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無断転載の話

SNSのアカウントに無断転載について明記する人としない人が居ます。意識高い系の方々は(特にInstagramでは)ちゃんと明記していますが、我々撮り鉄は専ら明記していません。ではそれは自分がアップロードする画像(映像)は全てフリー素材という事なのでしょうか?

ちょっと前に、JR東の千葉支社が撮り鉄が撮影した工臨の写真を勝手にポスターか何かに使っている事が発覚し大炎上、公式Twitterが謝罪するという事案がありました。
鉄は無断転載に厳しく、発覚すればすぐ炎上します。その様子を揶揄する外野の方々も居ますが、我々にとって自分の撮った写真というのは何よりも価値を持つ物で、それを第三者に勝手に使われるのは看過できない事なんですよね。逆にどれだけ良い写真でも、他人が撮ったものであればその時点で価値の高さに限界が生まれます。
それなら無断転載禁止、と明記すれば良いと人は言う。しかしそれは自分の写真は他人が使いたくなるほど価値ある事を間接的にアピールしているに等しく、自虐が当たり前の鉄道界隈でそのような発言は「痛い」と取られ忌み嫌われがちなのです。ゆえに傍から見れば写真の上手い鉄でも無断転載禁止と明記する人は少ない。

個人的にこれはあながち間違った風潮とは言えないと思います。自分の写真に満足し切ってしまうと成長は止まります。それ以上に、SNSにおいて写真の巧拙は相対評価で決まるので、自分より上手い人が必ず存在する世界で大きな態度は取れない。
少なくとも私は撮影技術は人並みに持ち合わせているつもりですが、自分は写真が上手いとは思いません。同じ被写体を撮っていても、明らかに自分より上手い人が何人も存在するという事実がわかっているから。

また撮影者同士の繋がりが強固なので、敢えて無断転載禁止と明記せずとも誰が撮ったかわかる事が多いんです。たとえ大勢の撮影者が集まって同じような構図で撮っていても、自分が撮った構図は絶対に分かります。一歩でも立ち位置が異なると構図に僅かな差が生まれるし、個々人でカメラの種類も設定も微妙に違う。雛壇を組んで同じような切り位置で撮っても、一つとして同じ写真は存在し得ません。それを我々は理解しているのです。よく言われる事ですが「撮り鉄は鉄道が好きなのではなく自分が撮った写真が好き」。これは正しいと思います。少なくとも自分はそうです。
撮りたい列車がある、けど仕事や学校で自分は撮影に行けない。この時点で相当悔しいです。しかし知り合いは現場に出向いて良い構図でそれを収めている。知り合いが見せてくれた写真を羨み、その場に居合わせられなかった自分を悔いる。「良いな」「自分も撮りたかった」。
この羨望や嫉妬の感情を表す撮り鉄用語に「癪だ」という言葉があります。どれだけ良くてもそれはあくまで他人の写真であり自分の写真ではない。自分の物にはできない。そんな思いを詰め込んだ4文字が鉄の間で広く使われています。

大宮で高崎線と宇都宮線を間違えたぐらい話が逸れましたが、撮り鉄が自分の写真に特別な価値を見出す人種だという事がおわかりいただけたでしょうか。
もちろん私の投稿するコンテンツも全て無断転載禁止ですが、そこまで価値があるものだと思っていないから明記していないだけです。しかし無断転載されたらされたで「自分の写真が他人から見て無断転載するほどの価値があるんだな」とちょっと嬉しくなります。ちゃんと「こういう目的で使わせて下さい」と言って下されば、出典明記を前提として許可します(なんなら明記さえされていれば事前連絡も要りません)。そしてこれはほぼすべての撮り鉄にも同じ事が言えるんじゃないでしょうか。

本来、どんな素材にも作成者が居る時点で知的財産権が適用される筈なのです。フリー素材として使えるのは作成者が自由に使っていいと言っているものだけ。しかしインターネットは法整備が追い付かずグレーゾーンだらけなのが現状だし、いちいち合法か違法か考えながら皆さん使ってないですよね。かの有名な「いらすとや」の素材を一度に20個以上使うと有償になる事はあまり知られていません。
しかし千葉支社のやったことは営利にも結び付くので明らかに著作権侵害ですし、企業がやってしまった時点で社会的におかしいです。個人であっても、転載物を公開する時は自分の物ではないという事を周囲に把握させる必要性は誰しも感じて然るべきです。無断転載禁止と明記されていなければ何でもフリー素材という解釈は間違っている、とすら言える筈なんです。ましてYouTubeの収益が得られるチャンネルでそれをやってしまったら、ねぇ?(目下確認できる無断転載が1件)

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