葬式に思いを馳せる
口うるさい誰かが亡くなったと聞いて、途端に「あの人、にぎやかな人だったよねえ」だなんて言い始めることがよくあると思う。余程の事をしない限り、僕も亡くなったら、残った人にこんな感じに評されるに違いない。
でも何故?と考えた時、ふと、一つの可能性を思いついた。これはもしかして、ある種の「お清め」ではないか?と。
人間は、汚い。身体はすぐ汚れるし、心もすぐ、汚れる。僕もあなたも、誰しもがそうだ。皆、汚いまんま、今日を一生懸命に生きている。この「汚れ」というのは「よごれ」と読んだり「けがれ」と読んだりするが、今はどちらでも良い。
兎に角、生きている限り、何か清浄とはいえないものが身体を覆うのだ。そして、心を覆うのだ。
それはある時は「経験」と呼ばれ、ある時には「知識」と呼ばれ、その何かを大量に抱えている人を見て「人生に深みがある」なんて言うのではないか、と僕は思う。
だから、人が亡くなった時くらいは、故人の身体を拭って清め、そして、我々の心も清めるために、綺麗な話をするのかもしれない。一見すると妙な風習だが、実は、塩を撒くよりも大切なことなんじゃないか、と思った。
ふと、思っただけだ。
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