人は石垣:レウォン君と再会して思ったこと(清水勝彦研究室ブログ)

先日たまたま12歳の社長レウォン君(とCMOのお母さん=Chief Mama Officer)と再会した。そこで武田信玄の言葉を少し違った意味で使いたい。日本に住む人であれば、どこかしら城を訪れたことがあり、石垣を見たことがあることを前提に。

日本の城が西欧のそれと異なるのは、同じ形の石を積み重ねるのではなく、様々な大きさ、形の石を組み合わせることである。それが、いつの間にか一律こそが正しいということになってしまったのはなぜだろう?多様性と言いながら、自社のルールに従うように尖ったところを削ることを(暗に)求めていることが多くないだろうか?同じ形であれば積んだり取り替えたりするのは簡単だが、それが強いかどうかは別の話である。

欧米の考え方はどんどん参考にしたらいい。しかし、わかったようなわからないような「世界標準」という言葉に踊らされて、教育も、経営も、いつの間にか魂を失ってしまったのではないかと思うことは多い。ジョブ型も同じ末路をたどらなければいいと思う。

ちなみに、チェスと将棋の差も考えてみると面白い。相手の駒を倒す(殺す)ことを前提としているチェスに対して将棋は相手の駒を再利用する。レウォン君が今後どうなるのか、すごく期待がある一方で心配だったりもする。

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