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【夏は喪失の季節】『サマーフィーリング』感想

サマーフィーリングポスター画像

一昨年のTIFFこと、東京国際映画祭でグランプリを受賞した『アマンダ』(劇場公開時には、『アマンダと僕』に邦題が変更していたが)のミカエル・アース監督の長編2作目。

ポスタービジュアルが素敵すぎて気になっていた作品。
昨年の7月に公開されたのだが、スケジュールの都合で観にいけず悔しい思いをしていたら、何とアップリンクの「見逃した映画特集2019」で扱ってくれるという事で、行ってきました。アップリンクには感謝しかない。

という訳で観てきたのだが、素晴らしい作品だったのでその感想を残しておきたい。

サマーフィーリング、チケット&パンフレット画像

ある日、恋人を突然なくした青年ローレンス。恋人の妹、サシャとローレンスの2人が幾度と夏を巡っていく事で、各々が人生へ向き合っていく様を描く…というあらすじ。

この映画の最大の魅力は映像美。
間違いなくエリック・ロメールに影響を受けたであろう映像は淡く、16mmフィルムの荒い粒子で彩られた映像はまるで絵画のよう。

極端な話、ストーリーを追いかけず、この映像をただ眺めているだけで充分。スクリーンの中に入り込みたくなるような気分に浸りながら観ていた。

サマーフィーリング場面写真②

昼間の夏、朝の爽やかな夏、真夜中の生暖かな夏…この映画は、あの夏の温度を肌に感じさせてくれる。それは日本のジメジメした蒸し暑い夏とは違う、汗の匂いを感じない夏だ。

この作品に限った事ではないが、映画を観てフランスに憧れる人の気持ちがよく分かる。この撮り方本当に好きだ。

サマーフィーリング場面写真④

映画の特徴として挙げられるのが、劇中内の季節が「夏」という事と、夏を巡るごとに舞台となる場所が異なるという事。

出てくる都市はベルリン、パリ、ニューヨークの三都市。描かれるのは愛する者を失った二人の喪失感と再生へと向かい始める姿だ。
ミカエル・アース監督は、次作の『アマンダと僕』(2019)でも夏を舞台に愛する者を失った喪失感を描いている。

アマンダと僕

なぜ、夏を舞台に愛する者を失う物語を描くのか?この質問に対し、ミカエル・アース監督はパンフレット内で次のように答えている。「濃い青に明るい光がさすと、空虚さが際立つように、夏こそ激しい喪失感を感じる季節だと思う」

夏こそ喪失の季節…さすがは愛の国、フランスといったところ。とてもロマンチック。この二作品は他にも、公園と自転車が頻繁に登場してたりと共通点が多い。

サマーフィーリング場面写真③

この作品も『アマンダと僕』も、ともに愛する人を失った物語だ。だが、大げさに悲しみは描く事はしていない。面白くない邦画にありがちだが、大げさな音楽と共に「さあ、ここで泣いてください!」とドラマチックに観客を煽り立てる演出はない。ここで描かれるのは、日常生活の中でふとした時に、悲しみが訪れる瞬間だ。

サマーフィーリング場面写真⑤

時間も経って、全然悲しいことなんて考えてなかったのに、突然悲しみが込み上げてくるあの瞬間、誰しもが一度は体験した事があるんじゃないだろうか。

あの日常生活に寄り添う悲しみをこの映画は描いている。今作も『アマンダと僕』も、『悲しみに、こんにちは』(2018年)などと共に悲しみを描いた作品に名を連ねる作品だ。

ミカエル・アース監督、夏と喪失をテーマに映画を撮ってきたわけだが、次作はどのようなテーマに挑戦するかとても気になる。次は秋や冬などを舞台に撮った映像を観てみたいものだ。

サマーフィーリング場面写真①


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