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「〇〇はもう稼げませんか?」に潜む危険なマインド

ネットビジネスの世界では、「〇〇ってもう稼げませんか?」「〇〇はまだ稼げますか?」というタイプの質問を見かけることがある。私にもたまに飛んでくる。

これに具体的事例を出して答えてる人もいるし、私も回答したりするのだが、問題はそこじゃない。具体的かつロジカルに回答することもできるが、それをしても問題の解決にならない。詰まるところ、その質問の背後に隠れているのはマインドの問題だから

「〇〇はもう稼げませんか」
「〇〇って稼げると思いますか」
「今更〇〇をしても遅いでしょうか」

この手の質問の背景にあるのは、こんな思いだろう。

「〇〇に興味はある。でも、やっても通用しないかもしれない。そしたら時間と労力が無駄になる。それはイヤだから、確実に成果が出ることをしたい」

つまり、リターンが確実に得られるという保証がないと動けない、ということだ。この問題は根深い。

たしかに、人情として分からないではない。だれだって成功率50%よりは100%の方がいい。しかし、確実に成功するビジネスはない。あの質問をする人は、これが理解できていない。理屈としては分かるはずだが、深い部分では納得できていないのだ。

「こうすれば確実にうまくいく、という方法を知りたい」

このマインドは、まずもって正解の方法があることを前提にしてしまっている。どこかに確実な、正しい方法があると思い込んでいる。そんなものはないのに。

このような発想になってしまうのは、十中八九、学校教育の弊害だろう。後遺症、と言ってもいい。学校ではまず最初に先生が正しいとされる知識や技術を教え、生徒はそれをトレースする。言われた通りできれば正解にたどり着いていい成績が取れる。言われたことと違うことをすれば成績が下がる。

私たちは長年そういう環境に身をおいてきた。実に6歳から18歳まで、「正解をトレースせよ」という教育を受けてきた。というか、洗脳されてきた。これがビジネスの場面になっても抜けきらないのだ。

ちなみに、そのような学校教育は1960年頃までは有効だった。機械のオペレーションに代表される定型的な業務の従事者としては、マニュアルに従って動くことが正しいことだったのだ。周囲からも評価されたし、お給料ももらえた。下手に自分で試行錯誤なんかしたら機械がストップして怒られるという世界だった。

今は違う。どんな業界でも試行錯誤が必要だし、唯一の正解はどこにもない。最上級に頭のいい人たちだって、具体的な正解なんて分かりゃしない。こんな時代にマニュアルや伝統に従っていたら、没落する一方である。

「〇〇はもう稼げませんか?」

この質問をしたくなってしまう人は、まず自らのマインドを見直そう。心の底から、学校で受けた教育を否定しよう。問題は手法やテクニックではない。この質問を発してしまうマインドの方にあるのだ。

マインドさえ変えれば、いくらでも行動できる。

なにか気になることがあるなら、自分でまずやってみればいい。不安要素があるなら、自分で考えて潰せばいい。あるいは逆に、まったく別のものを探しにいってもいい。どうとでもやりようはある。

最悪なのは、不安と懐疑に捕らわれてその場に留まってしまうことだ。

あなたがだれかの意見や出方をうかがってるうちに、他の人は走り出している。走って、山を越え、川を越え、街を抜け、その先の景色を見ている。そこで新たな発見や出会いに恵まれている。

それを見てからあなたが走り出したとき、もう川を渡るための橋は流されてなくなっているのだ。

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