子監督コンビが再タッグ!】

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綿矢りさ×大九監督の組み合わせといえば、傑作映画『勝手にふるえてろ』のコンビ。『勝手にふるえてろ』にハマった人なら本作にも少なからず期待を寄せるだろう。ちなみに本作を鑑賞した身としては、充分に期待に応える作品だったと言っておきたい。
ここでは改めて、本作の魅力の要因を探りたいと思う。まず、原作者の綿矢りさといえば、『蹴りたい背中』で第25回野間文芸新人賞の候補となり、2004年の第130回芥川龍之介賞を受賞。それまでの最年少記録を大幅に更新したということで大きな話題となった。その作風の特徴としては、日常を生きる女性の心理に寄り添った作品が多い。『インストール』(2004年)、『夢を与える』(2020年)など映像化されてる作品が多いのも特徴的。
そして本作の映画化を担当した大九明子監督。『勝手にふるえてろ』(2017年)、『美人が婚活してみたら』(2019年)、『甘いお酒でうがい』(2020年)など、女性の生き様を描いているのが特徴的。綿矢りさ、大九明子、この2人に共通する点は、舞台は現代、社会に生きる女性の姿を描いてるということだろう。そう考えると、お互いに作風が通ずる2人だからこそ、本作はより傑作になったと言えるのかもしれない。

【のん、林遣都、橋本愛…実力派キャスト勢ぞろい!】

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本作を傑作たらしめてる要因のもう一つが、各キャストのハマり具合。大九監督の『勝手にふるえてろ』にも通じるが、本作に出てくるキャラクター達はどこか可笑しく愛おしい。
まず、主役のみつ子を演じたのん。今年は本作だけでなく『星屑の街』、『8日で死んだ怪獣の12日の物語 劇場版』、『マロナの幻想的な物語』(日本語吹替で出演)など多数の作品へ出演している。
本作は全編みつ子の主観で物語が進んでいく、なので、みつ子=のんの演技で作品の評価はほぼ決まると言っても過言ではない。しかし、こののんの演技が素晴らしかった。大九監督いわく『仕事人』と評されるほど、真摯に作品に向き合ったというのんの演技力は、133分という長時間一人で画面を保たせるには充分。コミカルさだけでなく、時に観る者をハッとさせるような今までに観たことないダークでシリアスな一面も観る事ができる。今作だけでなくこれからの作品も観てみたいと思うような、これからの可能性も感じさせる演技力だった。

私をくいとめて③

みつ子が恋心を抱く多田君役を演じた林遣都も良かった、正直今まで彼の出演作をそんなに観たことがなかったのだが、少しとぼけた朴訥とでも言うべき雰囲気をまとっており笑いを誘う。また、みつ子の先輩のノゾミさんを演じたのは臼田あさ美。みつ子の良き話し相手であり、心の支えでもある人物だが、同じ会社の所属するカーターに恋する姿は大いに観る人を笑わせてくれる。

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そして、みつ子の親友皐月を演じた橋本愛。のんと橋本愛のコンビというと社会現象にもなったNHKドラマ『あまちゃん』以来の共演だが、劇中でのみつ子と皐月も何年か振りの再会という、劇中の役柄と本人たちの関係性がシンクロするという演出がなかなか心憎い。『あまちゃん』にハマった世代なら、この2人が画面に映るのは胸が熱くなるものがあるのではないだろうか。
観客へのサプライズとして登場するのが中村倫也(声だけの出演ではあるが)。こちらのキャストに関しては、公開前はシークレットとなっていたが(東京国際映画祭で上映された際は秘密にしておいて欲しいとの案内があった)落ち着いて優しい声は、いつでもみつ子を優しく見守ってくれるAに相応しい。
『勝手にふるえてろ』の時もそうだったが、大九監督の作品は劇中に登場するチョイ役のキャラクターまで愛おしいのも魅力の一つ。(本作でいえば揚げ物屋のおじさんなどが笑いを誘う)
こうしたのんを始めとする登場人物達全員が見事にハマっていることが本作の魅力を更に引き立たせている。

【原作との違いから見えてくる作り手達の思い】

本作の脚本を手掛けたのは大九監督。今回、映画化するに辺り、原作を多少なりとも変えたという話を、東京国際映画祭の時のQ&Aで語っていたので、原作を読んで映画と内容を比べてみた。(内容に深く触れてるので鑑賞前の方はご注意下さい)

まず、こちらの記事(FASHION PRESS様の記事)を参考に原作との違いを箇条書きにしておく。

①:みつ子の年齢は32歳から31歳へ
原作では33歳を目前に控えた32歳として描かれているみつ子だが、映画では31歳に変更されている。
②:みつ子の親友・皐月は妊婦として描かれている
イタリア人の男性と結婚して、イタリアへ行ったみつ子の親友・皐月は、映画版では妊婦として描かれたことにより、みつ子とより対照的な存在として登場する。
③:原作には登場しない新キャラで片桐はいりが登場
原作に登場しない映画だけのオリジナルキャラとして、みつ子が働く会社のできる上司として片桐はいり演じる澤田が登場している。
④多田君の容姿の変化
みつ子が恋する多田君は、原作だとスポーツ刈りの体格の良い男性として描かれている(みつ子曰く表情も真剣な顔つきをするほど目つきが悪いとのこと)この変更は、大九監督が脚本を書いた時に、みつ子が好きになる男性は、原作のようなスポーツマンタイプの男性ではなく、林遣都演じる男性のような人だろうと思って描いたとのこと。

みつ子が向かう場所など、細かい点でも原作と変更してたりするのだが、原作から変更した箇所で、筆者が特に印象に残った場面がある。それはのん演じるみつ子がノゾミ先輩に貰ったチケットで、日帰り温泉に向かう一連の場面。温泉宿に着いたみつ子は、大広間で芸人達によるお笑いショウが開催されていることを知り、そのショウを観に行く。ショウの終了後、演者として登場していた女性芸人が、酔っ払い客にセクハラを受けてるのを目の当たりにする。みつ子は激しい憤りを覚えるが、声にして注意することができなかった。そして、1人になった場面で、その怒りを吐き出すと共に、普段は抑えていた暗い思いを一気にAに吐き出すのだ。
最初この場面を観た時、それまでのコミカルな印象から一変、一気にシリアスな雰囲気に変わる様に驚き、これは原作でも描かれているのか、それとも映画オリジナルなのか気になった。
それくらい、この場面はこれまでと比べて落差を感じる場面だ。

私をくいとめて①

原作だと、日帰り温泉に行く下りは同じだが(原作ではノゾミさんからチケットを譲り受けてたが、映画はイタリア旅行の予行練習として自主的に向かう)、映画のように温泉施設でセクハラを受ける場面に遭遇するのではなく、帰りの電車内でロケ終わりのタレント一行にセクハラを受ける女子中学生集団を目撃する。映画でも原作でもセクハラを受ける女性という点で、共通はしているのだが、原作は映画と比べ、みつ子もひどく気分を害し、自己嫌悪に陥るものの、映画の感情の爆発のような描き方はされておらず、割かしあっさりとした印象を受ける。
筆者が映画のこの場面を観て感じたのは「怒り」。
映画が何故このような場面になったのかは、いくつかの理由が推測できる。
一つは元芸人という大九監督の経歴。映画でセクハラを受けてるのが女性芸人というのは、大九監督の経歴が少なからず影響してるのではないだろか。もしかしたら実際に似たような場面を観た、もしくは自身が同じような目に遭ったことがあるのかもしれないと考えてしまった。また、みつ子役を演じたのんもこちらの記事によれば、今回の役を引き受けたのは、温泉施設でみつ子が激しく気持ちが揺れ動く場面を演じてみたいと思ったからと語っている。(東京国際映画祭でのQ&Aでもこのことを語っている)大九監督によれば、ここはのんの気持ちが入り過ぎており、凶暴な可能性を感じれると語っている程の気持ちの入りっぷり。実際にこの場面ののんの演技は鬼気迫るものを感じずにはいられない振り切りっぷりだ。また、個人的にこういう問題を邦画のメジャー作品で描いているという点も注目すべき点だといえる。
正直、この場面は、良くも悪くもそれまでの雰囲気とはガラッと変わるので、賛否分かれるかもしれないが、個人的にはみつ子の役柄に深みを増していると感じた。

私をくいとめて④

また、もう一つ個人的に気になった場面として、みつ子と多田君のデート場面を挙げておきたい。ドライブデートをした2人は楽しく1日を過ごしていたが、途中から雪が降りだしてきてしまう。その時に多田君が思わず悪態をつくのだが、その時の多田君のギャップが怖い!それまでの多田君のどこかのほほんとした雰囲気とは一変。一気に場面が不穏になるのである。この場面も原作にあるのか気になったが、この場面も原作にはない。この場面が入っていた理由が最初分からず考えてみたが、この後、2人はホテルへ行き気まずい思いをするのだが、その前の不穏な空気づくりのためか、自分たちが思う多田君という人間の別の面を描きたかったのか…この場面に関してはもし聞く機会があれば監督に是非伺いたい。何にせよみつ子は多田君のカップルはもしかしたらこの後上手くいかないのではないか…そう思ってしまうような場面でもあった。こうして原作と比べてみるのも、映画の楽しみ方の一つだと思うので、気になる人は是非原作もチェックしてみて欲しい。

【大滝詠一の歌詞に込められたエピソードが切ない】

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本作の主題歌でもあり、劇中でも何度か登場する登場する大瀧詠一の『君は天然色』。
特にみつ子がイタリアへ搭乗する際に、飛行機内で流れる場面は、文章では歌詞だけの場面をダイナミックに映像化しており、特に印象に残る場面だ(ちなみに原作者である綿矢りさは、この場面が一番好きなとのこと)
この曲の歌詞がどんな意味なのか気になったので、調べてみたところ、実は歌詞にまつわるエピソードが何とも切なく悲しかったので、こちらに紹介しておきたい。(以下こちらのWikipedia参照)

歌詞は『A LONG VACATION』収録の他の曲同様松本隆へ依頼したが、松本は仲の良かった妹を病気で亡くし、スランプに陥っていたため製作が遅れていた。松本は大滝に他の作詞家を探してくれるよう頼んだが、大滝は松本に、君の詞じゃないとだめだから半年でも1年でも待つと言い、松本の詞を待つことにし、結局アルバムの発売は半年遅れた。その時松本は、妹を失ったどん底の精神状況で見た街の色から「想い出はモノクローム」というフレーズを思いついた。それに続く「色を点けてくれ」という詞も「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしいとの願いだった」という。

歌詞を改めて読んでみると「夢まくら」という表現は確かに亡くなった人に向けられるような表現でもある。原作者である綿矢先生はこの歌詞のエピソードのことも知っていたのか聞いてみたいところである。

【まとめ】

いかがだっただろうか。1人の女性の恋と成長を描いた物語という点では『勝手にふるえてろ』と共通するし、大九監督の演出は、他の作品を通して一貫していると感じるので、『勝手にふるえてろ』を楽しめた方なら本作も気に入るのではないかと思う。個人的には改めてのんの演技力の高さを感じることができたし、原作との違いに作り手たちの思いなどが垣間見える作品で、そういう意味でも面白かった。興味ある方は是非、劇場へ!

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