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僕らのバンコクが戻ってきた? でも悩みの1泊隔離

バンコクに到着した。この時期、タイは1泊だけだが、ホテルでの隔離があった。入国後、PCR検査を受け、その結果が出るまでホテルで隔離状態になる。隔離というより待機といったほうがいいかもしれない。そのためにホテル1泊代を払わなくてはならない。タイ入国のためのタイランドパスを最初に申請したのは前の月だった。この時期は、入国初日のほかに5日目の隔離もあった。入国5日目にPCR検査を受けなくてはならず、その結果が出るまでホテルに待機、いや隔離。その代金も事前に払わなくてはならなかった。その後、フライトは2回変更になり、タイランドパスを再申請していたが、初日と5日目の隔離はそのままになっていた。待機、いや隔離2泊、PCR検査2回、空港からの送迎を含めた金額をすでに払っていた。ところが5日目の隔離は、僕がタイに入国する前に廃止されていた。どうなるのだろう。混乱ばかりのタイ滞在がはじまった。

旅の期間:3月5日~3月6日
※価格等はすべて取材時のものです。
 

ルールが変わる時期の隔離ホテル予約は難しい


(旅のデータ)
バンコクでの隔離ホテルの選択肢は多い。料金はホテルの設備によってずいぶん違う。隔離の場合は食事もホテル側が提供。その内容にも反映され、1泊3000円から2万円ぐらいの開きがあった。しかし月単位で隔離期間が短くなり、すでに払ってしまった料金の返金が問題になった。そのあたりもホテルによって対応が違った。ネットで隔離ホテルを確保した人は面倒のようだった。ルールがころころ変わるときは、ネット予約は避けたほうがいい。現地の旅行会社を使うのがいちばん安全だ。

外国人の金でタイ人救済? なにかすっきりしない

(sight 1)

隔離ホテルを手配するスタッフに連れられてスワンナプーム空港のターミナルビルを出ると、ワゴン車がズラーと並んでいた。これだけの台数⋯⋯たぶんロットゥー? ロットゥーというのは乗り合いバン。地方ではバスのように運行している。バンコクから地方都市を結ぶ役割もある。コロナ禍で国内移動が制限され、ロットゥーの運転手失職? その救済策が隔離ホテルへの送迎? タイの隔離政策を見ると、ホテルといい、車といい、タイ人救済策に利用している要素が強い。外国人の金を使って。だからいつもすっきりしない。
 
(sight 2)

1年ほど前にもバンコクに入った。そのときも車で隔離ホテルに向かったが、運転手は防護服姿でものものしかった。会話ができる雰囲気ではなかった。やっと防護服がなくなったが、運転手は無言。乗客との会話は禁じられているようだ。「空港で2時間も待ったんだよ」と愚痴をひたすら聞かされたコロナ禍前のタクシーがちょっと懐かしい。
 
(sight 3)

隔離ホテルに向かう途中でピヤウェート病院に寄った。ここでPCR検査の検体をとり、その結果をホテルで受けとるというシステムになっていた。このプレハブの建物の反対側で検体を盗とれた。なぜかここでしばらく待機。ここは駐車場らしき場所につくられた応急仮設病棟。タイでは野戦病院ともいわれる施設。オミクロン株対策でつくられた気がする。


 チェックアウトしても構いませんよ


(sight 4)

今回隔離ホテルに選んだのは、スクムビット通りのソイ5の奥にあるロイヤル・ベンジャホテル。理由? 安かったからです。PCR検査や空港からの送迎が加わり1万円強だったが。泊まったこともないホテル。思った以上に大きく、部屋数も多い。コロナ禍をどうしのいだのか⋯⋯。いや、まだ苦労はつづいている?
 
(sight  5)

このロビーで説明を受けた。飛行機が着いたのが昼過ぎ。午後の早い時間にはPCR検査を受けていた。「早ければ夕方、まあ夜には連絡がくると思います。陰性なら、そこでチェックアウトしても構いませんよ」「はッ?」「ホテル代は?」「申し訳ないですが、今日の分は⋯⋯。ただ5日目は90%返金します。泊まることもできますが」「そ、そうですか」。悩みながら部屋に向かった。
 
(sight  6)


一応、隔離だから、PCR検査の結果が出るまで部屋から外に出ることはできない。そう、このドアのなかに入ってしまったら⋯⋯。僕がタイランドパスをとった時期は、初日と5日目に1泊隔離があった。5日目にPCR検査があり、その結果がでるまで隔離ホテルに入らなければならなかったのだ。無駄~~~という気がしたが決められたこと。しかし僕が訪ねた3月に入り、5日目の検査や隔離が消えた。でも5日目のホテル代はすでに払っている。意味もなく泊まる? PCR検査はないわかだけら、泊っても検査代は返金? でも返金ってどうやって? コロナ禍の旅は悩みばかりが増える。

 
どう食べた? 想像力に任せます

(sight 7)

ピヤウェート病院ではこの抗原検査キットをくれた。「5日目のPCR検査はなくなりましたが、抗原検査をして、タイチャナかモーチャナのアプリに送ってください」と看護師からいわれた。「タイチャナ? モーチャナ?」。タイチャナは「タイが勝つ」、モーチャナは「医師が勝つ」という意味。アプリを見ると日本のCOCOAみたいなものらしい。スマホにそのアプリをインストールしながら、気分は滅入っていく。
 
 (sight 8)

僕が選んだ隔離ホテルは最安値クラス。となると食事は1回だけ。隔離中だからドアから外に出ることは禁止。僕は朝食を選んでいた。そう、夕食は知人が差し入れてくれることになっていた。で、届いたのがこれ。ソムタム、もち米、豚肉のから揚げ、生キャベツ、パパイヤ⋯⋯。どういう選択? どういうとり合わせ? どう食べた? 想像力に任せます。
 

領収書より大切な陰性証明


(sight 9)

夜の9時、部屋の電話が鳴った。PCR検査の結果報告。陰性だった。これで隔離は終わり。しかしホテル代は払ってある。悔しいので1泊することにする。部屋から出ることも自由になった。ロビーまで降りたが誰もいなかった。他の隔離組はまだ結果報告がないということか。これは翌日の朝食。ハム、ソーセージ、パン、ツナサンド、サラダ⋯⋯。味よりボリューム重視でした。
 
(sight  10)

朝食を食べてチェックアウト。隔離ホテルをチェックアウトするとき、領収書をもらうより大切なことは、病院が発行したこの陰性証明を受けとること。次の⋯⋯というか、本来のホテルにチェックインするとき、この証明がないと泊まることができない。ただこのチェックは、隔離後の最初のホテルだけ。それ以降はノーチェック。チェックイン客が隔離明けなのか、普通の客なのかどう見分ける? 深くは考えないこと。


BTS改札の検温モニターで暇つぶし


(sight  11)

バンコクは3ヵ月ぶりだった。街はオミクロン株に揺れていた。新型コロナウイルス対策も、どこか日常のようになったところは日本に似ている。違いは検温重視。いたるところの検温ゲートや検温モニターが置かれている。熱があると、周囲の人にもすぐにわかってしまうことを狙っている? これはショッピングモールのロータスの入口です。
 
(sight  12)

屋台もついにこうなりましたか。夕方、こんな屋台を目にした。これから商売といった感じで、食材を奥でそろえているようだった。しかし完全に屋台の上部をビニール囲い。どうやって料理を渡すつもりなのだろう⋯⋯屋台の前で少し悩んでしまった。売りにくくても、まず感染防止?
 
(sight 13)

高架電車のBTS。その改札にも大きなモニター。これはなかなか優れもので、映る顔の近くに体温が表示される。検温機の前に立ったり、手をかざす必要がない。しかし自分の体温が周囲に丸わかり。オッ、36.2、オッ、35.8⋯⋯などと人の体温を眺める。ちょっとした暇つぶしになる。

ようやくバンコクが戻ってきた


(sight 14)

スクムビットのソイ24を歩いていた。「おッ、両替店が戻ってきた」。つい写真を撮ってしまった。近くの店の幟も並ぶ。タイ入国の条件が緩和され、ようやく外国人観光客も目にするようになった。やっとですよ⋯⋯。両替店の主人の声が聞こえてくるような光景だった。3ヵ月前と比べると⋯⋯。その光景は次の写真で。
 
(sight 15)

これが3ヵ月前のこの一角。幟もなく⋯⋯両替ブースは、その建物すらない。さら地のようになってしまっていた。コロナ禍前は、この両替店をときどき使っていた。タイは銀行で両替するより、両替店のほうが、そう1万円を両替して100バーツから200バーツはレートがいい。そのブースは昨年末には撤去されていたのだ。ようやくバンコクが戻ってきた。
 
【次号予告】次回は5月27日。毎週金曜日の公開です。バンコクを離れ、ミャンマー国境の街、メーソートへ。
 
 
 
 
 



新しい構造をめざしています。