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送電塔と片方だけの子供靴

近所にある片側2車線の車道の脇に、強靭な金属の根を張り続けている巨大な送電塔がある。
煤けたような黒色の太い電線を前後に伸ばしながら、一瞬のうちに同時に行き交う自動車やトラック達を、じっと見下ろしている。
この場所で長い年月、雨風に耐えて立ち続けてきたのだろう、と僕はそれを見て勝手に感慨深くなる。

その足元は、年季の入った太い金網に四方を囲まれている。人通り(というほど人は通らない)に面している側には、これまた四辺の茶色く錆びた看板が貼り付けられている。
「危険なので金網の中に立ち入らないでください」
そう人々に啓蒙し続ける看板は、誰にも注目されていない。

金網には、無数の草の蔓が執拗に巻き付いている上に、しぶとく日陰で成長し続けるような雑草達がまとわりついている。
好き好んでこんな金網に登って入り込む人間はいないし、もっと言えば、ここに用事があって立ち止まる通行人など滅多にいない。

そんな送電塔の前を以前たまたま通りかかった時、金網の内側に何かが落ちているのを見つけた。

幼児用の靴だった。

藍色のジーンズ生地で作られた、角や尖った部分の全くないシルエットのそれは、真っ白なゴム底をこちらに向け、世の中から忘れ去られたように片方だけポツンと落ちていた。

恐らくまだ新品か、歩いたことのない小さい子供のものだ。
もし不要な靴を捨てたのだとしたら、右と左、両方があるはずだと思ったが、その片方しか見当たらなかった。そうなると尚更、何故そこに片方だけ落ちているのか、全く想像がつかなかった。
子供が靴を嫌がって投げたのか、そうだとしてもこの高い金網を超えるような腕力があるのか、と不思議に思った。

そして先日、再びその場所を通った時、ふとその妙な光景を思い出して金網の中を覗いて確認したのだが、靴はもうそこには無かった。
送電塔の管理者か技術者の方が取り除いたのだろうと推測できたが、そもそも何故子供の靴が片方だけ立ち入り禁止の金網の内側に落ちていたのかは、未だに分からずにいる。

送電塔の足元の平らなコンクリートの上で、あの小さな靴が、誰にも見向きもされないでずっとそこに落ちている様子が何とも寂しくて気になっていたのだが、気付いてもらえたようで、僕はこっそり胸を撫で下ろした。

それにしても、あの靴の持ち主は一体どうしているのだろうか。靴を片方無くして困っていなければ良いなあ、と、僕は今、少し考えている。

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