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言語 と 非言語 を磨き続けること

英語は、じぶんがどういう英語を話したいのかをまず考えてそのテーマを扱うもの(メディア)に触れる機会を増やせば自然と単語を知っていける。

経験から話すと、まず聞くことを増やして(映画を観たり、ラジオを聴いたり)耳を慣らしてから、話せるようになると思ってる。聞き取れないのに対話は続かない。高2で初めてイギリスに行った時あたしは耳が結構マシだったから英語にそこまで抵抗なく入れた気がする。

読み書きは、読みは日本人は(学校教育が力を入れているから?)まだ得意な気がしてて、書きにはかなりの奥深さがあるので完璧になるのにはかなりの緻密な確認と継続が必要な気がしてる。英語は、読んで書いて聞いて話すと、相互作用で一気に上達する。どれかが欠けると良くない。

英語を話せなくても近々情報伝達を出来るようにはなると思うけれど、情報伝達をした後に与える印象には、人間独特の抑揚や身振り手振りがかなり影響を与えると思うのでそういう部分ではまだまだ英語を習得することのメリットはあると思う。

昔に比べて他言語を学ぶ環境はかなり整っていると思うので、うまくそういうツールを使いこなして「じぶんで」習得すれば、日本語しか話せないじぶんには見えない世界がたくさんあると思う。

まだまだ人間同士のコミュニケーションツールが「言語」である以上、そのツールを磨くこととツール自体の種類を増やすことに時間をかけるのは無駄ではない。

非言語として、写真(視覚情報)に興味を持ち始めて Instagram を2012年から日記代わりに(備忘録ツールとして)使い始めて約8年?経つけれど、非言語のコミュニケーションは言語で規定されることで抜け落ちる情報がベースで新たなコミュニケーションが生まれることが多いので、やぱり面白いし、異言語の壁も打ち破れる強さがある。

非言語 も 言語 も、そこに interaction / reaction がある限りは磨き続ける(少なくともあたしは)

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本をたくさん買って、たくさん読んで、たくさん書きます(たぶん)