不登校語り⑤中3の3学期、教室復帰

3学期。試練の日々の幕開けです。

 最初に言っておきますが、3学期の出席日数やテストの点は高校に送られる成績には入りません。ここで教室に入るか入らないかで、内申点が変わることは一切ありません。だったら、教室に入らなければいいじゃないか。楽な方選べばいいのに、なぜこんなに教室で授業を受けることに拘るのか。それはそのうちわかると思います。

最初の試練

 冬休みが明け、3学期最初の授業日、私は教室に入る気満々でいました。「2学期の最後に入ったあの感じで行けばなんとかなるはず」。1限目に間に合うように学校の相談室に行き、1限の教科書とノートを準備して、教室に行くまでストーブで暖まって、時間になったら行こう。直前まで、そう思っていました。
 でも、いざ相談室から出るというときになってその場から動くことができなくなりました。そして、暖まっていたストーブの前で泣いてしまった。頭では「行かないといけない」ってわかってるのに、体が動かなかった。涙ばっかり出てきた。先生が声をかけてくれても、何を言われてもずっと泣いてたな。今考えると恥ずかしい。いざ入るとなると、クラスの人の視線や周りの席のこと、1年のときみたいに嫌がらせを受けるんじゃないか、Aとも会うんじゃないか…と怖くなっちゃいました。結局その日は、カウンセラーのかたに話を聴いてもらって1日が終わりました。
 ちなみにその日、タイミングよく最後の三者懇談があり、志望校を最終決定しました。今のテストの点では難しいとか、志望校変えたほうがいいとは言われなかったので、学力的には大丈夫だったんでしょう。そんなことよりも担任に「いずれ朝から帰りまで教室に出ないといけないぞ」と言われたので半分ムキになって「明日は出ます」と宣言してしまったことが頭に残っています。

 あるとき、大雪が積もってアパートの階段が降りられず無断欠席したら、次の日相談室の先生や友達の前で担任に「今楽なほうに逃げたらこれからもずっと逃げるぞ」みたいなことを大説教されました。あれだけ教室に入ってと言っているのになぜズル休みするんだ、本当にそれでいいのか、と担任は思ったのでしょう。大雪とか本当のことを言っても言い訳にしか聞こえないだろうと思い、言いませんでした。そのときは本当に腹が立って説教後にトイレで泣きました。その日は気が狂って「志望校を定時制に変える」と意味不明なことを先生に公言しました。翌日にはまた元に戻っていましたが。

やるしかない!

 その日を境に、なるべく教室に出るようにしました。
 せっかく慣れてきた1月下旬にインフルエンザにかかって1週間ブランクができたり、全校生徒が体育館に大集合する全校朝会が嫌すぎて生理痛と嘘ついて休んだり…といろいろありましたが、2月にはペア授業である英語と、他のクラスと合同でやっている体育と家庭科以外は全ての授業に出られるようになりました。
 当然、今まで抱いていた恐怖はずーっとありました。毎回、相談室を出る前は腹痛と動悸が襲ってきて、逃げれるもんなら逃げたいと思っていましたが、教室が近づくにつれて「やるしかない!」という思いに変わり、教室に入ってしまえば周りを気にせず自分の世界に入り込むようにしていました。
 また、2月上旬に席替えがあり、それによって班のメンバーが変わったことも教室に入り続けられた一因でした。同じ班のメンバーは、同じ小学校の子3人(女2男1)と、ほとんど話したことがない男1人。みんな、私に対して冷たくすることなく、かといって過剰に親切にすることもなく、普通に接してくれました。

 もしかしたら気を遣ってこのメンバーにしてくれたのかもしれませんが、教科書を見せてくれたり、テストの点を競い合ったり、帰りになぜか「バイバイ!」って手を振られたり(?)と、あくまで「普通のクラスの人」として接してくれたように感じました。それが個人的にとても嬉しかった。同じ班の人以外にも、同じ小学校だった人は話しかけてくれたり、初めて話すような人にも話しかけられたり、逆にわからないことをきくと教えてくれたりもしました。

 そりゃ苦手な人はいました。明らかに私を避けてる人や、私が近くにいると嫌そうな顔をする人も。でもその人たちから私に話しかけてくることはないから話す必要もないし、接する必要もない。そういえば1度だけ、Aと鉢合わせになったことがありました。しかもたった2人きりの廊下で。そしたら向こうから引き返して行きました(笑)。

 毎日、「卒業まであと○日耐えるんだ!!!」と自己暗示させていましたが、2月下旬にもなると頑張って耐えなくても自然体で教室の中にいられるようになっていました。朝読書から帰りの会、放課後にある入試の面接練習までずっと教室にいるなんて、みんなの中にいるなんて、1ヶ月前には想像できなかったことです。もちろん休憩時間や給食〜掃除時間は相談室で過ごしていましたが、それが束の間の休憩。短時間充電してまた授業に出ていました。最後の方は、なぜか「このクラスで3年間過ごしても支障ない、卒業したくない」と思うまでに。班が良かったのが一番の要因ではありましたが、クラスの雰囲気を掴んできて自分の立ち位置がわかってきたというのもあると思います。まさに「慣れた頃に卒業」とはこのことか、とつくづく思いました。でも実際に1年間このクラスで過ごしたら絶対嫌になるでしょうね。卒業間近にいきなり入ったからこそ、そう思ったのだと思います。

 1月下旬から卒業式まで約2ヶ月間教室で授業を受けたことによって、毎月の実力テストの点は上がっていきました。最後のテストは自己最高点をとることができ、高校入試に向けて自信がつきました。やっぱり教室で授業を受けたり、先生が見張ってる中でみんなとプリント学習するだけでも、気付かない間に意識が変わってたりモチベーションも上がってたりしたのかな〜と思いました。

 卒業式はもちろん、みんなの中に混ざって出ることができました。卒業式の後に教室でクラスの人(一部)や親友と写真を撮るなんて想像もできなかった。それに、制服姿の写真が残ってよかった(笑)。3年の先生方とも写真を撮り、その際に労いの言葉をかけてくださり、「頑張って教室に入ってよかった」と心から思いました。また肝心の受験は、第一志望だった全日制の高校に無事合格することができました。


 と、壮絶な中学時代はこのような流れです。嫌がらせと友人の無視に始まり、結果的にはハッピーエンドで終わりましたが、この試練を乗り越えるには私1人の力じゃ絶対に不可能でした。本当にたくさんの人、もの、ことに支えられて、救われて、3年間を過ごすことができたと思います。

 今思いつくだけでも…親、不登校時代に通った支援センター、そこで出会った先生方、友達、先輩、後輩、学校の相談室、そこにいっしょにいた先生、友達、大好きな野球選手、音楽、ラジオ、有吉など。2年間不登校という暗黒な中学時代の中でも楽しい思い出があったと言えるのは、これらのおかげです。


 次回は総括。高校、大学を経て社会人になった今、感じることを綴ります。

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