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他人と過去は変えられないと言いますが、生まれた年代も変えられないもので‥

 若者のワクチン接種が話題になっている。
 ついこの間まで小池都知事が
「若者も早く打ってください」
と盛んに言っていて、渋谷に予約不要の若者ワクチン接種センターを開設した。そうしたら、初日は深夜に行列ができ、翌日から現地での抽選制、続いてネットでの抽選と、グダグダな仕組み。読みの甘さと行き当たりばったりの対応に批判が起きている。

 この若者ワクチン接種センターを渋谷に作るとのニュースが流れた時、ネットにこんなコメントを見つけた。

「なんで若者だけなんだよ。今、重症化しやすいのは俺たち40~50代だろ。俺たちだって全然予約が取れねえんだよ。」
 
 ここまではコロナ対応に関する国や自治体への不満として、どのニュースにも寄せられるコメントだろう。しかしこのコメントには続きがあった。

「なんで俺たちの年代はいつも損な役回りなんだよ。」

 損な役回りの年代‥。
 たぶんこのコメントの投稿者は、昭和47年生まれで現在49歳の私と近い年齢だろう。
 私達の年代は第二次ベビーブームに当たる。昭和20年前後の第一次ベビーブームに生まれた団塊の世代の子供で、団塊ジュニアと呼ばれる。
 同年代が非常に多かったため、小学校は1クラスに40人いた。教室は後方まで机がびっしり。高校や大学受験はライバルが多く、倍率が高かった。
 そして就職活動。私には4歳上の兄がいる。兄の就職活動はバブルの真っ只中。引く手あまたで、会社説明会に行くだけで、美味い物を食べさせてくれたり、いろんな物をもらってきた。交通費の名目だったと思うが、金銭をもらってきた記憶もある。
 そのわずか4年後の私の頃はというと‥まず、大学入学と同時にバブルがはじけた。世の中はどんどん不景気になっていき、新卒採用をやめる会社が続出した。会社説明会のおいしい思いなどただの一度も味わえず、それ以前に会社説明会が開かれれば御の字だった。加えて第二次ベビーブームの世代。1人の採用枠に何百人も応募して、内定を得るのが宝くじに当たるより難しい会社も。
 社会人になっても明るい話題がない。給料は定期昇給や賞与が抑えられた。年金は保険料が上がる、支給開始年齢も引き上げられる、だけど自分達が受け取る時の支給額は下がる。健康保険料や自己負担も引き上げ。働いても働いても税金や保険料で持って行かれ、手取りが増えない。
 こんな自分達の世代の心の叫びが

「なんで俺たちの年代はいつも損な役回りなんだよ。」

に込められたのではないだろうか。

 と、ここまで自分達の世代がどれだけ不幸か、ぼやかせてもらったが、じゃあ私がどれだけ努力したかというと、ほとんど何もしていない。ライバルとの競争に勝つために大学で猛勉強するとか、熱心な就職活動といったものは一切していない。大学では授業をサボってカラオケや麻雀、就職活動は特にやりたいこともなく10月ごろなんとなく始めて、なんとなく就職。惰性で人生の半分を生きてきた。生まれた時代を嘆きはしなかったけど、乗り越えようともしなかった。何かあったらあきらめるのが癖になっているかもしれない。

 そんなことを考えた今日この頃、パラリンピックが開かれている。初めて知ったことだが、パラリンピックの精神は

「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう。」

 テレビをつけると、手足の極端に短い選手が、腕は平泳ぎのような、足はバタ足のような、健常者の泳法には無い動きで必死に泳いでいた。溺れているように見えなくもない。ただでさえ不自由な体なのに、何もさらに苦しい水中に潜らなくてもと思ったが‥、おっといけない。「失ったものを数えるな」だ。今あるものでできる限りの努力をする。
 手足の極端に短い選手は見事にメダルを獲得していた。「生まれた時代を恨むな。今生きている時代で頑張れ」と言われた気がした。

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