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道徳が嫌い

また鬱がやってきた。
アルコールを摂取していないからだろうか、
それとも干渉的な実家に戻ってきたからだろうか

まだまだ症状は軽いが、
禁酒はもう頑張っても2日しかできない。
アルコールを摂らないと手の震えや動悸が起こる。
危ないと思っている。焦りは感じている。


でも「死にたがり」がこの世を生きるには、
そうするしかないじゃんか。


歌っても、歌っても
喉から涙が出て、目からインクが剥がれる。
苦しい。吐きそうな苦しさだ。

苦虫を噛み潰したような、


道徳が嫌いだ
生きることを美徳だとするこの世の考え方が嫌い。

「生きたくても生きられない人がいる」
その通りだと思うよ。
でもそんなの運命だ。しょうがない。

人生は運命と選択に翻弄される。
だから自分は「選択」で終わらせようとしているだけだ。


生き方を教えてくれるわけじゃないのに、
無責任に「生きろ」と言ってくるやつがいる。
じゃあ僕らの人生保証しろよな。

人生も楽しくなくて
生きる理由が無いと言っているのに
何の為に生きなければならないのか。

生きてるだけで金は取られて、
生きてるだけで欲は出て、
生きてるだけで傷ついて、
生きてるだけでこの世の残酷さを知らないといけない。

無駄な世界の知識を知るだけで、
幸せな気分を味わうことは滅多にないのに。


必死に生きようとしている人が
この世に居るのは知っている。
だけどそれはその人が
「生きる選択」をしているからであって。

「死ぬ選択」をした人はもうこの世に居ないんだよ。
だから目に見える「生きる選択」をした人が
多いように感じてるだけ。

大半がそうだと思う。

死ぬ人なんてあんまりいないと思う。
だけどそれは、生きる理由がないと言うように、
死ぬ理由がない人たちや死ぬ勇気がないから
生きる選択をした人たちもいると思う。
自由でいいよ。
ただ、それを人に強要するのは違うだろ。


なんだかんだで自分が傷付かないよう、
保守的に生きてきた。
相手が傷付いても、辛い思いをしてきた自分が
これ以上傷付かない為なら厭わない。

また一人傷付けた。
今回は違った。

自分を傷付けないように人を傷付けて、
結局自分が傷付いている。


もうそろそろ秋が来てしまう。
一番好きな季節でもあり、苦しい季節だ。
この世の自然物がいつもより綺麗に映ってしまう。

何故自分は「それ」になれないのだろうか。

もう苦しみたくないと思いながら
秋の風や柔らかな木漏れ日になりたいと願う日々だ。
そういうものに生まれ変わりたい。

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