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「対話」を語りまくってみた!

みなさんこんにちは!SHIMOKITA COLLEGE生のりらです。2022年12月から高校生のプログラムで3ヶ月住んでいました!これから2年間大学生プログラムに参加します。今回は、私がSHIMOKITA COLLEGEに高校生として住んで生まれた問いから、カレッジ生のみんなと対話を行い、noteにまとめてみました!

〜対話について語る会〜
日々コーヒーチャット(カジュアルな1on1)を沢山行ってきて、対話とは、深い対話とはどのようなものかと疑問を持つようになりました。そこで今回は、カレッジ生で対話のエキスパートの方々と対話について語る会を開催しました!

今回のスピーカーのみなさん



みさ 毎日ごきげんニコニコな社会人
りろ スマイル素敵なしっかりお姉さんの社会人
あんじゅ 卵と下北沢の人が大好きな大学生
はらたろう 本と対話と走ることを愛するHLABのスタッフ 
よーへい 誰よりもSHIMOKITA COLLEGEをエンジョイしている大学生
まーにー みかんを愛するとても聞き上手な社会人

他にも大学生から社会人まで様々なカレッジ生とこの会を開催しました!

深い対話ってなんだろう、どうやって生まれるの?

場のハイと個人のハイ

みさ:私は、コミュニケーションはざっくり二種類あると思ってる。ひとつは情報交換のための「会話」で、もうひとつが内省のための「対話」。自分の中で完成された表現を交換するんじゃなくて、自分の中で感覚としてはあるけど、言葉になっていないものを探るために言葉にしているのが、内省のための対話だと思っている。対話は、目の前で起こっていることを、内側から感じる。その人の感覚にできるだけ近い状態で、「この人が見ている物って何なんだろう」を捉えてみる、「どういう頭の、心の動き方なんだろう」を考えてみること。

りろ:体感覚を伴っている、って大事だと思う。結果としていい瞬間だった、というか。考えるよりも、言葉よりも、涙が出てくる、みたいな瞬間。プロセスとしては、「何が心に触れているんだろう」ということを一緒に考えていくしかない。一緒に考えていくうちに、一緒に感じるようになって、没入して追体験できる。

はらたろう:走っていると辛さを越えて集中力が高まる、ランナーズ・ハイという現象があるけど、対話もそれと同じようなハイがあって、場のハイと個人のハイがありそう。今、2人が言ってくれたのは個人のハイな気がするね。

あんじゅ:対話では自分が考えていることを置いてみるのが大事なような気がしている。キャッチボールじゃなくて、色んな人が自分の発言したボールを見てくれる感覚がある。みんなの間に何か新しいものが生まれる。それって場のハイじゃないかな。

対話に没頭している空間

対話ってしんどい

みさ:対話って、筋トレとかサウナのような時間な気がする。瞬間はキツイ、苦しいけど、終わってみると良かったなーって思えるもの。

りろ:良い対話の後には何も言葉が残らないよね。

みさ:会話がダメ、と言っているわけではない。おもろいし。対話ってしんどい。その人の一番深い部分に触れることになるし。

感情のトンネルに探検しに行く

みさ:対話が成り立つ条件のべースは、好奇心と愛だと思っている。その人の事を知りたいと思っていないと、始まらない気がする。その人への思いがあるからこそ、もっと知りたい、って思える気がする。

人と向き合う準備、私は感情のトンネルと呼んでいるんだけど、そのトンネルの中を、ライト一つで、何を見つけるか探検しに行って、見つけたものをテーブルに乗せて話す。それが対話のような気もしている。

はらたろう:他に対話が成り立つ条件ある?

りら:自分に正直になること。

よーへい:相手に興味関心を持つ事、自己開示する事、共感する事、これを大事にしている。これが無いと深まらないよなって思う。自分がどれだけ自己開示できるかによっても、話の深まりは変わると思う。共感できたら最高だと思うけど、なかなか共感って難しい。

はらたろう:対話の中で「他者の靴をはく」みたいな感じ。相手の立場に立って、相手の景色を見ているとき、それが全く受け入れがたい、共感できないことであったとしても、理解はする、受け止める、という感覚を大事にしたいな、と思った。

カレッジの日常

対話に込められた願い

みさ:願いに辿り着くのが対話なのかもしれない。対話は、本当はこうしたい・こうありたいけど、できていない、という時が一番入りやすい気がする。自分の中でまだ言葉になっていないものがある状態で、人に話してみたときに、新しい言葉となって出てくると、マジで泣きそうになる。

はらたろう:確かに、「対話に目的はない」と言っておきながら、1人1人が願っていることはあると思うし、その願いが達成されてほしい場でもあると思う。例えば、アダムカヘンの人は紛争解決、オープンダイアログはケア、ビジネスの対話は、ビジネスの課題解決。それが場における「願い」として設定されている。

結局対話って??

みさ:対話とは何か、を一言で言うと、「探究」だと思う。探究は答えが分からないものをぐるぐる歩き回る過程だと思っている。分からなさ、みえなさを保留して、言葉にしてどんどん出していく過程。

りら:対話って、自分と向き合うことができるものだと思う。人と話す中で、自分でみえていなかったことや、自分があえて蓋をしていたものを見る機会に繋がっている。

みさ:参加している皆が同じ解像度で、同じイメージを持てるように、という目的を設定するのは会議とか議論だと思う。その目的意識はそれぞれで良いと思っていて、でも対話の時間を通じて、1人じゃ辿り着けなかった考えだったり、もっと考えたい!と思ったりすることでも、価値のある時間なんだと思う。

はらたろう:高校生が、SHIMOKITA COLLEGEでの3か月を通じて、「自分の将来について分からなさが増した」という言葉を聞いた時には、しめしめと思う。一度学ぶと、何でも出来るような気持ちになるけれど、そこからもっと知っていくと、もっと分からない事が増えていく感じ。それを乗り越えてまた更に知っていく。それをみていて、問いかけ続けて良かったな、って思う。

2人での対話

対話と私

りら:やっぱり対話って謎だな。こうだ!と分かったわけじゃないし、みんなの考えを聞いたけど、それが整理されたわけでもないし。もっと深めていきたいと思っている。

さお:「幸せとは」に似ているような気がしている。幸せな時はあったけど、幸せって何?と聞かれると答えられない、みたいな感じ。

みさ:改めて、対話が好きって言えないな、と思った。対話って心地よい時間ではなかったなーって振り返ると思う。サウナと同じ。熱いの嫌だし、寒いの嫌だし、整ったからなに?って感じだけど、なんかまたやりたいと思ってしまう。麻薬のようなモノだなと思っている。

はらたろう:僕は人が変容する瞬間に立ち会うのが好きで、それは対話によくあらわれるなと感じている。でも、そこに行きつくまでには色んな準備が必要で、沈んだ分だけ跳べるな、と思っている。本人の願いが大事だし、それが現れるまで根気が必要だなと思う。

よーへい:結論は決まらないからこそ、考え続ける必要があるなと改めて感じた。でも1人で考えてもしょうがない気がして、誰かと話す事で光がみえてくるものじゃないかなって。改めてこういう「場」が大事で、その場を誰もが作れるような環境が大事だと思う。

りろ:みさはオープンダイアローグとコーチングがベースにあるし、わたしはNVC(Nonviolent Communication)。対話といってもそれぞれが立脚しているものが違って面白いと感じた。カレッジの中では目的を据えない対話を、日常の中で積み重ねたいなと思う。

まーにー:いろんな人と一対一ではなすときに、純粋に思ってることを知りたいという気持ちから、自分の対話の方向性、仮説で問いを出している。そうしていると、しんどいと思うことも多い。みんなの話を聞いていると、いろんなスタイルがあると思った。時間的余裕があると対話を深められるのは確かになと思う。自分はそういう時間をもてるようになりたい。

みんなが思い描いている対話、追い求めている対話の姿は違う。だからこそ、自分が思う対話、コミュニケーションのあり方を追い求めていきたいし、人と共有する時間を大切にしていきたいと感じました!
参加者の皆さん、そして、この記事を最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました!!

安倍りら


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