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何者にもなれなかった一般人、人生の「小道具係」。病弱で無力だった僕が、それでも自分を見損なわなかった話/シモカタセイジの自己紹介




初めまして、シモカタセイジと申します。
クリエイティブ、ブランディング、プロモーション企画、DX推進を行う小さな会社を経営しています。今日は少し長くなるけど、「きっと何者にもなれなかった」シモカタセイジの自己紹介を書いてみました。読んでもらえると、とても嬉しいです。


「小道具係」


145㎝・45kg
中学校に入った時点でのシモカタのサイズだ。

比較的真面目で目立たない、空気みたいな人。
僕はそんな感じの、比較的地味な少年時代を過ごした。

小さなころに患った小児喘息の影響もあって、
運動ができない、読書とゲームに興じる内向的な子どもだった。

文化祭では「小道具係」。
手先は割と器用で、絵を描くのが好きだった。

そんな感じでも思春期には一丁前に「恋」をしていた。
初恋は、一つ年上の幼なじみだった。

「え、なんで自己紹介で恋の話とか始めてんの?意味わからん」

そう思ったこれを読んでいるあなた、ちょっと待って欲しい。
僕の人生にとってとても大事な話だから、できればもう少し読み進めてもらいたい。できればでいいので。


「モテたい」

なんとなく思い当たる節もあるだろう。

・小さいころは、運動ができる人がモテる
・思春期になると、イケメンがモテる

そう、僕はモテ要素皆無だったのだ。

そこで僕は考えた。どうすればモテるのか。

顔もカッコよくはない。
運動もできない。

ならどうするか?

面白い人はどうだろうか?
残念ながら僕は決して面白い人間じゃない(関西比)

それ以外には何がある?

そんな悩みを抱えている僕の目の前に、とんでもなくイケてる存在が現れたのだ。

それは「ミュージシャン」。具体的には奥田民生とフリッパーズギター。

彼らは決してイケメンではない。けどとてもかっこいい。

14歳のシモカタは、彼らを徹底的に追いかけた。お金の許す限り彼らの音源や掲載されている雑誌を買い漁り、自分がかっこいいと感じた点をノートにまとめた。

当時のメモは残っていないけど、書いた内容は今でもちょっと覚えている。

1:音楽をやっている
2:服装がオシャレ
3:CDのジャケットが個性的
4:堂々としている
5:楽しそう

だから僕は、シンプルに音楽とファッションに挑戦することにしたのだ。そもそも小さなころにピアノとエレクトーンをやっていたこともあって、高校に入ったころには割と色々な楽器を多少弾けるようになっていた。そんなこんなで、高校入学以降、しばらく音楽中心の生活を送ることになったわけだ

「人格に問題がありますね」

高校に入ってすぐバンドを組んで、同時に吹奏楽部に入った。

部活とバンドの練習、友達と遊ぶ、時々バイト。

ごく普通の、ちょっとワイワイした高校生。勉強はほとんどせずに、ひたすらに遊んで、音楽して‥

そして、大好きな人ができた。

音楽室でドラムの練習をしているときに、突然

「私にドラム教えて!」と言ってきた同級生の女の子。

1年間片想いして、途中2回振られて、それでも毎日なぜか一緒にいた。

(最終的には付き合ったわけだが、その話は面白くないので割愛する)

バンドもライブをちょっとずつやってみたり、オリジナル曲を作ってみたり、部活もコンクールに出たり、と割と順調。

でもそれが、高校2年生の時に当時の担任から全否定されてしまったのだ。

「シモカタ君は、成績以前に人格的に問題がありますね」

三者面談でこのままの言葉を言われたのだ。

中学生のころに事故で父を亡くし、女手一つで育ててくれた母の目の前で、だ。

今思えば、まぁ真面目に授業に出ないくせにそこそこの成績で、
しかも部活も頑張っている感じが鼻についたんだろうと思う。

そしてまぁ言われても仕方のない生活をしていたとも思う。

でも思春期の自分には結構きつかった。大人に否定されることで、これからの人生を否定された気分だった。

だが、それは母の一言で180度逆転して、僕の人生の方針が決まった瞬間でもあった。

「好きに生きろ、迷惑をかけろ、自分を見損なうな」

教室を出てすぐに、母がかけてくれた言葉だ。

母は一言も否定せずに、ただこう言って帰っていった。

空いた口が塞がらない、というか、頭が真っ白になった。気がついたら泣いてた。

涙目で部活に戻ったら、後輩に変な目で見られたのを覚えている。

そこからは割と淡々と過ぎて、部活を引退後に大学入試に向けて勉強を始めて、クラスで一人だけ国公立大学に受かり、先生に報告に言って目の前で合格通知を破り捨てた。

「     」

大学に入ったものの、なんか合わずに一年で退学したシモカタは、古着屋に就職しながら本気でプロのミュージシャンを目指していた。

朝からお店で仕事、終わってからバンドの練習、時々ライブ。

休みを取るときは他の地域への遠征やツアー。

インディーズでちょっとCD出したり、レーベルから声がかかったりと順調だったその真っ只中の21歳、僕は過労で血を吐いて倒れた。

倒れる一年前から倒れる前の記憶が、実はほとんど残っていない。

ひたすら楽器を弾き曲を作り、ひたすら働き、ひたすら楽しかったことだけは覚えている。

ともかく僕は倒れて、そして気持ちが切れて、バンドも仕事もやめて半年間引きこもった。

「オシャレな生き方がしたい」

完全に糸が切れて何も無くなってしまって、
僕は地元に帰って真っ白になっていた。

そんな僕を救ってくれたのは「不安」だった。

このままではいけない。このまま死ぬのはちょっとカッコ悪い。

「自分を見損なうな」という母の言葉がめちゃ刺さる。

そんなわけで、僕はこのタイミングで自分の棚卸しを行うことにした。

やってきたこと、好きなこと、世の中の仕事を整理して、自分が次に目指すべき方向性をまとめたのだ。

そして導き出された答えは「インテリアデザイナー」と「映画監督」。

そう、僕は「オシャレな生き方」を目指すことをこの時に決めたのだ。

「原理原則を知りなさい」

そうして某インテリアショップに入社。アルバイトから社員、店長、マネージャーと順調にキャリアアップを重ねていくのだが、この時期の僕は「デジタル悪魔」と呼ばれていたらしい。根拠に基づいた営業戦略と、数値に基づいたマーケティング、いわゆる「分析」に傾倒して、そして結果を出し続けていた。

その中でなんやかんやと頑張った結果、僕は上司に潰され、部下から反抗され、会社から追い出された。

オシャレじゃないし、むしろダサい結果だった。

理由は明白だった。

周りの人の気持ちなんか、1ミクロンも考えなかったからだ。

最終出勤日、お世話になった社長に電話をかけた。

シモ「お世話になりました、色々と、ご迷惑をおかけしました」
社長「お疲れ様、もったいなかったね」
シモ「???」
社長「君はもっと、原理原則を知りなさい」
シモ「??????」
社長「すべてのことは、一人で完結してないんだよ」
シモ「!!!!!!」
社長「じゃあ、頑張って」
===
ガチャ、ツーツー

そう、ここまでは「自分の力と才能」を頼りとし、
「独りよがり」で生きていたことにやっとこの瞬間気づかせていただいたのだ。

ちょうど10年前の今ごろになってやっと、僕は一歩だけ前に進んだ。

「誰かをご機嫌にするために生きる」

退職後、住宅営業や企画、広告代理店などを経て、5年前にフリーランスに。そこからは身につけたスキルを整理して、クライアントやメンティーをご機嫌にするために生き続けている。おかげさまで食べていける位には安定した収入も得て法人化もできた、欲しいものもあまり悩まず買えるくらいにはなってきた。

今振り返って始めて思うことは子どものころから情報の分析や客観的な視点が強みだったこと、自分で手を動かして参加することが好きなこと、好きなことは、時間を忘れて没頭できるから成果が出るのも早いってこと。

モテるようには結局ならなかったけど、そもそもモテたかった=誰かに必要とされたかった、なんだと今は思っている。主役でもヒーローでもないけれど、確かにそこに存在している、舞台における「小道具係」。それはそれで、今はなんとなくオシャレに生きていられるようにもなった。今は本当に楽しいことだけを仕事に出来ているし、幸せだ。何者でもないけど、誰かの色を輝かせる仕事をしている自分は、割と好きだ。

まとめると、どんな自分も見損なわずに生きてきたのが、今のシモカタセイジです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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では、また。

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