回想する美術館_05

高速道路から富士山が見えた。家族旅行の帰り道、全員が顔を上げた。透き通った秋晴れの中、富士山は凛と佇んでいた。

父親が「富士山が見えるよ」と言った瞬間、僕は持参した一眼レフカメラを慌てて構えた。家に帰れば、丁寧にレタッチを施し、思い出を形にするつもりだ。富士山は、頂上から裾野までが美しい円錐形状をしており、どんな時でもその景色は目を引く。ピントを確認し、絶好の瞬間を待った。

その瞬間、2年前に訪れたオルゴールの美術館を思い出したが、じっくりと回想する時間はなかった。僕はただ、シャッターを押し続けた。写真はクリアでピントも合っていた。構図に少し気になる点があるが、トリミングすれば問題ないだろう。

再び富士山を見上げたとき、それはもう見えていなかった。ほっと一息ついた。シャッターチャンスを逃すわけにはいかない。レンズキャップをカメラに取り付け、ゆっくりとカバンにしまう。

そして、先ほど脳裏に浮かんだオルゴールの美術館の記憶を辿って行った。

オルゴールの美術館は、大学3年の夏に訪れた美術館だ。当時は、コロナ渦が猛威を振るい外出自粛も始まり、大きなストレスを感じていた時期でもあった。
一方、大学の授業はオンライン授業が主流となり、場所や時間にとらわれずに大学生活を送れるのは大きな声では言えないが、コロナになり助かった点でもある。

平日に出かける場合、通常であれば大学の出席点を犠牲にしてしまうわけであるが、オンライン授業の場合、授業開始後にクラスルームに貼られる授業動画を24時間以内に見て、感想文を提出すればそれで出席となる。

このシステムを利用して、友人と長野県へ一泊の旅行に訪れた。
1日目は、富士の樹海のハイキング。2日目は、長野近郊の美術館を周った。

その美術館がオルゴールの美術館だった。

美術館は、その名の通り、オルゴールをテーマにしたもので、中に足を踏み入れるとまるでメルヘンの世界に迷い込んだような錯覚に陥った。

館内では、美しいオルゴールの演奏が聴けるプログラムが用意されており、その壮大な音楽に魅了された。音楽は館内に響き渡り、まるで別世界に迷い込んだかのような気分にさせてくれた。

美術館の外に広がる庭園も素晴らしく、花畑が咲き誇り、小川が穏やかに流れていた。建物自体もまるで童話の中から飛び出してきたような趣があり、快晴の初夏の日差しと共に、まるで楽園にいるような気分にさせてくれた。

そして、館内のフードコーナーで食べたソフトクリームは、まさに絶品だった。その美味しさは、この美術館訪れた一日の中でも特に印象的で、ソフトクリームを味わいながら、美術館の魅力について友人と語り合った。

中でも、富士山が印象に残った。オルゴールの美術館なのになぜ?と思うかもしれない。
オルゴールの美術館は、見晴らしの良いところにあり快晴のその日は富士山が綺麗に写っていた。
そして、ソフトクリームを食べるベンチが一番富士山の見晴らしが良かったのだ。

オルゴールの演奏は確かに素敵で、印象に残っているがシンプルに富士山が美しく見えるこの縁起の良さが一歩上にきてしまった。

冷静に考えてみると、ここまでのメルヘンな世界観に和の象徴である富士山はミスマッチかもしれないが、富士山とメルヘンは面白いほど調和をしている。

実際、巧みなのが富士山の下から僅かに見える建築物を草木で見えないようにしている。
これの草木があるかないかで「富士山がアルプスの山に見えてくる度」は確実に変わっていたはずだ。

余談だが、ディズニーランドが富士山周辺に誘致される計画があったらしい。浦安と富士山麓、どちらが選ばれるかには熱い議論が巻き起こり、視察団が両地域を訪れ、株主たちも熱心に検討した。

結局、浦安が選ばれた。その理由は単純明快で、富士山の壮大な景観がディズニーランドのファンタジーとは合わないというものだった。確かに、ミッキーが富士山の背景に映っていると、なんだか違和感を覚えるだろう。

しかし、もしも富士山にディズニーランドが出来たら、オルゴール美術館みたいに意外に合っていたかもしれない。合わないからこそ、面白さが生まれることもある。富士山とディズニー、異なる世界が交わることで、新たな魔法が紡がれるとでも言うだろうか。

全然合っていなくても、ご愛嬌として逆に味わいを持つこともあるかもしれない。いや、どうだろうか。

こんなことを考えるとキリが無いが、どうなっているのだろうと考え続けた。

車は高速を降りて、地元の市街地に入っていた。
富士山には、様々な記憶があるがあの一瞬でまさかオルゴールの美術館を思い出すとは思ってもいなかった。実際に登ったことがあるわけでないが、富士山に登ったことを思い出したかった。

富士山で回想するのは、美術館の体験より、やはり、単刀直入に富士山の登山体験の方が清らかだ。山に登ったから思い出す、とても分かりやすい。とてもシンプル。

思いもしなかったものが繋がる面白さもあるが、富士山から回想が始まる場合、ひねりのない直線的な記憶の繋がりの方が、ある種の美学に思えてくる。侘び寂びにも近い。もっと捻ってもいいんじゃない?くらいが1番美しい。富士山の美学かもしれない。

今度は、ちゃんと富士山に登り、その後に道中で富士山を見たら、富士山に登ったことを思い出そう。目指すのはこっちだ。


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