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7.3 モロッコ、混沌と熱風~タンジェ

巡礼もあと11日――そう書くと本当に旅の終わりが近づいていることを感じる。長かったこの生活もまもなく終わる。広島に戻って日常がはじまる。

だが今はそんな感慨に浸っている余裕がない。わからない。わからないのだモロッコが。今だってそうだ。いま私はタンジェの郊外にあるバスターミナルのカフェ(という名の売店横スペース)でこれを書いている。

本当はここでnoteなんて書いてるはずではなかった。私は予約しているバスに乗り、青い街・シェフシャウエンに向かっているはずだった。

しかし旅サイトに記された場所にターミナルがない。出発時間が迫る。私は歩いている人をつかまえ、このへんにバスターミナルはないか訊く。しかし年配の人は英語が話せないし、向こうが何言ってるかこっちもわからない。モロッコは親切な人が多くなんとか対応しようとしてくれるが、話が進まないので焦る私は失礼にも話のわかりそうな人を探そうとする。だが彼らは「おい、この日本人困っとるで~」と仲間を呼び寄せ、私の知らない言語でああだこうだと話し合い、「とりあえずタクシー乗れ!」と勝手に止めたタクシーに私を放り込む。「大丈夫? ボラれるんじゃない?」という恐怖と「どうか間に合ってくれー!」という願いが交錯する中、ターミナルに到着したら無情にもYou missed a bus……。私は切符の買い直しと次の便まで3時間という余暇に悲しみがとまらないのがNOWである。

余談になるが、今回旅をしていてネットが不完全であることを痛感する。今やネットを通じてすべての情報は収集可能と思われているが、まったくそんなことはない。私もここまで数々の「え?」という目に遭ってきた。Google mapにバス停を入れたら同名の別地域を検索し、そっちに連れていかれそうになったり、経路案内で出てきた路線が存在しなかったり。

今回も記載情報が古かったのかリンクのミスか、実際のターミナルは全然違う場所だった。ここで学んだ教訓は「ネットはまったく万能ではない」ということで、こういうときに正しい答えを教えてくれるのは結局のところ地元民だ。今の時代も旅で対面コミュニケーションは避けて通れないスキルであり、今後AIが通常になってもこうした「誤差」を解消するのは不可能なんじゃないだろうか。というかネットに頼れば頼るほど「誤差」には振り回されるのではないか?


モロッコには3日前に着いた。スペインのタリファからフェリーで1時間。ジブラルタル海峡を挟んで島影が見え、ヨーロッパとアフリカはこんなに近いのかというのは新鮮な発見だった。

だがその距離以上に、ここはすべてが違う。上陸3日目、私はいまだに戸惑いと驚き、不安と緊張に包まれている。

そもそも私はモロッコに関する情報をほとんど持たずにここに来た。スペイン~ポルトガルと来て、せっかくなので人生で一度くらいアフリカの地を踏んでみたい(モロッコはビザなしでも大丈夫)という阿呆みたいな理由がまずひとつ。あと去年のカタールW杯で見た勇敢でスキルフルなモロッコ代表の雄姿(アムラバト、ツイェク、ハキミ、GKボノ、そしてレグラギ監督!)――私の知っているモロッコは本当にそれだけだ。

なので旧市街(メディナ)に着いた私はゼロからモロッコを学ばなければならなかった。「こんにちは」は「アッサラーム」、「ありがとう」は「シュクラン」、通貨はディルハムで物価はポルトガルよりもっともっと安い。料理はタジン鍋を使った蒸し料理、クスクス、炭火焼など。やはりパクチーを駆使していてスパイシーじゃないスパイス料理というか、合うものもあるけど合わないものもあるな……。

ツーリストということでいろいろお兄さんから声はかけられるけど、あまりしつこくは追われない。というか、それほど儲けることに躍起になってない感じだ。むしろ「あ、アジア人だ。ニーハオ~」のような人懐っこさと人のよさの方が伝わってくる。

さらに人懐っこいのは子供と猫で、子供はこっちを見つけると興味深そうにじーっと見るし、猫はガンガン寄って来る。どちらも警戒心ゼロ。特に猫は人様のベンチで平気で熟睡し、誰が来ても起きる気配がない。スペイン~ポルトガルでも野生の猫の図太さには驚いたが、タンジェ(の旧市街)ではもはや別種の生物のように豪胆奔放、所変われば猫変わるという感じである。

しかし3日ぐらいでは何もわからないのがモロッコの混沌の深さだ。やはりここはアフリカ、イスラム圏。ヨーロッパでは予測できたノリが、ここではまるで通用しない。基本は人がよく親切ということはわかるが、根本の常識が異なりすぎていて本能的に気が安まらない。

たとえばモロッコ女子。これは間違いなく美人が多い。かわいいというより美人。道を歩いていても時々ハッとするほどの美人とすれ違う。彼女たちはヒジャブ(スカーフ)を巻いて奥ゆかしく、貞淑そうに見えるが、その一方でばっちりメイクして妖艶な微笑を投げ掛けてきたりする。本当のモロッコ女子はどっちなんだ?

オープンマインドのモロッコ兄ちゃんたちも一見何も考えてないように見えて、突然隣でアッラーへの祈りをはじめたりする。初日の深夜3時半、宿の外でスピーカーを通した大音量の歌声が流れはじめた。「こんな時間にも祈りがあるのか?」と目をこすったが、翌日の夜、通りを歩いていると飯屋の前でスピーカー持参で芸をする流しのオッサンがいた。「そうか、昨日のはオッサンのカラオケだったのか」と理解したその晩も夜中の4時、歌なのか祈りなのか不明な声がとどろいた。あれはやはりコーランの詠唱なのか??

路地はポルトガルよりさらに狭く、迷宮で、猫と猫の餌とゴミが散乱。まったく衛生的ではない。土産物屋の前に椅子を出しておじいさんが座っているが、生命力を抜き取られたように動かない。ホームレスも犬も猫も路上にごろごろ寝転がっている。昔の下北南口にあった闇市みたいなマーケットには絞められたばかりの生肉と青果、スパイスの臭いが充満している……。

この人懐っこさと底なしの混沌。これは素直なのか退廃か? モロッコは私にはまだ未知すぎる。この国の空気が読めない。そして「わからない」ということがこれほど落ち着かなく、しんどいのかということを実感する。もっと滞在を重ねれば、私もモロッコにもなじめるのだろうか?

今は適応障害に苦しんでいるところ。熱風に悪酔いしているところ。もしかして私は今回の旅で初めて「異国」に入ったのかもしれない。


アラビア語の気持ちいいほどのわからなさ。町にはアラビア語だけでなく、ベルベル人のベルベル語も並んでいてさらに困惑する。逆に日本に来て、漢字やひらがな・カタカナを見たら同じように思うのだろう。世界はカオス、それを面白いと思えるかどうか。




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